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錬金術師の秘密

 イスラ王だった。  薄い垂れ幕で遮られた奥から、アルワーンの無礼を注意するでもなく、気怠げに声を出す。  玉座ではなく、長椅子(カウチ)に横になっているようだった。 「こうでもしないと、うるさい蝿が飛び回っている中で、話なんてできないだろう?」  横柄な態度にも、誰からの激昂の声も飛んでこないことを不思議に思ったアルワーンが、垂れ幕の向こうを覗き込む。  そこに侍従はおらず、侍女も一人もいない。 「ひとり……なのか……?」  だが影に立つ男を見たアルワーンは、面白くなさそうに鼻を鳴らした。 「いつもいつも、ご苦労なことだな、将軍。その無愛想な仏頂面を見ると、こっちの気が滅入るよ。右将軍といい君といい、よく王の気分を損ねないでいられるものだ」  嫌味な台詞にも、オブシディアンは眉ひとつ動かさない。  腕組みしたままイスラ王の傍に立ち、アルワーンを見ようともしなかった。 「軍人っていう人種は、生まれつき面白味のない人間なんだろうねきっと……」  自堕落さを愛するアルワーンと、自身を律する堅物の軍人は、世界がひっくり返って混ぜ返されても相容れない存在だ。  皮肉を続けようとするアルワーンを、イスラ王が遮った。 「今日集まった神官たちは、今回の視察の件をまだ知らない。そう……、だから人払いは妥当だ」  それはオブシディアンに向けたものだ。見た目には全く分からないが、イスラ王には彼の憤りが分かっていた。 「そんなことより、あっちの王子の様子は?」 「心配無用ですよ。全ては滞りなく」 「こちらの王子は八分咲き。お前の見立て通りだ」 「まぁ、率直に言えば、王になるかどうかは関係ないんですがね。重要なのは王家の末裔であることと、男児であること。その二つだ。……その後、体に変化は?」  イスラ王が気怠げに首を振る。  その顔色はすぐれず、起き上がるにもオブシディアンの助けを借りている。  アルワーンは目を細めた。 「やはり血ではないのか……」  言い訳になってしまうが、研究の材料があまりにも足りない。  島の王家についての史料がほとんど残っておらず、島を守護する竜神のせいで、孤島となったアル・カワールには、長年に渡り本土の調査の手が及ぶこともなかった。 「安心していいよ、イスラ王。まだ当てがある」 「当然だろう」  低く唸るその憤りの声は、イスラ王のものではなく、オブシディアンのものだった。  普段は無口で、滅多なことで感情を爆発させたりしない彼が、アルワーンにはよくその牙を剥く。 「お前のような者が自由にいられたのも、イスラ王の加護があってこそだ。その恩に報いろ」 「何を怒ってるか知らないが、私に当たるのはやめて欲しいね。錬金術というのは、研究に実験を重ね、錬成に更に時間がかかる。短気な君のような者には到底理解できないだろうが」 「そんな悠長なことを言っている時間はない」 「やれやれ……、怒ってないと喋れないのか?時間ならある。主治医から聞いてないわけじゃないだろう?体内の毒は、今すぐ死に至らしめるものではない。そんな辛気臭い面して、この話をするのはやめたまえ。大体、王に毒を盛った犯人は私ではないぞ。王の体の不調の憤りを私に向けるのは、お門違いもいいとこだ」  オブシディアンがイスラ王を見て、ぎこちなく目を逸らしたのを、アルワーンは見逃さなかった。 「それに……、王の不調は、毒のせいだけじゃないのではないか?盛りのついたどこかの獣が、王に無茶な真似をしたせいでは?快楽の限りを尽くした私の目を、侮ってもらっては困る」  オブシディアンは表情を変えない。  しかし彼の心の奥底では、行き場のない怒りが渦巻き、その吐け口を必死で求めている。アルワーンには読まれていた。  二人の険悪な空気に、イスラ王が大きくため息をついた。 「面倒だなお前たち……。私はもう行く。やるなら二人で勝手に……」  立ち上がろうとした体が崩れ落ちそうになる。 「ペリア!」  オブシディアンが咄嗟に支えなければ、床に打ちつけていただろう。  それでもイスラ王は、自力で立ち上がろうと、オブシディアンの腕を突っぱねようとする。  そんな彼の体を抱え上げ、オブシディアンが長椅子(カウチ)に横にさせた。 「……必要ない。部屋に戻る」 「ダメだ。少しここで休んでからにしろ。……安心しろ。しばらく誰も来ない。薬を取ってくる。……頼むぞ」  後半はアルワーンに向けられたものだ。  イスラ王のためなら、気に食わない人間にも頭を下げられる。アルワーンの、苦手とする種類の人間だ。  イスラ王の顔面は蒼白だった。  アルワーンでさえ、彼を気の毒だと思う。  王位継承の最下位で、王になどなるつもりなどさらさらなかった彼が、運命という荒波に呑まれ、イスラ王という椅子に座らされた。  目の前のテーブルにはイスラの大地を置かれ、今日からこれはお前のものだと言われる。  そして欲しくもない食事をずっと続けさせられた挙句、それを欲しがる何者かが彼を暗殺しようと、毒を盛った。  毒はアルワーンの錬金術をもってしても特定できず、何の毒か分からなければ解毒剤も作れない。  どういう訳かアルワーンには、昔から、イスラ王の心に開いた、虚な穴の存在が分かった。  この世の、ありとあらゆる快楽を片っ端から味わったアルワーンは、並大抵のことでは、もう心が動かない。  始めからあったかどうかは怪しいところだが、心というものを失って久しい。  元々昔から淡白で、感情の起伏がなかった彼だからこそ、この世に対する執着を失ったようなイスラ王のことが、理解できたのかもしれない。  だから竜神の力に解毒作用があることを知った際、アルワーンはすぐに島への遠征を提案した。  イスラ王を救ってやりたいと思ったのは、嘘ではなかった。  ただ、自身の研究のついでに……、感があるのは否めない。  そういうところが、オブシディアンには見抜かれている。  オブシディアンが戻ってくると、彼に王を任せ、アルワーンは自室へ戻った。  必要なものを纏め、床に描いた陣の中へ置いていく。  アルワーンの指輪が光った。  ボンっという音と共に、そこにあった荷物が消える。  今はまだ荷物しか送れないが、実験を重ねればそのうちに、人間の移動も可能になる。  もし大量の兵たちを送れるようにでもなれば、戦は大きく変わるだろう。  だが今のところ、アルワーンは誰にもそのことを告げていなかった。  単純に、興味がなかったからだ。  そして、賭けてもいいが、きっとイスラ王も同じだろう。  聞いたところで、ふーん……の一言で終わるはずだ。だが王を取り巻く周囲が黙っていないだろう。  面倒なことが嫌いなアルワーンなので、わざわざ面倒ごとに自分から首を突っ込もうとは、微塵も思わない。  地下へ続く回廊へ向かい、長い階段を降りていく。徐々に冷え冷えとした空気が流れ出す。  階段を降り切ったところで、その寒さにアルワーンは思わず身震いした。  腰元のベルトから小瓶を取り、そして懐から出した巾着から取り出したのは、なんと凍ったネズミの死骸だった。蛇のための餌を、地下の倉庫から勝手に頂戴したものだ。  小瓶の中身は、金属的に鈍く光る、ドロっとしたものだった。  ふりかけられた死骸から白煙が上がる。  煙の中でムクムクと影が伸びて、それは膝ほどの大きさになった。  煙の消えたそこにいたのは、二匹の大きなネズミだった。 「荷車を引いてくれ」  ネズミはアルワーンに言われた通り、彼の乗った荷車の引いた。  荷車は小さいが、アルワーン一人が乗るには十分だ。  ネズミは引き手を持ち、まるで人間のようにスムーズに地下道を進む。  島へと続く複雑な海底洞窟の道を、アルワーンは既に覚えていた。  神官から求められた地図には、半年かかっても辿り着けないような道のりを描いた。  しかも途中は、毒虫や有毒なガスが出る一帯を通る。  普段城から出ない神官たちが辿り着くのは、まず困難だ。洞窟で迷い、死骸になって、ネズミの餌になるのがオチだろう。  それに、彼らに簡単に行き来されては、アルワーンにとっては都合が悪い。  ネズミたちが引く荷車は、小一時間ほどで島への扉に到着した。 「この辺りで休んでいい。私が声をかけたら来るんだよ」  ネズミたちが、チィチィと鳴きながら辺りを探る。 「錬金術とは、死んだものすら生き返らせることができる」  神官たちの間で囁かれているそれは、事実とは異なる。  錬金術は万能ではない。  本当に使者を生き返らせることができるのなら、今頃墓は不要の産物だ。  二匹のネズミは、生き返ったわけではなく、もう元の“ネズミ”という生き物ではない。  アルワーンは仕掛けを動かし、島の城に続く扉を開けた。  ここからまた長い洞窟を、正しい道順で進まなければならない。 「休憩は終わりだ。また頼むよ」  島の城の地下についたアルワーンは、城内へ続く階段を上がった。  

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