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第14話
相談したいことがある、と智美からメールがきて伊織はそのまま智美の実家に顔を出した。
小さい時から何度も遊びに行っているので、ほぼ実家のようなものだ。だからインターホンも鳴らさず、家の中へと入って行き、リビングに顔を出すと智美が思案顔で座っている。
「テレビも点けないでなにしてんだよ」
智美は静かなのが嫌いでいつでもテレビや音楽を流す。それなのにテレビはおろかスマートフォンも沈黙を保っていて、智美の表情は暗い。長年の勘でなにかあったなと察しがついた。
智美の向かいに腰をおろす。
「いおちゃんに訊きたいことがあったんだけどメールじゃ言いづらくて」
一拍間を空けると智美は言いづらそうに口を紡いだ。
「航くんの写真を撮ってたよね?」
「あいつに頼まれたからな。護る会の規約には違反してないと思うけど」
「いまも撮ってる?」
「いや……あいつは仕事が忙しくて大学にも来てないから。それに連絡先知らないし」
伊織の言葉を咀嚼するように智美はしばらく考えてから口を開いた。
「それって売ったりネットに上げたりしてる?」
「なにそれ」
「ま、いおちゃんにそんな芸当はできないよね」
智美は自分のスマートフォンを取り出し伊織の前に掲げた。
「ネットオークションで航くんのオフショットが高値で販売されてるの。いおちゃんなら知ってるかと思って」
航が講義を受けている姿や中庭でスケッチしている様子の写真が高値で取引されていた。
入札数は百を越え、どんどん値段が上がっていく。
「なんだこれ」
こんなものを撮った記憶がない。それにパソコンの使い方すらよくわからないのに、ネットオークションなんて敷居が高すぎる。写真を印刷するので手一杯だ。
「あとこれなんだけど」
智美は再びスマートフォンを操作し、新たなサイトをみせた。
「掲示板って言って、一つの話題に対して不特定多数の人が匿名で意見を言える場なんだけど……ここ」
智美が指さしたスレをみて言葉を失った。
「佐倉航のアンチスレ……」
スクロールしていくと大学の中庭で女に囲まれている様子や講義を一緒に受けている様子の写真が投稿されていた。
スマートフォンで撮影したらしく、望遠を伸ばした写真は画質が荒い。それでも航だと誰がみてもわかる。
投稿されているコメントも悪意がこもっているものばかりで見ていられない。
「酷いな」
智美は大きな瞳に涙をいっぱい溜め、いまにでも泣き出しそうだ。
写真をみても伊織には心当たりがない。掲示板に掲載されている写真は毎日更新されているらしく、次々と新しい写真が載っていた。
そのたびに航の隣にいる女が違うので、いろんな憶測が飛び交っている。
「有名だからアンチがあるのは仕方がないとわかってる。でもこんなあることないこと書かれていいとは思わない。せっかく復帰して雑誌やテレビに出るようになったのに酷いよ」
智美はティッシュで涙を拭うが、次から次へと溢れてきていた。
人の目につく芸能人だから仕方がないといえばそれまでだが、智美のように悲しむファンもいる。
顔も名前もわからないネットで批判するのは投稿者の卑劣さを物語っていた。
相手の見えないところで嘲笑し合うのは人として最低だ。
伊織は行き場のない怒りが沸き上がるのを感じ、ぐっと奥歯を噛んだ。
ゲイだと吹聴され人の目が怖くなり、レンズを向けただけの怯えてしまうほど繊細な航をどうして罵倒できる。本当の彼をみようともしないで、表面と噂に騙されている。
けれど伊織がどんなに声をあげても万人には届かない。無力な自分が歯痒かった。
「出る杭は打たれるのは仕方がないことだ」
「でも!」
「俺たちが気を揉んでもどうすることもできない。あいつがどう受け止め、応えるかだ。これで駄目ならここまでの人間だったんだ」
ぱんと乾いた音が部屋に響き、頬に燃えるような熱さを感じた。横を向いた顔を正面に直すと、眦をつり上げ怒りに震えている智美の姿があった。
「いおちゃんがそんな薄情だと思わなかった」
「事実を言っただけだよ。あいつ以外の芸能人は多かれ少なかれあることだろ。アンチがあるのは仕方がないと言ったのは智美だろ? 周りの言葉に騙されず、信じてやれ。その方があいつの自信になるよ」
帰る、と席を立ちリビングを出た。
自分が言ったことは正しいと何度も反芻する。ただの一般人である伊織がとやかく言っても、万人の耳に届かなかったら意味がない。
なら航がもう背を向けないように信じるだけだ。裏を返せば信じることしかできない。
航の写真を撮りたい。ファインダーを覗くと二人っきりの世界に閉じこめられて、心を通わせられる一体感を感じたい。
いま航がなにを思い感じているのか、きっとわかるのに。
伊織は航が逃げ出さないようにと夜空に願った。
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