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アル・カワールへの切望

 バハル・アル・カワールは、本土イスラの地から目と鼻の先にある島だ。それなのにも関わらず、本土の者からは「絶海の孤島」と呼ばれていた。  ひとつの理由は、近くにありながら、船で近づくことができないことにある。  竜神が島の周囲を絶えず回遊し、その海流が島の住人以外の侵入を拒む。 「海流に何らかの(スペル)がかかっているに違いない」 「いやいや、きっと海底だ。海底に(スペル)が敷かれているんだ」  噂が噂を呼び、島の謎は神官たちの間でも、たびたび熱狂的に議論された。 「あの海流さえなければ、海底の石も取り放題なのだが……」  もうひとつの理由がこれだ。  島の海底には、この世界に存在する以上の、ありとあらゆる種類の宝石が、原石のまま存在している。まさに天然の宝石の宝物庫だ。  島の海底活動の末に生まれたものか、歴代の竜神から生まれたもの。  そういう、ざっくりしたことしか、今のところ分かっていない。  数年に一度、ごくごく一部の宝石が市場に出回り、それだけでも、島の十年分の財源になると思われた。 「おい、聞いたか。島で取れた紫水晶(アメジスト)、特級品で取引されて、西の大国が手に入れたらしい。それがなんと……、一国が買えるほどの値がついたらしいぞ」  声を落として囁かれた噂は、その次の日には街中に知れ渡り、昼すぎには、城の方まで伝わった。  最近の干ばつで神官たちの懐が寒いことも手伝い、皆一様に、苦虫を噛み潰したような顔で妬みを口にした。  ここ本土、イスラの地は、その言葉通りに豊かな大地だ。  肥沃な、広大な大地。南国らしい灼熱の気候と、潤いの源である突然のスコール。  王都カラカルを中心に、膨大な物流の、大陸の要である。  しかしここのところ、西の砂漠が急速に拡大しており、砂と灼熱の進行に、人々は少なからず恐怖を感じ始めていた。  雨不足による農作物の不作のせいで、各地で飢饉が起こり、不穏な暴動の影もちらほらしている。  それらの救済に当たるイスラの都、カラカルの財政は、正直なところ苦しい。  イスラ王の命で、今まで私腹を肥やしてきた神官たちからも、民の救済のため、たっぷりその懐から出させたところだ。  つまるところ、多くの神官たちの不満はそこにあった。 「それもこれも、雨が降らないせいだ。島のバハル王の返事はまだ来ないのか」  竜神の力を借り、雨雲を呼びたい。  イスラ王の印の入った正式な書面を送ってから、ゆうに数ヶ月は経った。 「無視しているのでは?放っておけば、イスラは衰退すると踏んで」 「そもそも竜神と対話するなど、本当にできるのか?本土では確認されていない。ただの噂でしかないぞ」 「現に竜神のおかげで、島は様々な侵略から守られているではないか。なぜ私たちイスラの民が、砦のように前線で、ヤツらのことを守ってやらねばならない!恩を仇で返すヤツらなど、隣国と協定を結んで、いっそ攻め落とせばいい」 「分かっているだろう。隣国と攻めたところで、あの島は落ちない。千年前の悲劇を繰り返す気か」  シンっ……と、その場が静まり返った。 「かつて竜の逆鱗に触れた本土の民は、全てを呑み込む津波で多くを失った……。過去の悲劇を繰り返さないため、先人たちが壁画に誓いを刻み、年に一度必ず、島へ捧げものとして、十名の人間を送る。忘れたわけではあるまい」 「ふん……。その人間がいなければ、島の人口は減るばかりだろう。イスラが、島の人口減を助けてやってるに過ぎない」 「いや、それはどうかな……。調査によると、島の人口は、安定して一定の数字を保っているらしい。イスラから送る人間たちの半分を老人にした数年分のその後も、特に変わらなかった」 「数年で何が変わるか!いっそ十名全員を、この先ずっと老人と罪人にすればいい」 「それがいい。奴らの血をじわじわと穢してやろう。竜神も見限るほどに」 「だから言っているだろう。そんなことをして、竜神の怒りを買ってしまったらどうする!」  神官たちが激しく議論するところへ現れたのが、つい今しがたまで寝てましたと言われても驚かないほど、全身からやる気のなさを醸し出したアルワーンだった。  彼が現れたことにも気づかない神官たちの後ろで大欠伸したアルワーンは、腰のベルトから瓶を取り出し、何の前触れもなくそれを撒いた。  途端、モワモワと、どぎつい紫色の煙が部屋に充満する。 「な、なんだこれはっ……ゴホっっ」 「し、染みるっ……目、目にっ……」  パニックになった神官たちが我先にと、出口から出て行く。  アルワーンは再び別の瓶を取り出すと、それを垂らした。すると瞬く間に、煙がスッと消えていく。  神官たちが去った広い部屋で、アルワーンは再度大きな欠伸をした。 「―――私がここにいると、知っていて撒いたな」

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