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クーデター

「王!」  椅子ごと倒れそうになるイスラ王をヨタカが支える。  間一髪のところで、王と椅子は何とか体勢を整えた。  ヨタカは躊躇うことなく、イスラ王を抱き上げた。 「長椅子(カウチ)へ」  ヨタカがイスラ王を抱き上げるその光景に、ズキンと、ナギの胸が痛む。 「俺は医者を呼んでくる。王を見ていてくれ」  ハッとしたナギは、イスラ王に駆け寄った。  イスラ王の顔色は悪く、苦しそうに胸を抑えている。  触れた手足が、まるで冬のように冷たい。  あまりにも苦しそうなので、胸元を緩めようと伸ばす。  しかしその手はイスラ王に拒まれた。 「な、にを……」 「苦しそうだから緩めるだけだ。変なこと考えないで。みんながみんな、あなたみたいじゃないんだから」  その台詞に、笑おうとしたらしい。  イスラ王が大きく咳き込み、そして血を吐く。  突然の出来事にナギは唖然とした。  しかしすぐに我に返り、イスラ王の体を横向けにさせた後、その背中を優しく摩った。前を緩めるのも忘れない。  苦しそうに、胸が大きく上下する。  覗いたその胸の上に、まるで蔓のような模様が見え、ナギは首を捻った。それにどこか見覚えがあるような気がしたのだ。 「王はどこだ!」  言うより早く、ナギを見つけたオブシディアンが、長椅子(カウチ)まで駆けつける。  彼は背中に誰かを背負っていた。  下ろされたのは老人で、本国の神官と同じ服を着ていた。 「やれやれ……。暴れ馬に乗っていた気分だ……」  ふらついた彼を支えたのは、追いついたヨタカだった。 「早く診てくれ」 「分かってます分かってます。老い先短い老人を、そう急かすのはやめてください。こっちの方が先に黄泉の国へ行きそうですわい」 「……出くわしたオブシディアンに伝えたら、言うなり医者を背負って、走っていったんだ」  ヨタカがそっとナギに教えてくれた。  医者は少し診察しただけで、大丈夫だと口にした。 「何度も言いますが、オブシディアン殿。王は今すぐ、その身を黄泉の国に沈めるわけではありません。発作のたびにこうして慌てていては、あなたの方が寿命を縮めますよ」  そう言われたオブシディアンは表情を変えなかったものの、明らかにホッとしていた。 「いやいや、送らなくて結構結構。これ以上馬に乗るのは勘弁ですから」  送ろうとしたのはヨタカなのだが、似たような体格の彼を目にして、老人は疑ったらしい。一人でも杖もなしで、さっさと歩いて出ていった。 「起きられるか……」  オブシディアンがイスラ王の背を支える。 「薬を」 「……必要ない」 「血を吐いたんだ。言うことを聞け」 「それを飲むと眠くなる。この後まだ、神官との会議が残っている。それにそんなものを飲んでも、ただの気休めだ。知らないわけじゃないだろう。……離せ、オブシディアン。ここは私の寝室じゃない」 「っ、ペリア!」  二人の様子を見ていたナギは、遠慮がちにヨタカの袖を引っ張った。 「……少し、二人きりにしてあげよう」  ヨタカも異論はないようで、二人はキッチンの方へ移動した。 「イスラ王とオブシディアンは、今でこそ王と護衛、侍従の関係だが、彼らは元々幼馴染なんだ」 「へぇ……そうなんだ……」  皿にデーツを見つけたナギが口に入れるのを見て、ヨタカが密かに微笑む。  この家に軟禁された当初、ナギは何も口にしなかった。少しでも島での暮らしを再現しようと、それはヨタカが持って来たものだ。  ヨタカの思った通り、他のものは一切受け付けなかったナギだが、デーツだけは食べた。  思わずといった感じで口に入れた後で、涙をぼろぼろ溢しながら食べていたのを、ヨタカは覚えている。  以来、密かに厨房から貰っては、このキッチンに置いている。 「幼馴染……」  あの夜のことが、ナギの頭をよぎる。  ナギは慌てて頭を振った。 「ああ。イスラ王は元々、王になることはないはずだった」 「どうして?」 「今のイスラ王は、一番末の第七王子だった。王妃の身分のせいもあって、王位継承には全く関わらないとされていた。だが上の王子たちが次々に命を落として、遂に王のところまで王位継承の矢が届いた」 「六人も……。どうして?疫病か何か?」  その台詞にヨタカが苦笑する。  同時に、ナギが島でいかに純粋なまま育ったかが窺える台詞だと、密かに思った。  悪いことではない。  だが時々、ナギのことが心配になる。  彼の純情(ピュア)で穢れないところが島では輝いていても、イスラの大地の上では、捕食者たちの格好の餌食になる。 「後継者争いだ。イスラ王ともなれば、この広大なイスラの地の頂点。争いが悪化して、兄弟たちで殺し合った結果、彼だけが残った」 「そんな……兄弟で……」  ナギには考えられないようなことだ。  チラッと覗いた部屋では、まだ二人とも言い争いをしているようだった。  感情的に激しくぶつかっているわけではなく、静かに燃える青い炎に、互いにチリチリと、火傷し合っているかのような感じだ。  そう言えばあの夜も、そんな感じだったことを思い出す。 「……オブシディアンが気になるのか」 「……う……ん……?」 「王が来るたび、オブシディアンが来てないか気にしているから」  ナギは驚いてヨタカを見つめた。  ヨタカが気まずそうに目を逸らす。 「いや……、別に大したことじゃないんだ。忘れてくれ」  あの夜の出来事のせいで、確かにイスラ王が来るたび、ナギはその相手を目で探してしまっていた。ヨタカが勘違いしてもおかしくない。  あの時のことを話すわけにもいかず、ナギはどうしたものか困った。  そんな時だった。 「……将……軍……!…………将軍……っ!」  叫び声と共に、荒々しい足音が近づいてくる。  さすがに軍人なだけあって、ヨタカとオブシディアンの反応は早かった。 「何者だ。止まれ。それ以上近づくなら、命はない」  オブシディアンが剣を抜く。  ヨタカが何かに気づいたらしく、そんな彼を止めた。 「待て。知り合いだ。……どうしたんだ。なぜこんなところに?それにその傷、何があった」  走ってきた男は呼吸を整える間もなく、ヨタカの前で膝から崩れる。  地面にはすぐに、彼の血で血溜まりができた。 「今手当てを」 「将軍、クーデターです!い、今すぐ王を連れてお逃げに……ぐぅッ」 「おい、しっかりしろ!」  見れば男の背には、数本の矢が深々と刺さっていた。それ以外にも、体のあちこちに、ここまで駆けて来られたのが不思議なほどの痛手を負っている。  男が盛大に血を吐く。 「かはっ……はぁ……将軍……どうか、我らがイスラ王を……」 「王なら一緒にいる。無事だ。案ずるな」 「よかっ……ヤツら、突然武器を手に……み、みんな……ヤツらに……」  男は門番だった。毎日のように顔を合わせるヨタカと、少ないながらも会話をしていた。  子どもが生まれたばかりで大変なのだと、照れながら話していたのを、ヨタカは覚えていた。 「王を連れて……早く……お逃げに……」 「ああ、分かった。約束しよう。必ずイスラ王を守る。例え俺の命に替えても。お前の働きを無駄にはしない」  ヨタカがその手を握ると、男は安心したように力を抜く。  そのまま、男の力は二度と戻らなかった。  見ていたナギの目から、溢れる涙が止まらない。  イスラ王もオブシディアンも、そして最期を看取ったヨタカも、そこには誰一人として泣く者はいない。ただひとり、ナギを除いて。 「この家には、もしもの時に備えた隠し通路がある。長年使われていないが、崩れてはないはずだ」  オブシディアンがヨタカに言った。 「ではすぐに出発しよう。……王は歩けそうか」 「歩けないなら俺が背負う。問題ない。それより、あの子を頼むぞ。俺は王で手いっぱいだ」 「……また泣いているのか」  気づけばイスラ王が、ナギの側に立っていた。  命を落とした男を見下ろす、その目には何の感情も見られない。  涙を拭うナギを見ると、イスラ王は嫌そうな表情のあと、きつい眼差しを送った。 「君を見ていると、苛々する」  青白い顔でそれだけ言い残し、彼はオブシディアンの方へ向かう。 「……大丈夫か」  入れ替わりに来たヨタカがその涙を見て、僅かに微笑んだ。 「これから隠し通路を進む。ここにいては危険だ。一緒に来てくれ」 「……分かった」 「いいか。何があっても、俺から離れるな」  ナギが緊張した面持ちで頷く。  島から連れ去られ、本土で軟禁され。  ナギを襲った波乱の白波は、ナギの周囲をも巻き込み、まだ凪ぐ様子はなさそうだ。  動かない兵に、ナギは島に古くからある祈りを捧げた。  命を落としてまで他人を守ろうとした彼への、せめてもの慰めになればいいと思った。

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