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ジン召喚

 辺りは煙で、何も見えなくなった。  煙の中心からは、ドスッ、という何かが落ちる音と、ナギの短い悲鳴が聞こえる。  ヨタカは一気に全身が冷たくなるのを感じた。  見えない壁が消え、彼はすぐに駆け寄った。  晴れた煙の先では、ナギの上に何かが覆い被さっている。  その人物は、落ちた衝撃でフードが頭に被さり、まるでインチキ魔術師のような出立ちだ。 「……おい。いつまでナギに覆い被さってるつもりだ」  底冷えするようなヨタカの声にも、フードの人物は微動だにしない。  その体を、容赦のない蹴りが襲う。  情けない悲鳴が周囲に響き渡った。 「しんっじられないっ。蹴った!蹴ったな今っ!っ、ああああ!痛いっ痛いっ。お、折れた。きっと折れたっ」 「お前が悪い」  痛がるアルワーンに、オブシディアンが冷たい視線を送る。  ヨタカはナギを引き起こした。 「大丈夫か?」 「う、うん。平気……」 「赤くなってる」 「えっ?」 「ここ……」  ヨタカの手が触れた瞬間、ナギはビクリと身を強張らせる。  目敏く気づいたのはイスラ王だった。 「どさくさに紛れて触ったな……」  その言葉に、ナギが耳まで赤くする。  そしてアルワーンが一瞬だけ動きを止めたのを、ヨタカは見逃さなかった。 「まだ我慢しろヨタカ。洞窟を抜けるまでは殺すな」  殺気立つヨタカを止めたオブシディアンのその側で、イスラ王がぼそりと呟く。 「私に持たせたのは、そういうことか」  確かに、瓶を開けるはずだったのはイスラ王で、ナギが開けたのは予定外のことだ。 「きさま……」 「ちょっとちょっと。見てないで、この野獣を止めてくれたまえよ」 「ふざけるな。どうしてペリアにあれを持たせた。言ってみろ」 「何言ってるんだ。イスラ王のために決まってるじゃないか。危機に陥った時に、私という万能な錬金術師を召喚できるように」 「まさか人を移動させる錬成陣を完成させていたとは……。アルワーン、なぜ言わなかった。これは戦を大きく変える」 「だからだよ。……もう気は済んだだろう?離してくれ」  オブシディアンの殺意の腕から逃れたアルワーンが、大きな息をつく。  心底安堵したらしかった。  それだけ、オブシディアンの本気の怒りを感じたのだろう。 「まさかその錬金術を、各国相手に競売させようとしてたんじゃないだろうな」  ヨタカの言葉に、アルワーンは例によってバカにした表情で、大きく肩を竦めた。 「頭が筋肉の軍人の、考えそうなことだな。下手な想像力を働かせてるところをすまないが、私を召喚したからには、要件を早く言いたまえ。いいところを邪魔されて、私も少々機嫌が悪い。鬱憤ばらしにちょっと触るくらい、許されると思うがね。まったく……、久しぶりに、ついに元気になったと思ったらこれだ……。可哀想なヤツだ。もうちょっとの辛抱だからな」  ぶつぶつと呟き、アルワーンが自身の下半身を気にしている。  誰も「何が」や「何を」と、余計なことを聞く者はいなかった。  ヨタカが、かいつまんで、ことの成り行きを説明する。  既に予想した通り、アルワーンもクーデターを知っていた。 「巻き込まれると面倒だから、当分本土から遠ざかっていようと思っていたのだけど……。自分で自分の首を絞める道具を渡していたことを、すっかり失念していた」  軍人二人がその台詞に目を細める。  険悪な雰囲気を破ったのはナギだ。 「あなたは城に、アル・カワール城にいたんでしょう?俺の家族は、母上やシラ、ナディアは、みんな……元気にしてる?」  切羽詰まった声を出すナギを、アルワーンがマジマジと見つめる。  互いに、意識のある状態で会うのはこれが初めてだった。  先ほどの柔らかいナギの感触を、思い出したアルワーンの顔がにやける。  だがヨタカに睨まれた彼は、慌てて咳払いした。 「元気も元気。王妃と王女は毎日、本土の兵いびりで鬱憤を晴らしているし、シラ王子に至っては、毎日元気が有り余っているくらいだ」  その独特な言い回しに少し違和感があったものの、ナギがホッと息をつく。 「君のものも錬成してみたいな……」 「えっ?錬成?俺の……何?」 「味の調整がなかなか上手くいかなくてね。どうだ?私に協力してくれないか。協力してくれれば、王妃と王女を逃すくらい、私には造作もないぞ」 「おい。何を勝手なことを言っている」  ナギは少し考える様子を見せた後、首を横に振った。 「みんなそれぞれ役割があるから、俺がこの場で勝手に決めていいことじゃないんだ」  傍らで聞いていたヨタカが、少し驚いた様子でナギを見る。  そして彼と目を合わせたナギが、照れたようにはにかむ。  一連の二人のアイコンタクトを見ていたアルワーンが、大袈裟に嘆いた。 「……おい。お遊びはそこまでにしろ。ここがバレるのも時間の問題だ。準備を済ませ次第、すぐ出発するぞ」 「オブシディアン、森を突っ切るつもりか」 「ああ。多少回り道になるが、その方が安全だ。途中までは道も平坦で、険しくない。……あまり、歩かせたくない」  オブシディアンの視線の先には、アルワーンの愚痴を鬱陶しそうな表情で聞いているイスラ王がいる。  ヨタカは頷いた。  イスラ王はもちろんのこと、ナギにもあまりきつい道を歩かせたくない。 「五人も連れ立って歩けば、否が応でも目立つ。市街地から離れ、荒野に行けば尚更だ。その分見張りの兵は少ないが」 「だがあの洞窟に着いても、うまいことヤツが現れるとは限らないぞ」 「ここでじっとしているなら、洞窟付近で待機し、機会を待つ方がいいだろう」 「それもそうだが……」  思案顔の二人に割り込んだのは、アルワーンだった。 「そのなりと体格でしかめ面をされると、この世の終わりのようだな。しかもそれが二人もいる」  二人に無視されても、アルワーンはめげない。いつものことだからだ。 「筋肉の脳みそが可哀想だから、助けてやろう。今年も、生贄十名が島へ送られるぞ」 「だから何だ。そのくらい、我々も知っている」 「ではそれが、今年は時期が早まり、冬を待たないことは?」 「まさか……」 「そうだ。今年は数日後に行われる。しかも十名と言わず、貧しい村などから不要な人間を集め、大勢が渡るらしい」 「不要な……人間……?」  その言葉に、ナギが衝撃を受ける。 「誰が承認を?」  イスラ王が険しい顔で聞いた。 「もちろん“イスラ王”だよ」 「バカな……。イスラ王、青印は既に誰かの手に?」 「いいや。あれは厳重に保管されている。島から送られた石の中だ。私の言葉なしでは、例え城のバルコニーから落とそうが、馬車でひこうが、開いたりしない」 「青印……」  それはナギにも聞き覚えがあった。 「昔、島から友好の証に、イスラ王に贈られた印だね」 「ああ。前王から受け継いだ、唯一の遺産だ。海の涙の花(シーティアローズ)の国印。国費にいよいよ困ったら、あれを売るつもりでいた。それで民の三年分の食費を確保できる」 「青印なしで、島と連絡を取るのは不可能なはずだ。あれはまがい物を作ることも不可能だ。お前の情報の間違いではないのか、アルワーン」  アルワーンが自信たっぷりに口端を釣り上げる。 「私の忍ばせた間者が、間違うはずもない。生贄の儀式は数日後、洞窟の祭壇で行われる。新王はどうやら、今回の干ばつで見限った地方の人間を、纏めて島に送ってしまおうと考えたらしい。いつまで経っても姿を見せない、竜神への腹いせだ。贄が足らないなら、足りるまで増やすという皮肉が込められているらしい」 「そんな……。竜神様は悪くない」 「それについては、いささか私も気になっていたよ、末の王子。なぜこんな事態になっても、島の守り神である竜神が、一向に姿を見せないのか」 「それは……、それは俺にも分からない……」  あの日、島が占領された時も、ナギが呼んでも竜神は来なかった。  その後、気がついたらイスラ王の寝室だったため、あれ以降は呼びかけていない。  今呼びかけないのは、本土の出方を見るためだ。竜神が、無駄な争いに巻き込まれるのを避けたかった。  ナギにとって竜神は、守り神である前に、友だちだ。 「まぁそれはおいおい聞いてもいいか……。どうやら私たちは、切っても切れない縁で繋がっているらしいから、焦らなくてもいい。末の王子、私は一度、君に会ったことがある。眠る君は、それはそれは美しい、謎めいた深海に咲く一輪の花のようだった。君は覚えてないだろうけれどね。こうして見ると、確かにシラ王子とよく似ている。でも君は、どちらかと言うと母君寄りだ。シラ王子は父君に似たのかな?」 「えっ、いや、どうかな……」 「父君であるバハル王は病に伏せり、病気をうつさないため、地下の静室に籠ったそうじゃないか」 「っ、どこでそんな話を?」 「おや?違うのかな?王妃の話だと、そういう説明だったのだが」  困るナギを助けたのは、オブシディアンの太い声だった。 「まったく……、無駄口の減らないヤツめ。早く準備をしろ。言っておくが、俺が持つのは四人分の食料だけだ。怪しい術で出したものだけ食べたくないなら、自分で調達しろ」 「なっ!どうしてそうなる?!私を召喚したのはそっちだろう?!」  涙目になって悲鳴を上げるアルワーンを無視して、四人は手早く荷物をするのだった。

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