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第15話

 この状況をどう打破すればいいだろう。  数名の女に囲まれ普通の男なら鼻の下を伸ばす場面だろうが、伊織はどうやって逃げ切るかと頭の中で算段していた。  「だから一枚だけでいいからさ」  「うちらこんなに頼んでるじゃん。あんたに害はないんだからいいでしょ?」  女に詰め寄られた分、後ろに下がるので伊織は壁に追いやられていく。ひやりとしたコンクリートの壁が背中にあたり、これ以上逃げ場がないことに窮地に追いやられた鼠を思った。  「あいつに訊かないと俺の一存ではできない」  「黙っておけば大丈夫だって」  「絶対売ったりネットに流したりしないからさ」  「一生のお願い」  自分たちの様子を周りにいる学生が興味津々と眺めており、どことなく男の伊織が悪いような空気が流れている。  最後には頭を垂れて拝まれてしまい、これだけ女に頼まれて断り続けるのも男として印象が悪い。  けれど航の写真は売りたくなかった。護る会の規律とかネットのこととか関係なく、伊織の気持ちの問題だ。  「どんなに頼まれてもできない」  「ケチ!」  「このカメラ莫迦」  伊織の頑とした態度に腹が立ってきたらしく、女たちは憎まれ口を吐き出した。  どんなに蔑まれても伊織の気持ちは折れない。けれどいい加減この女たちの拘束から解放されたい気持ちもあった。  もうすぐ後期の初授業が始まる時間だ。キャンパス内を迷うことを想定して早く来たが、こんなアクシデントに見舞われるなら時間をずらせばよかった。  女たちの騒ぐ声を聞きながら、突破口がないかと考えを巡らす。手っ取り早いのは女たちを押し退けることだが、さすがに女に手を出すわけにはいかない。  「俺の写真が欲しいんですか?」  渦中の航が横から現れると女たちは一斉にそちらに照準を合わせた。  「写真はちょっと無理ですけど、サインなら書きます」  「本当に? じゃあお願い」  「私も!」  あれよあれよと人が集まり、小さなサイン会が始まった。航は愛想良く女たちに対応し、サインを貰った子は嬉しそうに帰っていった。  女たちがいなくなったのは小一時間ほど経ってからだ。  腕時計をみるとすでに講義は始まっていたが、女たちの気にやられ途中参加する気力は失せている。  ベンチに座ってぐったりしていると、航は缶コーヒーを手渡してくれた。  「お疲れさまでした。あとお久しぶりです」  航に会ったのはあの雨の日以来なので二ヶ月以上前になる。テレビや雑誌では散々みてきたのに、いざ本物を目の前にすると胸の動悸が激しくなる。  「お前に関わるとえらい目に遭う」  「すいません」  航は伊織の隣に腰をおろし、プルタブを開けた。  「でも嬉しかったです」  「女に囲まれて?俺はもう二度とごめんだね」  「写真を売らないと言ってくれたことです。あの子たちの言う通り黙っていれば俺はわからなかった。でも先輩は頑なに拒んでくれました」  航は柔らかい笑みを伊織に向けた。  久しぶりの航は少し雰囲気が変わっていた。  自信がなさそうに下を俯いていた顔はまっすぐ前を向き、人の目をみて話すようになっている。  「雰囲気変わったな」  「少し、前を向こうと思いました。レンズも少しずつみれるようになったんですよ」  知ってると内心で付け加える。先日発売されたばかりのファッション誌の表紙を飾った航は挑戦的な視線をこちらに向けていた。それをみて伊織の役目は終わったと言われた気がした。  「よかったな。これで俺もお役御免ってところか」  自分でも驚くほど冷めた声に航は肩を震わせた。けれど切れ長な瞳はまっすぐ伊織をみつめている。  「俺はまた先輩に撮ってもらいたいです。先輩の写真が好きです」  告白めいた言葉にどきりと心臓が跳ねる。  伊織自身も特別だと言っているように聞こえてしまう。  航と視線が交わり合う。決意の籠もった瞳が伊織を射抜く。俯いて下を向いてばかりいた男は、顔をあげ空へ羽ばたこうとしている。  その背中が遠い。  「じゃあさっそく撮らせてよ」  「いいですよ。じゃあ大学院の方へ」  「いや、ここでいい」  航をベンチに座らせてカメラを構えた。柔らかい表情を浮かべた航とファインダー越しに視線が絡み、心が掻っ攫われた。  ファインダーに航だけが映る。このまま航を閉じこめて二人だけの世界にいたいと願ってしまう。  瞬きがシャッターになって、脳がフォルダになれればどんなにいいか。  航の一秒一秒を忘れないように脳に刻んで、永遠に色褪せない宝物として残しておきたい。  好きだよ。航が好きだ。  カシャとシャッターを切ると、一瞬の暗闇のあと航の笑顔に戻った。  「もういいや」  「一枚だけですか?」  「うん。満足だ」  この一枚を大切にしよう。航を好きだという気持ちを四角い世界に閉じ込めておこう。  不思議そうに伊織を見返す航に笑いかけた。  これが最後になるとはこのときの伊織は思ってもみなかった。

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