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潜伏
隠し通路は進むにつれて、足場も空気も悪くなった。
人ひとりが通るのが限界で、大柄なヨタカやオブシディアンは、立っているだけで窮屈そうだ。
その上、イスラ王の体調は、目に見えて悪化していた。
「少し休もう」
そうオブシディアンが提案した時には、ナギは心の底からホッとしたのだった。
ジメジメした、カビ臭い匂い。
長年使われておらず、あちこち崩れかけていて、それを見るたびに、ナギは生きた心地がしなかった。
海と太陽に恵まれ育ったナギにとって、何とも居心地悪い場所だ。出口の見えないこんな場所に、いつまでもいたくなかった。
「一体、誰が起こしたと思う」
オブシディアンとヨタカが、クーデターについて話していた。
聞くともなしに、ナギが耳を傾ける。
「間違いなく神官だろう。怪しいのは、第三王子勢力の中心だったアスワドだ。ヤツは王子を傀儡にし、自分が事実上の王になるのをずっと狙っていた。王子が次々と死んで、一番荒れたのはヤツだ」
「神官の間では、最近の干ばつによる飢饉のせいで、自らの蓄えを持って行かれた不満が募っていると聞いている。そういう輩を味方につけたのかもしれん」
「だが仮にそうだとして、ヤツがこんな大それたことを計画し、実行に移せると思えない。黒幕がいるのは間違いないだろう」
「――渡してやればいい」
突然、イスラ王がそう言った。
「王の椅子など、喜んでくれてやる。こんな面倒なことをせずとも、私に直接言ってくれればいいものを」
「……どこへ行く」
「私は戻る。お前たちは好きにするといい」
掴まれたイスラ王が、煩わし気にその身を捩った。
「戻れば、ヤツらはお前の命を奪うぞ。それに、命がけでお前を守ろうとした、あの兵士のことを忘れるな」
「誰がそんなことを頼んだ?私か?お前か?それとも、死んだ男と知り合いだったヨタカか?それに竜神との契約がある。アスワドも、すぐには私を殺しはしないさ。私が戻れば、このバカげたクーデターなど、すぐに方がつく」
背を向けたイスラ王の首に、オブシディアンが素早く手刀を落とす。
無表情なまま、彼はイスラ王を背負った。
「この道は街外れの森に続いている。もうすぐだ。行こう」
強靭な体の二人に、ナギはついていくのが精一杯だった。
こうなれば、意識がなくオブシディアンに背負われているイスラ王が、羨ましいとさえ思えてくる。
ようやく地上に出た。
息は底をついたように荒くなり、足は震え、満足に立っていることもできない。
「この先に、俺の知り合いの小屋がある。しばらくそこで身を隠す」
小屋まで這うようにして向かい、ナギはようやく、落ち着いて休むことができた。
緊急時に使うことを想定してあったのか、小屋には十分な食料と、清潔なシーツの敷かれたベットが二つあった。
「街の様子を探ってくる」
「俺が行こう」
「しかし…」
「オブシディアン、お前は目立ちすぎる。それに、俺に少し当てがある。街に、普段から会っている情報屋がいる。当たってみる」
目立つ云々で言うなら、二人とも同じだとナギは思ったが、もう声もでないほど疲れていたため、出て行くヨタカを黙って見送る。
家を出る際、ヨタカはナギを振り返った。
何か言いたげにしていたのに、結局彼は何も言わなかった。
ナギがうたた寝から起きると、外はもう夜だった。
通る時に見えた部屋の寝台では、オブシディアンが、眠る王の傍らで俯いていた。寝顔を見ているようだ。
きっと何も食べていないはず。
簡単な食事を用意し、部屋の入り口にそっと置く。
自分はキッチンで適当に食べ、これからどうすべきかを考えた。
いっそこの暗闇に乗じて、逃げるのはどうだろう。
だが逃げたところで、どうやって島に帰ればいいか分からない。海を泳いで渡れればいいが、あいにくナギは泳ぎが得意でない。
じゃあ海まで行って、竜神様を呼ぶのは?
しかし竜神を探している本国にとって、そうなれば彼らを喜ばせることになる。
彼らが竜神に何をするかも分からない。
……きちんと考えて行動しなければ。
それにヨタカが街へ行っている。
今消えてしまえば、彼はきっとナギを心配するに違いない。
そしてここで別れれば、きっともうこの先、会うことはないだろう。
途端、痛んだ胸に、ナギが手を当てる。
不思議だった。
どうしてこんなに、彼のことが気になる?
「……礼を言う」
「わっ」
突然の声にナギは飛び上がった。
「驚かせてすまない。食事をもってきてくれただろう。ペリア……、イスラ王も先ほど目覚めて、少し食べた。トマトオムレツを褒めていた」
「良かった……。実は作れるのって、それだけなんだ。庶民の味だし、俺が作ったって知ったら、きっとイスラ王は食べないと思った」
「あいつがお前につらく当たるのは、八つ当たりなんだ。許してやってくれ」
オブシディアンに謝られ、ナギは慌てた。
「そ、そんな……。仕方ないよ。俺、昔から泣き虫なんだ……。我慢しようとしても、涙が勝手に溢れてきちゃう」
「あいつがお前を見ていると苛々すると言うのは、昔の自分を見ているような気持ちになるからだ。あいつは羨ましいんだろう。きっと。……お前に、失った過去を重ねている」
オブシディアンが遠い目をする。
「……オブシディアンは、イスラ王と幼馴染なんでしょ?どうして他の人の前では、シディとペリアって呼び合ってるのを隠すの?」
そう聞くナギの瞳は純粋 だ。
オブシディアンはナギの頭に手を置いた。
彼の大きな手のひらだと、ナギの頭はすっぽり隠れてしまう。
「大人の事情というやつだ。子どもにはまだ早い」
「あのね……、俺は子どもじゃないし、あなたたちが、気持ちのすれ違いで傷つき合ってるのを見てるのは悲しいよ」
驚いたオブシディアンが目を瞬く。
ヨタカより少し暗い色の瞳が、面白いものを見るかのように微笑んだ。
「少し前まで、泣いて部屋にこもっていた奴と、同じとは思えないな。島から誘拐されて軟禁された挙句、クーデターに巻き込まれて、そしてひとの恋路の心配か?」
イスラ王とは違い、それは皮肉ではなかった。
そして彼は認めた。
それが恋路であると。
オブシディアンは言った。
「ひとの心配より、自分の心配をしろ。ヨタカだが、あれは明らかに誤解している。早くその誤解を解いた方がいい。……ナギ、人生は短い。できるだけ、悔いのない選択をしろ」
それはオブシディアン自身が、過去の何かを酷く後悔しているのだと分かる。
きっとイスラ王に関わることだ。
「……これからどうするの?ずっとここにいるわけには、いかないよね?」
「ああ……。だがまずは、ヨタカが戻って来るのを待とう。何かしろ掴んでいるはずだ。……噂をすれば」
ヨタカが帰ってきた。さすがの彼も、疲れが隠せないようだった。
ナギが冷たい水を差し出すと、礼を言ってゴクゴクと飲み干す。
「……悪いのか」
長年付き合いのあるオブシディアンには、彼の様子で分かった。
「……良くないのは確かだ。城の内部は混乱で、多くの血が流れたらしい。首謀者だが、お前の読み通りアスワドだ。だがヤツの背後に不穏な影がある。東のオアシスで、怪しい男と密会しているのを見た者がいた」
「隣国か?いや……ヤツは強欲だ。隣国と美味い汁を分け合うような人間ではない」
「街にも、ヤツの息がかかった兵が巡回している。まだ隠し通路は見つかっていないようだが、バレればここが見つかるのも時間の問題だ。……ナギ、すまないがブレッドを少し切ってきてくれないか。後で何か食べようと思って、食べ損ねてしまった」
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