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ナギの秘密

 ヨタカとオブシディアンは少し驚いた様子で、アルワーンは興味深そうな顔で、それぞれがナギを見た。 「痛み止め……だよね?ちょっと行ってくる。その間に誰か、湯を沸かしておいてほしい」  それだけ言うと、飛び出すようにナギは天幕を出た。  洞窟を回り込んだ先の岩場へ行き、しゃがみ込む。  心配して後をつけてきたヨタカが声をかけようとし、その動きを止めた。  手をつけた海面に向け、ナギが何か喋っている。  しばらくも経たないうちに、海面のナギの手にブクブクと、海の中から(バブル)が上がり出す。 「なんだ……?」  海にはあちこちに、大小黒い影が見えた。それが少しずつ、海面に近づいてきている。 「ナギ、危ないっ」  ナギが得体の知れないものに引き摺り込まれるのでは。  だがそんなヨタカの心配は無用だった。  海面に姿を見せたのは、色とりどり、大小様々な魚たちだ。  珊瑚礁に住むカラフルな小魚から、深いところを棲家とする、不細工だが愛嬌のある大きな魚までいる。  魚たちは皆一様に、ナギに向かって顔を向けているようだった。  ナギがまた、海面に向かって何か話しかける。  すると、魚たちが一斉に、海の中へと消えていく。 「……何だったんだ今のは……」  夢でも見たのかと思うほど、それはあっという間の出来事だった。  近づいたヨタカにナギが微笑む。  そのウェーブの髪が潮風に揺れ、キラキラと反射した。 「さすが、漁師だっただけあって、岩の上も余裕だね、ヨタカ」 「……岩の上くらい、誰でも歩けるだろ」  ヨタカがその海の眩しさに、目を細める。  彼の耳は少し赤かった。 「そんなことない。海と共に暮らしたことがないと、最初は岩の上だって、ちゃんと歩けないんだ。本土から来た人は、それですぐ分かる。でもみんな、すぐに慣れちゃうけど」 「生贄の祭壇の儀式で来た者たちのことか……」 「うん……。島に来たみんなは、最初は、傷つけられた小動物みたいに怯えてるんだ。海へ連れていくと、海から投げられて、竜神様の生贄にされると思うひとも多い。竜神様は、人を食べたりしないのに」 「どうして海へ?……あ、いや、言わなくてもいい。悪い。島の秘密なんだろ」  ナギが軽く首を振る。 「ヨタカにならいいよ。あのね、竜神様に、彼らと心を通わせてもらうためなんだ」 「竜神と、心を……通わす……?」 「そうだよ。俺にも上手く説明できないけど、竜神様が彼らの心の傷を理解して、そして癒すんだ。その証拠に、終わった時、彼らは大体泣いてるけど、でもみんなすっきりした表情してる」 「傷を……理解……」  ヨタカは何か引っかかるものを感じた。  しかしそれが何であるのかは分からない。 「ごめん。説明が下手で」 「あ、いや、そんなことはない。教えてくれて嬉しい」 「……あっ、戻ってきた」  海面が徐々に黒くなり、魚たちがまた姿を見せた。 「どうだろう……。あるといいけど……」  何か呟き、ナギが海に手を入れる。 「よかったっ。この辺にもあった」  引き上げたナギの手には、何かが握られていた。 「海藻……?」 「そう。魚たちに取ってきてって、頼んだんだ」 「頼んだって……。ナギ、魚と話せるのか?」  驚くヨタカに、ナギが恥じらうように目を伏せる。 「大したことじゃないよ。あのね……、あ、あんまり、他の人には言わないで欲しいんだ。気持ち悪いって思われるかもしれないし……。それに厳密に言うと、話せるわけじゃなくて、何となく伝わる……って感じに近い」 「凄い特技じゃないか。だが確かに、黙っていた方が良さそうだな……。特にアルワーンには」  ヨタカが突然、心臓に三本の指を立てた。 「誓おう。俺はナギの秘密を守る」  それは王都カラカルの、兵の誓いだ。  一本が自分自身に。  二本目はイスラの神に。  そして三本目が、誓う相手に。  もしも誓いを破ることがあれば、三本の指を切り落とす。 「それで、それをどうするんだ?食べるため……じゃないんだろう?」 「うん。天幕に帰ろう。実際にやってみた方が分かりやすいよ」  天幕では、オブシディアンが湯を沸かして待っていた。  ナギの手の大量の海藻を見て、怪訝な顔をする。 「ヨタカ、ちょっと手伝って」 「ああ。任せろ」  海藻を刻み、煮詰めていく。  とろみがついたら、今度は冷ます。  冷ます間に、別の海藻も同じようにする。 「全部一緒に煮詰めたらダメなのか」 「ダメだ。それぞれのいいところが、全部溶けちゃうんだ。順番通りじゃないと」  ナギの作るものに、異様に目を輝かせていたのはアルワーンだ。 「興味深い興味深い……。末の王子、これを少し貰っても?」 「あっ、ダメだよ」  だがその腕を少しも動かさないうちに、剣を鞘から抜く音がしたため、アルワーンは仕方なくそれを諦めた。  振り返らずとも、後ろからアルワーンの背に、射殺さんばかりの眼差しが四つ、突き刺さっている。 「……ダメだ。冷やしが足らないや。どうしよう……」 「十分冷えているようだが、これではダメなのか?」 「もう少し、これに霜が降りるくらいじゃないとダメなんだ。洞窟の湧き水は冷えてるけど、足りない」 「私の出番かな?」  アルワーンが嬉々として、小瓶を振ってみせた。 「これは瞬間的に水を凍らせられるはずだ。普段の使い方とは違うのだけど。まぁ見たまえ……」  中身を垂らすと、それは確かに、ピキピキと音を立てて凍り始める。 「これならうまくいきそう」  心から嬉しそうな顔で、ナギがヨタカを見る。  海藻を固めたものは、少しずつ凍っていく。  不思議なことに、溶けたはずの海藻が、その中に見え始めた。 「溶けて消えたわけじゃないんだ。この海藻。熱を加えると一度表面だけ剥がれて、冷やすとまた新しい皮が生えてくる。そして凍らせると、こんなふうに……」 「花だ」  凍った液体の中には、様々な色の花が咲いている。 「そう。これは切ったところから花が咲くんだ。だから細かくすればするほど、たくさん花が咲く。ヨタカ、これを切ってくれない?イスラ王のサイズの一口大に。なるべく、花が均等に入るように」  切ったものはまるで、上品な、東の国のスイーツのようだった。 「イスラ王の口に」  オブシディアンがイスラ王の口を開け、それを入れた。 「組み合わせて使うと、痛み止めになるんだ。この海藻たち。乾燥させれば、日持ちもする。効くといいんだけど……」  オブシディアンに王を任せ、他はご飯の用意をした。  ちょうどご飯も出来上がった頃、天幕からオブシディアンが出てきた。 「作った薬が効いたらしい。腹が減ったと言って起きた。食事を貰っていいか?」 「もちろん!」 「……ナギ、」  オブシディアンがナギを呼び止め、その顔を見つめた。 「ありがとう」  そしてそれだけ言うと、天幕に戻っていった。  ナギはしばらく何も考えられなかった。嬉しかったのだ。  初めて、ひとの役に立った。  生まれ育った島ではなく、初めて降り立った地で、ナギはそんな幸せを、人生で初めて味わった。

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