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第18話

 「こんなことして犯罪だぞ」  「それは誰かが見つけたらでしょ? ここには人は来ないよ。新しい施設ができたから、みんなそっちに流れてる」  「莫迦なことを」  少しの間、静かになると外からだんと扉を叩く音が響いた。  「航は僕のものだ、僕だけのものだ! なのに、おまえが写展になんて出すから」  「どういう意味だ」  「写真だって僕の方がちゃんと撮れるのに。ネットでも評価されてるのに……どうして航は僕に気付かないんだ」  「ネット?」  掲示板の写真やオークションの生写真の売買が脳裏を過ぎり、一つの糸を結んだ。  ネットに上げられていた写真はどれも大学内で撮ったものだった。それに航がカメラに気付いていない様子から隠し撮りされたものだろう。  好きと嫌いは表裏一体。好きで仕方がないのに相手に振り向いてもらおうと手段を選ばないとしたらーー  「あの写真はおまえがやったのか?」  押し殺せない怒りで声が震える。男は高らかに笑っていた。  「どれだけあいつを苦しめてるのかおまえは考えたことあるか?」  「どうして傷つくの? 航には僕がいるからその他大勢なんて必要ないよ」  男の答えにこれでは埒があかない。  感情が先走り過ぎて周りが、航がどんな状況に追い込まれたのかみえていない。  「おまえのせいですべてが台無しだ! せっかく航と同じ大学に入ったのに、彼が来なかったら意味がないじゃないか。あのまま休業してれば僕のものになったのに」  男は自分に非があるとは露ほどにも思っておらず、航を愛するが故に航ことをみえていない。  この男のせいで、航は負わなくていい傷をつけられた。  レンズがみれなくなるほど人の目に怯えていた。けれどそれに立ち向かい、ようやく前を向けるようになったのに、邪魔するような行為は愛じゃない。  「おまえにあいつを好きだという資格はないよ。あいつのことをなにもわかってない」  「うるさい!おまえに僕の気持ちがわかってたまるか」  男はドアを蹴ったあと、奇声を発しながら消えてしまった。  男の気配がなくなると周りはしんと静かになる。本当に人っ子一人いないらしい。  よくこんな辺鄙な場所を知っているなと感心してしまう。それほど伊織が憎かったのだろうが同情はしない。あの男はしてはいけない線を超えすぎた。  助けを呼ぼうとスマートフォンを探したが、男に渡したままだったことを思い出し、仕方がないのでその場に座る。  窓一つない倉庫は真っ暗だったが次第に目が慣れてきた。ダンボールの山の隙間を縫うように壊れたイーゼルや彫刻像が転がっている。  絵の具の匂いも漂ってきたが、埃とカビの匂いの方がきつく何年も使われていないようだった。  男が言っていた通り、誰かが来る可能性は低い。ドアを叩いてみても鍵をかけられたままで微動だにせず、脱出できる希望は完全に絶たれた。  なにをしても無駄だ。なら長時間ここにいることを想定し、体力はできるだけ温存しておくべきだ。  伊織は身体を丸めて床に寝転がった。  暗闇は思考を深くさせる力がある。周りが見えない分、自然と自分と向き合ってしまう。  奥底に秘めていた思いがゆっくりと顔を出し、闇の色を濃くさせた。  首から下げたカメラの電源をいれる。いままで撮った航の写真を一枚ずつ再生した。  凛とした横顔やレンズが怖くて俯いているものが多かったが、そのどれもが伊織を魅了してやまなかった。  最後に写展に出した一枚がディスプレイに映り、熱いものが込みあげてきた。斜光がレンズに反射してシャボン玉のようにきらきらと輝き、航の笑顔をさらに魅力を与えた。この顔を撮りたかったのだ。  好きという気持ちを四角に押し込み、もう二度と溢れないように額に入れた。  これで気持ちに一区切りできると思ったのに、ふとした拍子で漏れ出てしまう。  涙が込み上げてきて伊織はカメラの電源を切った。  しばらく寝転んでいると、頭の芯に鈍痛が走った。始めはたゆたうようにゆっくりだったが、段々と痛みの波が速くなってくる。  嗅覚がおかしくなりなにも匂わなかったが、もしかしたら身体に悪い薬品があったのかもしれない。  ずきずきと痛み出したこめかみが意識を奪ってしまいそうで、伊織は丸くなって痛みに耐えた。  外が急に騒がしくなった。誰かいるのだろうか。俺はここにいると伝えたいのに頭が痛くて動くこともままならない。  細い光明が差し込み、倉庫の中が明るくなってくる。誰かに腕を捕まれた。  「伊織さん!」  目をうっすらと開けると青白い顔をした航が伊織を抱いていた。これは夢なのだろうか。でも確かに航の体温を肌で感じる。  「怪我してないですか?どこか痛いところありますか?」  「……頭痛い」  「はやく外に出ましょう」  航に抱えられ外に出ると、目映い夕日に一瞬目が眩んだ。徐々に光に慣れてくると涙目の智美と数人の女たちが立っていた。  「いおちゃん、大丈夫?」  「頭が痛いそうです。なにか飲み物ありますか?」  「水持ってる!」  智美はペットボトルを航に渡した。  「伊織さん、飲めますか?」  「ありがと」  倉庫横に座らされ伊織はペットボトルを一気に飲み干した。喉を通る冷たさにようやく実感が湧いてきて、強ばっていた身体の力が抜けた。  「びっくりした」  「驚いたのはこっちよ!いくら連絡しても繋がらないし、すっごく心配したんだから」  智美は大粒の涙を溜め、子供のように泣きながら伊織の肩を何度も叩いた。  「ごめん。スマホ取られちゃって。でも俺がここにいるってよくわかったな」  「友達がたまたま見かけたの。いおちゃんがついていった男は要注意人物だったから、心配で私に連絡くれたんだ」  「要注意人物?」  「彼のことは俺から」  航は智美から請け負うとゆっくりと語り出した。  「彼、田口というんですが、デビューした当時から執拗に付け回されてたんです。ネットの掲示板もアカウントを調べたら彼のものだとわかってたんですが、同じ大学の人を訴えることはできなくて……でもまさか監禁まがいなことをするとは思わなかったんです。これは全部俺の落ち度です」  「どうしておまえがここに?」  「復学する書類を出しに来たんです。そしたら血相を変えた智美さんをみかけて、ここまで付いてきたんです……伊織さんが無事でよかった」  航は伊織の背中に腕を回し力を込めた。ずずっと洟をすすり、泣いているようだった。  「なんでおまえが泣いてるんだ。泣きたいのはこっちだ」  「すいません。ほっとしたら涙が勝手に」  「しょうがないな」  航の後頭部を撫でてやると、回された腕の力がさらに強くなる。  まるで親に縋る子どものように純粋無垢な体温に強張っていた心が解れていき、頭痛の痛みが消えていく。  「本当によかった」  航の泣き声につられて伊織も泣きそうになり、気づかれないように洟をすすった。

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