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第20話

「でねー高田がさー」 子守唄代わりの何気ない会話、久方ぶりに感じる微睡んだ空間に重い頭を机に預けたままザラザラした赤と紺のレザー上を指先が行ったり来たりする 「てか昨日お前に電話したんだけど知ってたー?」 閉じかけていた瞼を頑張ってこじ開けて脚を組んで椅子の背もたれに肘をかけ反対の手が握るスマホの上を親指が忙しなく動いてる事だけが確認できた 「ごめ、携帯壊した」 「は?まじ?」 ピタリと親指が止まって凝視されてる事が顔を見なくても分かる 「なんで」 「落とした」 本当のところは夜中に起きてあまりの気持ち悪さにトイレで嘔吐いている所弱い頭で誰かに連絡してしまう事が怖くて勢いに任せてトイレに水没させてしまった (誰かって、、そんなの1人しかいないのに) ここにまで来て自分にすら嘘をつくのが馬鹿馬鹿しくて嘲笑が溢れる 「まっ、いいけどさ」 軽く流してくれた藍が次の話に移って俺も怠い瞼をゆっくりと閉じた時だった ガシャンッ 「あっ!!危なっ!!!」 「ちょっ」 教室の中央辺りから聞こえてきた切羽詰まる大きな声と目の前で藍が焦って立ち上がる気配に何事かと頭を上げる 「いってぇ、、」 「お〜い大丈夫かよ、ごめんな渕咲」 俺に覆い被さる大きな身体、人の体温、背後と耳元ではお前のせいだとか悪いのはそっちだとかヤイヤイ言い合う会話が遠くで聞こえる 「どけよ」 お昼の賑やかなムードが一瞬にして静まり返って冷たい声は普段の明るさを微塵も感じないくらい低く空気を揺らす音だ 「藍〜そんな怒んなってば〜ごめんって」 「そうだよ〜怪我もしてないんだし落ち着こ」 「退けって言ってんだけど」 藍の異様な変わりように取り繕おうと呑気な声を出した男達を一斉して未だに壁と身体を挟むようにして伸し掛る男の首根っこを引っ張り引き剥がした 「まほろ」 身体から重りが退かされ光が差し込んでも俺の目は何も映す事がなく一点をカタカタと見詰めて藍が椅子の足下にしゃがんで心配そうに見上げてる事も今の俺には見えていなかった ゾワゾワと背筋に嫌なものが駆け抜けて全身が鳥肌立つ 「う"っ、、」 胃が痙攣し始めて口を覆うと誰かが俺の手首を引っ張り起こす ボヤけた視界に白い綿毛みたいなものがフワフワ揺れて釣られるように抵抗する気力もない俺は黙って縺れる足を動かした 「おぇ"っ、、」 光沢を持ったミルクティー色の床に倒れ込んで便器の中に堪えていたものを何度も吐き出す 遠くで次の授業を知らせるチャイムが校内に反響していた 「生きてっかー」 ペットボトルから自分の頬に乗り移った結露が垂れて床に雫が落ちる 「ほんと飯食えよなぁ飲めるか?」 一瞬何処かに消えた藍が手にして戻ってきたスポーツドリンクのキャップを外して俺の唇に当てるとモワッとした甘さが口内を濡らして顎を伝う 「ハッハッ、、カヒュッ、ヒュッ」 喉から気道を奪うように痙攣して上手く空気が吸えない 段々座ってるのも難しくなって倒れていく上体と酸欠でブラックアウトしていく思考、最後に見えた慌てた藍の顔が珍しくて面白いものを見たと少しの安堵が湧いた ゆさゆさ上下に揺れる身体はまたあの悪夢を見ているのだろうか苦痛に奥歯をギリギリと噛み締めて早く覚めろと手首に爪を立てる 「や"め、、っろ、、」 暗闇で逃げても逃げても得体の知れない巨体に迫られる恐怖は計り知れない物で呼吸を忘れた人間のように口をパクパクとするだけ 池で餌を待つ鯉みたいに、、とても滑稽だ 「ぅ"、、ん"ん」 「大事なもんなんだろ、、」 外部の力で強制的に強ばった指先が優しく1本1本解されて手首にゆっくり重ねられる その上から更に重ねられた温かさに肩や背中の筋肉は力が抜けて軽くなる 「うぅー、、」 気道や肺がやっと役割を思い出したように広がってスーッと空気が入ってきた 「もう少しでくるって、、まほろ」 何が来るんだろう夢と現実が曖昧な朦朧とした意識の中で思うがやっと手に入れた束の間の休息に体力を使い過ぎた身体は悲鳴を上げて起きようとしない 「、、ろ、、まほろ起きて」 凄く深い眠りに落ちて随分長く寝ていたような感覚から抜け出せずに手も足も程よくぽかぽかと痺れている 「ほぉら行くぞー」 まだ半分眠った状態の寝ぼけ眼で強引に上体を起こされて眉間を寄せる 「らん、、俺ねむい」 「ハイハイぽやぽやちゃんかぁ?ま、30分も寝れてないからなー俺送ってったげるから家で寝なよねー」 空気が揺れる振動に笑ってるなこいつと思いながらベッドに腰掛けてユラユラと足を揺らしてみると上からフードを目深に被らされた 「ほい乗って」 この時俺はやはり藍はとても気の利く奴だと思った何故なら今にでもこの緩やかに襲い来る眠気に身を任せてベッドに逆戻りしたいくらいには睡魔の限界だったからである 「ほんじゃ、帰りますかー」 目の前にしゃがんだ背中に全体重を預けて負ぶって貰う 心地のいい振動と温もりに眠気を誘われて背中に顔を埋める 「おーい走ってる時は頼むから寝んなよー」 横をパタパタと走り抜ける音やあちこちから聞こえる話し声に今は休み時間かと思いながら顔を上げるのも面倒なのでうんうんと額を擦り付ける (あれ、、?) すりすりと鼻を撫でる布から甘いバニラの匂いが微かにした気がして息を思い切り吸い込む 肺いっぱいに満たされた空気にキュウッと縮む心臓と上がった心拍数に俺の体はやっぱり可笑しくなってしまったのかもしれないと思った 「ちょっと離してくれないとバイク乗れないんですけどー」 クスクスと笑う声が聞こるがそんな事よりも無意識に力を込めた腕を離さずに困らせたかった 何とか出せたのであろうバイクに頑張って跨ると自分の我儘が通った事に安心する 「じゃっ行くからちゃんと掴まっとけよー」 何がそんなに可笑しいのか終始ずっと笑い続けていた藍もバイクを走らせると当たり前に無言になって少しの違和感と離れ難さに困惑しつつもこれは風邪のせいだと決めつけて引力のように惹かれるその背中に額を預けた

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