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占領
始終堅苦しかった戴涙式が終わり、その反動から、夜の宴は賑やかなものになった。
島の中央の広場には、新しい王を祝福するために、島のあちこちから人が集まってくる。そのまま自然と宴に参加する彼らのおかげで、広場はすぐに人でごった返した。
男も女も、老人も子どもも、島の新しい王、シラ・トワイライトを讃え、竜神に感謝を捧げた。
アル・カワールの民は、普段は慎ましく暮らしている。自然と共にある島での暮らしは、けして楽ではない。
しかし今日は特別だ。
豪華な食事に、樽ごと置かれた酒。
所狭しと並んだ惣菜や飲み物も、次から次へと人々の手に渡る。
その賑やかな雰囲気を焚きつけたのは、城のバルコニーに顔を出した、新王、シラの姿だった。
歓声に応え、シラが手を振る。
「アル・カワールに祝福を!」
「祝福を!」
そして手に持った酒を掲げると、歓声は大きな祝福の声に変わった。
「…………ふぅ」
部屋の中に戻ったシラが息をつく。戴涙式は小一時間ほどだったにも関わらず、半日稽古をするより疲れていた。
「お疲れさま、シィ兄」
「ナディア……」
「これ、何が入ってるの?」
入ってくるなり、ナディアが、先ほどバルコニーでシラが掲げて見せたカップを覗き込む。
「当ててみろ」
「……オレンジジュースね」
「正解」
苦笑したシラに笑い、ナディアが彼の腕を取った。
「お母様が、シィ兄のために食事を用意したわ。どうせ、神官たちとの食事では、ろくに食べるものもないだろうからって。ほら、早く早く」
強引な妹に引っ張られ、シラが立ち上がる。
シラは正直、あまり腹も減っていなかった。
今日はもうこのまま、ベッドに倒れて、何も考えず寝てしまいたい気分だ。
しかし母が作ったとなれば、食べないわけにはいかない。
「……ナディア、ナギがどこにいるか知らないか。式の途中から姿が見えないみたいだ」
「ナァちゃんはどうせ、竜神様に、シラの戴涙式が無事に終わったお礼でも言いにいったんでしょ。あの子ったら、竜神様の前でも、いつまでも子どもみたいなんだから」
「それならいいんだが……」
シラの体の海の涙の花 の蕾が花咲いた後、ナギの様子が少しおかしかった気がした。
「ナァちゃんが心配なら、後でロバートにでも探してもらうから。早く行かないと、せっかくの食事が冷めてしまうわ」
「分かった分かった。だからそう引っ張るなよ」
ナディアの腕の力に、シラが密かに舌を巻く。
これでは妹の伴侶云々の話も、しばらく先のことになりそうだ。
そうして、シラが王妃の作った食事を食べようかという少し前、ナギは城の外にいた。
崩れた城壁の隙間をくぐり、海に一番近いところに腰を下ろす。
「……竜神様……竜神様……」
ナギの声など、岩に打ち付ける波の前では、あってないものに等しい。しかしどんなに小さい声で呼んでも、竜神はいつもナギの元へ駆けつけてくれる。
しかし今日は、いくら待っても、竜神は姿を見せなかった。
「式の疲れで、休んでるのかな……」
竜神は寝ない。だからいつ呼んでも、いつもなら海の中から、すぐに顔を出してくれるのに……。
竜神に相談したかった。
自身の服の中を覗き込んだナギが、泣きそうにその顔を歪める。
「どうして……」
王の末裔は必ずその体のどこかに、海の涙の花 の蕾を持って生まれてくる。遠い、遥か昔の、竜神との契約の証なのだそうだ。そして蕾を花咲かせる。
女の場合は、伴侶との初夜を迎えた際に、その花が咲く。
男の場合はもう少し複雑で、まず王になる器であるかないかが重要になってくる。
王になる者であれば、戴涙式を経て、竜神にその涙の雫をもらい、体の蕾を咲かしてもらう。
そうでないなら、その者の蕾は一生咲くことはない。
蕾が花咲くことは、バハル・アル・カワールの王であることの証なのである。
それなのに、なぜか王であるはずのないナギの胸の蕾が、花開いていた。
「王はシラでしょう?どうして俺の花 が咲くの……」
ナギは生まれた時からずっと、王位継承の心配をしなくて済んだ。シラがいたからだ。それなのになぜ今、シラの戴涙式でナギの蕾まで開いてしまったのか。
頼りの竜神は、一向に来る気配すらない。
これだけ待っても来ないということは、きっと何か他に大事な用があるのだ。
ため息をついて立ち上がりかけたその時、異様な音と声が、街の広場から聞こえてくることに気づいた。
喧嘩だろうか。温厚な島の民も、今日ばかりは羽目を外して酒を飲んでいる。
しかし広場に近づくにつれ、それが住人たちの喧嘩の声でないことに気づく。何かおかしい。
「許可なく動く者がいれば、命はないと思え」
そんな物騒な声が聞こえ、ぎくりとする。
その瞬間、運悪く転がっていた空き瓶を踏んでしまい、瓶が派手な音を立てて転がっていった。
「誰だ!」
咄嗟に逃げることもできず、ナギは呆気なく捕まった。
「誰か、将軍に報告しろ。隠れていた一名を捕まえたと。周囲にまだ隠れているかもしれん。探ってこい」
「はっ」
「どうして本土の兵士が島に……?」
広場にいた者は皆一纏めに集められ、周囲を兵士が囲んでいる。物騒な武器を手に。
その格好ですぐ、兵士たちが本土から来ているのが分かった。
「どうして……一体何が起こってるの……」
咄嗟に見上げた丘では、いつもと変わらない城がそこにある。だがここにこれだけの兵がいて、城にいないわけもない。
「ヤツら、突然現れたんだ。あっという間に包囲された」
「ヤツら使節団だと言ってやがる。ケッ、本土の使節団は、武器を持って、ひとの家の庭に勝手に入るのか」
「シッ。聞こえるよ」
「城のみんなのこと、誰か、何か聞いてない?」
小声で尋ねたナギに、皆一様に首を横に振る。
「そんな……みんな……。母上…シラ…ナディア……」
「そこ!許可なく喋るな!」
呟いた言葉が兵士に届いてしまう。
兵士が持っていた棒を、ナギ目がけて振り上げた。
「っ……」
次に襲うであろう衝撃に、ナギが備える。
しかしいつまで待ってみても、痛みは襲ってこない。
恐る恐る目を開けてみると、棒を振り上げた兵士の腕を、大きな手が掴んで止めている。
逞しい腕の先には、精悍な顔つきの男がいた。
不機嫌な表情で、ジロリと兵士を一瞥する。
睨まれた兵士は縮み上がった。
「あ……将軍……」
「無用な衝突はするな。無用な暴力もだ。お前たちは、アルワーンのところの兵士だな?」
「し、失礼しました」
「下がれ。俺の部隊で暴虐な行為は許さん」
「はっ。申し訳ありませんっ」
「……悪かった」
それが自分に向けられているものだと気づくのに、少し時間がかかった。
ハッとしたナギは、助けてくれたその男に詰め寄った。
「おいッ、きさま、」
引き剥がそうとする兵に向かい、男が手で制す。
「どうして本土の兵士たちがここに?城は……、城にも向かったの?みんなは……城のみんな……それに島の人たち……一体何が起こってるの……」
ナギの視界が徐々に狭くなる。息が切れ、上手く呼吸ができない。
「パニック発作だ。……こっちへ」
男に促され、人気のないところへ腰を下ろす。
荒く息をするナギの背中を、大きな手がゆっくりと摩った。
「水を」
兵に命じて持って来させた水をナギに持たせようとしたのだが、ナギの指は硬く閉じて開かない。顔からは血の気が引き、今にも気を失いそうだった。
そんなナギを見た男は辺りを確認すると、ナギだけに聞こえる音量で囁いた。
「城では誰の血も流れていない。この広場でもだ。驚いてすっ転んで擦り傷を作ったものはいるが、大きな怪我をした者は、今のところ誰もいない。ここは俺の持ち場だ。俺の兵たちには、狼藉を働いたりしないよう、よく言い聞かせてある」
ナギの肩から、安堵で力が抜ける。
男は硬く閉じたナギの手のひらを開かせ、そっとカップを置く。
「飲め。少しは落ちつく」
「どうして本土は、突然島に攻めてきたりなんか……。協定はどうなったの」
「俺は一介の軍人にすぎない。命令で動くだけだ。それに今回の俺たちの任務は、視察の護衛という名目だ」
「本土の人たちは、ただの視察で、武器を持って人々を威圧するの?!」
興奮したナギの手から落ちかけたカップを、男が掴む。
「興奮しない方がいい。また発作が起きる」
だが興奮するなと言われても、この状況下でそれは無理だろう。
ナギは苦しさを堪えて周囲を見渡した。
人々は不安そうに身を寄せ合い、竜神に祈っている。
そうだ。そもそも、どうして本土の人間が島へ侵入できたのだ。
竜神の起こす海流で、加護のない本土の船が、海から島へ侵入するのは無理だ。
残るは本土に繋がるという地下の洞窟だが、よく知る者の案内でもない限り、あの地下道を正確に歩いて島に辿り着くのは不可能に等しい。そして本土へ繋がる扉は、もう数百年に渡り硬く閉ざされ、王家の封印がされている。
まさか……。
ナギは自身のその考えに、全身の血が凍りつくのを感じた。
まさか城に裏切り者がいて、手助けしたのでは……。
もしそうであるなら、今頃ナギの家族が、あの城で、危険な状況にいるということである。
「おい。大丈夫か。……誰か、軍医をここに連れて来い」
真っ青になったナギを診た軍医は、一粒の薬を男に手渡した。
「飲ませてください。それで眠ります」
それを聞いたナギは立ち上がりると、駆け出した。
不意をつかれた兵士たちが、慌てて後を追う。
「誰か!捕まえろ!」
「おい、乱暴するな」
早く行かなければ。城へ。家族の元へ。あの中に裏切り者がいるかもしれない。早くシラたちへ知らせなければ!
だが少しも走らないうちに、ナギは何者かにぶつかり、そのまま後ろ手に腕を捻られてしまった。
「……あ……ッ」
膝裏を蹴られ、地面に崩れ落ちる。それでも立ち上がろうとする体を、棒で打たれる。
「ッ……ぅ……」
全身が痛かった。これまで喧嘩らしい喧嘩もしたことのないナギが、生まれて初めて受けた痛みだ。
「何をしている!……やめろ!」
今度も、止めてくれたのは、あの将軍だった。
地面にぐったりと横たわるナギを抱え上げ、天幕に向かう。
どうやらそこは彼の天幕らしく、人払いをし、軍医だけを呼び入れた。
「……内臓に傷はないようです。痛み止めを持って来させましょう」
「必要ない。痛み止めなら、俺が以前に貰ったものがまだ残っている」
軍医が出て行き、男と二人だけになる。
ナギは自身の不甲斐なさに唇を噛んだ。
あまりに突然のことでパニックになり、目の前が見えなくなってしまったのだ。
自分のした行為は、自分が王族の者だと口外するようなものではなかっただろうか。今頃になって、失態を晒したことに気づく。
シラならば絶対に、こんなドジを踏んだりしない。ナディアもだ。彼女なら下町の娘にでもなりすまして、状況を見守って冷静な判断をするに違いない。どうしてそれが自分にはできないのだ。
ナギの目いっぱいに、悔し涙が溜まる。
敵の前で泣くまいと懸命に堪えるも、瞬きした瞬間に溢れた雫は、もう元には戻らなかった。
「……っ、……ふっ」
せめて泣き顔を見られないよう、顔を背け、ナギは泣いた。
男は気づいただろうが、何も言わない。
ただ黙って、そこに座っていた。
しばらくして、男が天幕の外に何やら命令し、何かを受け取った。
「……起きられるか。水だ」
ナギは鼻を啜り、今度は素直にそのカップを受け取った。
水を飲めば、腹が痛いとでも言って、抜け出す機会も作れる。
きっと男はもう、ナギが王族の末裔かもしれないと気づいているはず。他の者にバレるのも、時間の問題だ。
機会を待とうと決めたナギの足から、なぜか力が抜けていく。
「あっ……」
倒れそうになるその体を、男が支える。
男の逞しい胸板に体が倒れ、ナギは混乱して男を見上げた。
「すまないが、一服盛らせてもらった。発作は一度起こすと、続けて起こりやすい。少し眠るだけだ。心配ない」
「い……や……」
「心配ない」
男は再びそう言い、ナギを抱き上げて寝台に寝かせる。
男の大きな喉仏が目に入った。
無意識に、ナギがそこに噛みつく。
男が瞠目し、噛まれたそこに触れる。
ナギの意識はそこで途切れた。
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