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第3話
約束通り二人は音楽室前に着くと、中から微かに談笑している声が聞こえてくる。
「もう既に先客がいるようだな。この感じだと、前から入り浸ってそう。」
翠が「どうする?」と見上げると鷹生は明らかに落ち込んで肩を落としていた。
鷹生の下がった肩に手を置いて翠は慰めの言葉をかける。
「まぁ仕方ない、明日の昼また弾きに行ったら良い。」
「それはそうなんですけど…。」
「ん?」
「えっと、その……。」
鷹生は何かを言いたげにモジモジしながら俯いていたが、その様子に翠は少だけイラつきを覚えながら話しかける。
「なんだ、言いたいことがあるのなら言わないと僕は分からないんだぞ。」
「す、すみません!あの、もっと、先輩と話をしたり…、な、仲良くなりたくて…。」
その発言に思わず固まった翠は変人を見る目で鷹生を見た。
「お前、変わり者だな。」
「えぇ!そ、そうなんですか…?じゃあやっぱり迷惑ですか…?」
そう言って鷹生は翠を見つめる。
まるで大型犬のように見つめてくる鷹生に翠は大きなため息を吐いて答えた。
「物好きな奴だなぁ…。仕方ないから一緒に帰ってやるけど、別の道だったら諦めろよ。」
「…!はい!ありがとうございます!」
鷹生は上機嫌で学校玄関へと向かった。
鷹生にとっては幸いなのか、二人の通学路は同じ方面のようだった。
二人のさす傘には幾つもの雨が降りかかり大きな音を立てて滑り落ちる。
今日は一段と強く降り、二人の足元は雨水の跳ねかえりでびっしょりと濡れている。
鷹生と翠は雨音に声をかき消されながらも会話はぽつぽつと繋いでいた。
「先輩は趣味とかあったりするんですか?」
「いや、特に無いな。」
「ど、動物とか好きですか?俺んち、犬と猫どっちもいるんですけど…」
「へぇ、名前は?」
「犬が文太郎で、猫が玄次です。」
「し、渋いなぁ。」
「じいちゃんが名前付けてるので。」
道中、少し寂れた商店街を歩く。
分かれ道に差し掛かると、翠は立ち止まった。
「それじゃあ、僕はこっちだから…」
刹那、二人の視界全体が強く光ると同時に大きな雷鳴が鳴り響いた。
その音は二人の腹の奥まで響き、思わず肩をすくめる。
すると、次第に雨が強くなり傘だけでは忍びなくなっていった。
古い商店街を歩いていた二人はシャッターが閉まった店と店の間にある喫茶店を見つけた。
半地下にあるようで、雨水が階段を伝い排水溝に流れている。
オープンの札がかかっているが中に入って良いのかと思うほどに古く、外壁には蔦が絡まり放題だった。
翠が扉に手を添え力を込めると、扉はあっさりと開き「カランカラン」とベルが入店を知らせる。
珈琲の薫りが漂う店内は昔ながらのシックな作りで少しだけ薄暗いが、年代を感じさせるランプからオレンジ色の光が柔らかく照らす。
大雨だからか客は見当たらないが、カウンターの男性、所謂「マスター」がグラスを磨いていた。
雨に濡れた二人に気付いたマスターは長いうねりのある前髪を揺らしながら話しかける。
「いらっしゃい、タオルが必要だな。ちょっと待ってろよ。」
「すみません、ご迷惑をお掛けして。」
「なに、いいって。田舎なんだから、お互い助け合いだろ?」
翠の言葉にマスターは笑顔で返す。
手に持った二人分のタオルを投げ渡すと、まさか投げられると思わず慌てた翠の目の前で鷹生が片手で掴み一つを翠に手渡す。
急なことに翠は少しだけ固まっている。
「お、ナイスキャッチ~。」
「はい、先輩どうぞ。」
「あ…うん、あり、がと…。」
マスターは好きなところに座るよう二人に話すと、手際よく水とおしぼりを用意している。
翠はすぐ近くの席に座り向かいの席を指差した。
「ここにしよう。」
「あ、はい!」
鷹生も座ると、マスターが気さくに二人に話しかけた。
両手に水とおしぼりを二人分持ち、脇にはメニューを挟んでいる。
それを受け取りながら翠は応える。
「ひどい雨だよなぁ、傘役に立たなかっただろ?」
「そうですね、ここがやっていて幸いでした。僕はホットココアで…鷹生は?」
「…あ、俺もそれで…。」
マスターと翠が話している間、鷹生は店内を見渡しある場所をみていた。
それに気付いたマスターは自慢げに話し出す。
「うちの店雰囲気いいだろ?夕方からはバーやってんだぜ?」
「あっ…えっと、…はい!すごくいい雰囲気です!」
どこか噛み合っていない鷹生の雰囲気に気付いた翠は鷹生が見ていた方を見ると、カウンターの奥に布が被さったグランドピアノが目に入り、納得する。
「お前、ピアノ見てたな?」
「え…!あ、えっと…その、はい…。」
恥ずかしそうに肩をすくめる鷹生に翠はやれやれと言うと、マスターが話しかける。
「なんだ、ピアノ弾きたいのか?」
「あ…!え、…っと。」
「はい。ピアノを弾きたいらしいんですけど、学校では恥ずかしくて弾けないらしいんです。」
モジモジして応えられない鷹生本人の代わりに翠が説明すると、マスターは「ははーん」と短い顎髭を撫でニヤリと口角を上げた。
そして二人をチョイチョイと手招きしピアノの前まで来ると、布を一気に外す。
目の前に現れたグランドピアノは年期が入っているが手入れが行き届いているようで本体の艶は新品のように照明を反射させている。
それを見て翠と鷹生は思わず息を飲む。
マスターは言った。
「うちのピアノはイイぜ?見た目は古いが音は良い、俺もジャズクラブに入ってたから知識がある。聴かせてくれよ。」
「ほ、本当に…良いんですか?」
「いいんだって、ほらほらぁ。」
固まってその場で立ち尽くしている鷹生を、マスターは背中を押して強引に座らせるとホットココアを用意しに離れた。
翠は肩を二回ポンポンと叩いて話す。
「昨日弾いたやつ弾いてみろ、気持ちゆっくりな。」
翠の言葉は鷹生の頭にスッと入っていったのか、意を決して鍵盤に向かい合う。
ゴツゴツとした指を這わせ弾き始める。
(気持ち…、ゆっくり…気持ち、ゆっくり…。)
ピアノの音が鳴りはじめると、さっきまで大きく聞こえていた外の雨と雷鳴の音は次第に目立たなくなり鷹生のピアノだけしか聞こえなくなる。
翠は鷹生の後ろで静かに目を閉じ、小さく鼻唄を歌う。
(この歌はきっと誰にも聞こえていない。僕の歌声はきっとピアノと雨音にかき消されているはずだ。)
そう思いながら翠の歌う誰にも宛てないカロ・ミオ・ベンは微かに一人の耳には届いていて、それをただ一人だけ聴いている本人はピアノを曲の終わりまで引き続けた。
その間、マスターは二人をただじっと見つめていた。
弾き終わると、カウンターの方から拍手が聞こえた。
それは紛れもなくマスターの拍手の音で、拍手が終わると二人が座っていたテーブル席にホットココアを置いた。
「いやぁ良い演奏だった、思わず聞き惚れちまった。」
「い、いえ…そんな…。」
マスターに褒められ謙遜している鷹生に翠はココアのカップを持ち上げながら話す。
「人からの評価は素直に受け取るんだ。まぁ、昨日よりは良い演奏になったんじゃないか?」
「…!あ、ありがとうございます。へへへ…。」
「良いコンビだなぁ。」
翠の言葉に鷹生は照れて頭をポリポリとかく。
その二人をみながらマスターはあることを思い付いた。
「そうだお二人さん。もし良ければなんだが、うちでバイトしないか?」
「バイト?」
「あぁさっきも話したとおり、うちは夕方からバーをしていてな。もし同年代の奴らに聴かれるのが恥ずかしいならうちで雰囲気作りにピアノを弾いて欲しい。時間はまぁ…二時間ってところかな。どうだ?」
マスターの提案に二人は驚愕する。
鷹生は慌てて話し始める。
「い、いや俺なんてただちょっと親から習ってただけで…お金を貰う程上手くなんて無いんです!」
「いいや、自分の実力を卑下する必要はねぇぞ。俺が雇いたいくらいに上手いんだ、さっき俺も知識があるっつったろ?もし金が嫌ならうちのメニュー代払うかわりに弾いてくれよ、これならまだいいだろ?」
「で、でも…。」
悩む鷹生に翠は言う。
「ここなら学校の連中は来ない。」
「だから大丈夫」その翠の言葉に鷹生は決心し、立ち上がり勢いよくマスターにお辞儀をする。
「こ、これからよろしくお願いします!!」
「おう!!」
マスターは満面の笑みで鷹生の頭をワシワシと撫で、翠にはウィンクとグッドサインを送った。
それを見た翠は少しだけ微笑んでココアを口にする。
外は既に雨がやみ、アスファルトの水溜まりからは日の光と共に見事な虹が顔を覗かせていた。
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