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錬金術師アルワーン

 色のないナギの顔を見つめていたヨタカは、物音を聞きつけ、立ち上がった。  ヨタカの天幕の外が、何やら騒がしい。  天幕を開けようと手を伸ばした時、それは外から開いた。 「あ……将軍、申し訳ありません。止めたのですが……」  立っているヨタカを一瞥すると、外の兵の制止も聞かず、その者は中へ入ってくる。  兵たちが一様に困った表情で、将軍であるヨタカの方を伺う。ヨタカは深いため息を吐いた。 「ここはいい。周囲の見回りを」  勝手に入ってきた男は、ヨタカには目もくれず、奥へ向かう。  横たわるナギの寝台に腰かけ、ナギの顔を覗き込んだ。 「君が天幕に男を連れ込んだと聞いて、急いで来てみたら、へぇ……。これが、どんな美姫の誘惑にも靡かない、君の好みか」  戯言だと分かっているので、ヨタカは相手にしなかった。毎度のことながら、それが相手にとっては、気に食わない。 「まったく……。相変わらず、イスラの荒野の岩より硬い男だな。揶揄い甲斐すらない。こんな堅物を慕う、君の兵士たちの気が知れない」  面白くなさそうなアルワーンが、そう不満を口にした。  ヨタカの堅物は今に始まったことではない。本国の軍の間でも有名な話である。  戯言を言いながら、アルワーンはその頭の中でまったく別のことを考えている。ヨタカには分かっていた。  しかしそれが何であるかを他人に悟らせるほど、彼は優しい人間ではない。  真っ黒なその腹のうちを見せないのが、アルワーンの得意技である。  怪しげな錬金術を使い、腹のうちを他人に見せない彼が、どうして長年に渡り王の寵愛を受けているのか、ヨタカには全くもって理解し難いことであった。 「見てごらんよ。この滑らかな肌……」  ナギに向かい伸ばすアルワーンの手を、ヨタカが無意識に掴む。  自分でも、どうしてそうしたのか分からない。  おそらく、アルワーンの指があまりにもいやらしく、穢れたものに見えたせいだろう。寝台に横たわる彼とは正反対だ。  珍しく、驚いた様子で目を丸くしたアルワーンだったが、すぐにその表情は皮肉に歪むいつもの彼のものに変わった。それは彼の癖だ。誰も彼の本心を目にすることはできない。 「やっぱりお気に入りじゃないか。君に、島の知り合いがいたことも驚きだけど、それがこんなに無垢で可愛い青年だなんて……。外の兵士たちが知れば、真面目で誠実だけが取り柄の将軍に、ついに愛想も尽かすかもしれない」  ヨタカはアルワーンの手を叩き落とした。  わざとらしく痛がってみせる彼に、感情のない目が向けられる。 「錬金術を扱う私の繊細な手を、君のような武人の無骨な手と同じだと思われたら困るよ、将軍」  そうした、彼のおふざけの最中にも、アルワーンの注意が寝ているナギにあることに、さすがのヨタカも気づいていた。 「知り合いなのか」  どうせ答えないと分かっていて聞いてみる。 「さて、どうだろう。知り合いという意味では、会うのはこれが初めてだ。君と同じくね」  ヨタカは不思議に思った。アルワーンの表情が、妙に輝いている。  彼は年中、やる気のない、全てが面倒くさいと言わんばかりの表情だ。こんな顔を見るのは、ヨタカも初めてのことだった。 「君が偶然彼をここに捕らえたのだとすれば、それはイスラの神の意図するところだ。我らがイスラ王に祝福を」  言葉こそ忠誠心に溢れているが、そんなものがアルワーンの心にあるわけがない。そもそも彼に心があることを疑う。  そう思ったヨタカが、自嘲に唇を噛む。  人のことを言えた義理じゃないのは、彼にも分かっている。  ヨタカは軍人だ。敵を殺して、自国の民を守る。 「……おい、何をしている」  ナギの胸元を開こうとしたアルワーンを見たヨタカが、即座にその腕を掴む。 「っ、ちょっ……とっ……、痛いじゃないか。君は加減ってものを知らないのか」  骨まで握りつぶしてしまいそうなその馬鹿力に、アルワーンが呻く。 「なにもここで、彼と君と三人で楽しもうってわけじゃない。まぁ……それもいいかもしれないが……。こんな可愛い子と、堅物な男が睦み合うところを見るのもいいね」 「戯言はそれくらいにしろ」 「まったく……。これだから軍人は……」  砂漠の毒蛇ですら睨み殺してしまいそうな視線を受けたアルワーンは、可愛い冗談すら聞き流せないのかと、ぶつぶつ呟く。 「寝ている人間に卑怯な真似をするのは許さない」  ヨタカのその一言に、アルワーンがガクリと項垂れる。 「人の話を聞きたまえよ……。アル・カワールの王家には、末裔しか持たない証をその体に持って生まれてくる。……こんなふうに」  ナギの胸元が開かれる。  それを見たヨタカが息を呑んだ。 「これは……」 「そう、これが海の涙の花(シーティアローズ)。私も見るのは初めてだ。……思ったよりずっと美しい」  ナギの左胸、ちょうど心臓の上には、子どもの手のひらほどの青い花が花開いていた。 「海の涙の花(シーティアローズ)。別名、竜の涙と言われる。島の海底に存在する宝石の中でも、文句なしで希少価値が一番高い、その宝石と同じ名前だ。竜の瞳から最期に流れた涙だけが、その宝石になると言われている。王族の血をひく末裔だけが、その結晶と同じ痣を持って生まれるんだ。ロマンティックだろう?そう思わないか」 「……王家の者だったのか……」  本土の兵士を見て、あんなにパニックになっていたもの頷ける。実は全く気づいていなかったヨタカが、驚きに目を見開く。  ヨタカはアルワーンの声を聞いていなかった。  はだけたナギの白い胸に咲いた、真っ青な花から、目が離せない。 「……さてさて、これで面白いことになった」  鼻歌でも歌いそうなアルワーンの台詞に、ようやくヨタカが顔を上げる。 「王家の証の話には続きがある。男にも女にも、その痣は現れる。生まれた時は、痣はまだ蕾だ。女児の場合は、処女を喪失するとその蕾が花開くと言われている。男児の場合は、王となる器の者が竜によって選定され、そうでない者の蕾は一生咲くことがなく生涯を終える」 「……ということは彼は……」 「そこからが問題なんだよ、将軍」 「勿体つけてないで、さっさと言え」  ヨタカがアルワーンを睨みつける。  短気な彼に、アルワーンは肩を竦めた。 「やれやれ……。これだから軍人とは気が合わない。いいか。城にもいたのだよ。体の蕾、海の涙の花(シーティアローズ)を咲かせた青年が」 「それでお前がこっちに来たのか……」  アルワーンは長年、島やその王家についてを研究している。近年は、没頭していると言っていい。  今回島への遠征を指揮した理由も、彼が島に精通してるためだ。  島へ到着してからずっと、アルワーンは城にいた。  ヨタカは暴動などを抑えるため、街で待機している。  彼が城を離れ、ここへ来た理由が何なのか分からなかったが、彼が来た際に言った「ヨタカが天幕に男を連れ込んだと聞いて来てみた」という言葉は、あながち嘘ではなかったのだろう。 「だがなぜ彼が王家の者だと?」 「簡単だよ。調査で分かっていたバハル王の子どもは三人。二人が城にいて捕まっているのに、一人だけ卑怯に隠れているとは考え難い。王家の人間は、高潔な心を持てと言われて育つ。……となれば、一人だけ街にいる可能性が高い。民間人に紛れて、ね」  その王家の調査のために、これまでに一体どれほどの血が流れたのか。  目的ためなら手段を選ばないアルワーンのやり方は、本国でも物議を呼んでいる。しかし王の寵愛を受けているため、神官たちも大きな声で言えないのが現状だ。 「瞳が見たい。起こしても?」  アルワーンが再びナギに触れようとする。 「ダメだ」 「どうしてだ。君も胸の花を見ただろう。もしかしたら彼が、第一王子かもしれないぞ。島の王位継承に年は関係ない。例えこんなに瑞々しい若君であってもね」 「それと瞳に一体何の関係がある」 「はぁぁぁ?言っただろう。島へ来る前に。王家の者の名前は皆、瞳の色で決まる。末裔は必ず、島で取れるどれかの宝石の色の瞳を持って生まれてくる。あれだけ説明してやったにも関わらず聞いていないとは、呆れてものも言えない。その頭には、筋肉でも詰まってるのか」 「発作を起こしたんで眠らせた。この状況で、しかもお前がいる。今起こせば、またパニックになるだけだ」  二の句が継げず、アルワーンは魚のように口をぱくぱくさせた。 「王の指示通り、彼はカラカルへ運ぶ。寝ている間に」 「忘れてやしないか。王が招待したのは、第一王子だぞ。第一王子が二人もいる。王に渡すなら本物でないと。私が詳しく調べて……」  しかし言い終わらないうちに、ヨタカがそれを遮った。 「ダメだ」  アルワーンは舌打ちした。  一度こうと決めたら、梃子でも動かないヨタカの性格を知っているせいだ。  二人が睨み合う。  まるで砂漠の一戦、毒蛇と鷹のようだ。  ヨタカは既に、アルワーンから守るようにして、横たわる王族の青年を背で庇っている。  力でアルワーンが彼に敵うわけもない。  錬金術で調合した薬を使ってもよかったが、ここで争ってもどちらも得をしない。  考えた末、アルワーンは身を引くことを決めた。 「これをやるよ」  腰のベルトから怪しげな小瓶を取り、ヨタカに放り投げる。 「象でも一瞬で眠らせる薬だ。運んでる最中に、彼が目覚めて暴れないとも限らない。大事な王への贈答品だから、傷でもついたら大変だ。出発の前に飲ませるといい」 「王は王子を招待すると言った。贈答品ではない。物扱いするな」 「はいはい。城にいる方の王子のことは、私が責任を持って王に報告する」 「……何を企んでる」 「嫌だなぁ……。そんな目で見られると、久々に興奮しそうになる」 「……用がすんだらさっさと出ていけ」  アルワーンを叩き出すように天幕から追い出し、ヨタカは密かに、信頼のおける部下の鷹使いを呼び寄せた。王への伝言を預けるためだ。  いつも大体、鷹を使っている。しかしここはアル・カワールの領内で、まだ竜神も見つかっていない。万が一のこともある。鷹使いと相談し、鷹を数匹に増やすことにした。  ナギの元に戻ったヨタカは、乱れた胸元に気づき、躊躇しながらもその服を直した。  しかし美しい顔立ちの青年だ。  その長い髪は波うち、今しがた海から上がってきたような不思議な艶感があった。  触れてみても、濡れている様子はない。  一体これはどういう髪質なのだろうか。  海と共に暮らす民だというので、ヨタカは、本土の漁師たちのような体躯と褐色の肌を想像していた。  しかし彼の肌はまるで日に焼けておらず、白い。  髪の方は、ところどころ日焼けして色が抜けているにも関わらず、海藻のように艶がある。  日中野外にいることがほとんどのヨタカの方が、肌は褐色だった。  その全てが、想像と異なっていた。  ヨタカがハッと我に返る。 「何をやってるんだ……」  髪に触れていた指を慌てて引っ込める。  相手が寝ているのをいいことに、これではアルワーンと変わらないではないか。  まだ年端もいかぬ、見目麗しい青年。  ヨタカはまだ、横たわる彼の、名前すら知らない。  王子であるなら、しかももしこの年で王としての資格を持つのだとすれば、その先は困難の嵐が彼を待っているに違いない。 「俺には関係ない……」  本土の国王の元へ身柄を預けた後は、もうきっと会うこともないだろう……。  ヨタカは街の護衛に戻り、隣国との戦いが始まれば、そこへ赴く。 「もう会うこともない……」  しかし何故か、ヨタカは眠る王子から、目が離せなかった。

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