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第2話

幸と玄関先で別れて家に入ると、母さんの声が聞こえてくる。 今日は機嫌が良いみたいで笑顔で僕に話しかけてきた。 「秀人、お帰りなさい。今日は晩御飯一緒に食べれるからハンバーグよ、嬉しいわよね?」 「…うん!うれしいよ、お母さん。いつもありがとう、宿題したいから、部屋にいくね。」 母さんの機嫌を損ねないように笑顔で話す。 部屋に向かって歩くと呼び止められる。 「ちょっと待って、今日ねご近所さんとお話ししたのよ。その時に教えてもらったんだけど、うちのマンションに住んでる人で旦那さんのDVで家庭崩壊した所があるんですって。奥さんは自殺して一人息子も精神病んだって噂よ。」 僕がもう知っていることを話す母さん。 「そうなんだ、大変だね。」 僕がそう答えると、母さんは声色一つ変えずに続けた。 「絶対に関わっちゃダメよ。父親の血を引き継いでるの、いつ私達を襲うかわからないんだから。ね?」 振り返って僕の目を見て話す母さんは口元は笑っていても目は笑っていなくて、目の奥が真っ暗闇だ。 僕は昔から、この顔の母さんが苦手だ。 まるで大きな蛇に見つかった蛙のように身体が動かなくなって、喉の奥がギュッと締まる。 初めてこの顔を見たのは幼稚園の頃だったかな、家族三人で遊園地に行く予定が父さんだけ来れなくなって、二人で遊園地を回ったときに僕は迷子になってしまった。その時はすごく好きなキャラクターが居て、思わず母さんの目の前から離れていってしまった から。 幸い直ぐに会えたけど、その時僕に話しかけた母さんの顔がまさにその顔だった。 口元は笑顔なのに、話す声も目の奥にも、全てに怒りが詰まっているようにみえた。 それが怖くて怖くて仕方がなかった。それからずっと僕は母さんの顔色を伺って生きている。 今も、背筋が凍るような恐怖を抱いて、でも悟られないように笑顔で答える。 「わかった、大丈夫だよ。」 「そ、いい子ね。」 僕は錆びた歯車のような脚をどうにか動かして自分の部屋に入った。 扉を閉じた瞬間、身体から力が抜ける。 手にはぐっしょりと汗がたまっていた。 「幸、会いたいなぁ…。…宿題しなきゃ。」 僕は震える両手で鞄から宿題を取り出して机に向かった。 椅子に座ってノートを開くと、挟んでいた手帳が落ちた。 「あ、危ない危ない。これは大事なものだからなぁ。」 僕は落ちた「幸について」に書かれた手帳を拾う。 幸の名前を知ったのは今日じゃない。 半年前に幸を見つけた。一目惚れだった。 自信がないように曲がった背中、寝癖と元の癖でうねりのある髪の毛、子犬みたいに怯えた瞳の中は薄暗く濁っているのに少しだけ反射で青く光っていた。 「絶対に僕だけのものにしたい。」 「誰もいない、僕とあの人だけがいる空間に閉じ込めて僕だけを見ていてほしい。」 そんな考えが僕の頭の中をぐるぐると駆け回る。 きっと僕は異常なのかもしれない。 それでも良かった。僕はあの人を、「幸」を僕の物にしなければならないと躍起になって調べだした。 近所に住んでるおばさん達の話し声に聞き耳を立てながら幸の名前、家庭環境の事を知った。 幸にはバレないよう後をつけて、いつも行くコンビニで何を買っているのかも調べてこの手帳に書き残した。 これは僕の宝物。幸と僕が幸せに暮らすために必要なもの。 今はまだ小学生で母さんには逆らえないけど、いつか二人で遠くまで逃げて、幸せになるんだ。 その為だったら僕は友達と遊ぶことも、母さんからの重い期待も全部耐えられる。 「そろそろ宿題やらなきゃ。」 手帳を鞄の中に押し込んで宿題を始めた。

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