23 / 32

スコール

 城を通らない出口は、非常にわかりにくい。  アルワーンも知らなかったほどだ。  ヨタカと進みながら、アルワーンが無事に皆を先導できたか、ナギは少し心配になった。 「ヤツの記憶力はずば抜けている。心配しなくていい」 「でもこんなに入り組んでる上に、この隠し扉だし……。教えたけど、ちょっと心配になってきちゃった。早くみんなに追いつこう……なに?」  ヨタカが含み笑いをするのを見て、ナギが小首を傾げる。 「いや、頼もしくなったと思って。あんなに泣き虫だったナギが」 「っ、やめてよ。ひどいや。俺はほんとに心配してるのに……」  洞窟の秘密の抜け道は、海の側の鍾乳洞に繋がっている。  鍾乳洞から出れば、久しぶりの太陽がナギとヨタカを出迎えた。 「あー…………お日様だ」  しかしその太陽も、すぐに雲に隠されてしまう。 「天気が変わりそうだな。街を通らず、あの森を突っ切るのはどうだ」  そこは確かに、待ち合わせの場所までの近道だ。  ナギも賛成した。森はそれほど広くなく、迷う心配もないだろう。  だが空は、二人が屋根のあるところへ行くまで、待ってはくれなかった。  森へ入った途端、大粒の雨が叩きつけるように降ってきた。 「そこの洞穴へ入ろう」  急いで身を隠すも、二人とも頭からつま先までびしょ濡れだ。 「鳴ってる……」  遠くで、雷の音がしている。今は遠くだが、きっとすぐにここに追いつく。 「スコールだな。風も出てきた」 「すぐには……やみそうにないね」  雷鳴が轟き、ナギの肩が揺れる。 「雲が過ぎればやむ。心配ない。ちょうどいい。休める時に少し休んでおこう」  前回の野営でも思ったが、ヨタカは、焚き火を起こすのが驚くほど早い。  あっという間に火がつき、絞った二人分の服を乾かす。 「軍の遠征で慣れてるんだ。別に特別なことじゃない」  目を丸くするナギに、ヨタカが苦笑する。 「ハーブティーを持ってるのも、いつでも飲めるようにするため?」  ヨタカの胸元から出てきたハーブティーに、ナギが湯を注ぐのは、ヨタカが木を切って作った簡易カップ。  湯を沸かすためのティーポットも、ヨタカが作ったものだ。  一回きりの使い捨てだったが、彼はそれをあっという間に作ってしまった。 「城のキッチンで貰ったものを入れていたのを、思い出したんだ。俺がハーブティーなんかを、戦場で優雅に飲むタイプだと思うか?」  ナギが吹き出す。  確かに、戦場の天幕で、ティーポットを傾けるヨタカを想像できない。 「このハーブは、体を温める効果がある。雨で体が冷えただろう。飲んでおくといい」 「それはヨタカもでしょう?……はい。ヨタカも飲んで」 「あ、いや、俺はいい」 「ダメだよ。ヨタカが熱を出しても、俺はヨタカを背負ってあげられないもの」  一口啜るなり、ヨタカはしかめ面になる。明らかに、それが好きではない顔だ。  それでようやくナギにも分かった。  彼が、ハーブティーが苦手なのだと。  ヨタカはただナギのために、それを携帯していただけだ。  ヨタカといるとこういう場面が、本当によくある。 「……ねぇヨタカ。どうして、俺の部屋の窓に菓子屑を撒いたの?」  なぜかそれを、今どうしても聞きたくなった。  ずっと気になっていた。  居心地悪そうに、ヨタカが視線を逸らす。 「あー……それは……」 「イスラ王に言われたの?」 「ち、違う。王には逆に、会わない方がいいと言われて……」 「えっ、じゃあ、その命令に逆らったってこと?」  規律を重視する軍人のヨタカが、イスラ王の命令に逆らうとは信じがたい。 「逆らったりなんかしてない」 「じゃあどうして……」  ヨタカは黙っていたが、答えを待っているナギの視線に、ついに耐えられなくなった。 「っ、頼んだんだっ。ひと目でいいから、元気でいる姿を見たいと。連れて来たのは俺だから、俺にはその責任がある。だが行ってみれば、お前は部屋から出てこないで、何も食べていないと言うし、一日中泣いてばかりで、ベッドから起きても、たまに窓の側で外をボーッと見るだけだった。全然元気じゃなかった。だから、きっと鳥になら心を許すと思って……。まさかそれを知っていたとは思わなかった」  恥ずかしい時、ヨタカは、早口で捲し立てるように言う。  ヨタカの耳は、アデニウムのように真っ赤だった。  ナギは半ば呆気に取られて、そんな彼を見つめた。 「……どうして鳥だったの?」 「答えたんだ。もういいだろう、この話は」 「よくない。そこまで言ったんだから、答えてよ」  ヨタカの目は泳いだままだ。絶対にナギを見ようとはしない。  その様子に、ナギの胸がキュンとする。  普段こんなヨタカは、絶対に見ることができない。  引かないナギに諦めたのか、ヨタカは俯いて話し始めた。 「鳥が偶然窓に止まった時、微笑んだろう?だから鳥が好きなのかと思って……。っ、もういいだろ。この話は終わりだ」  ナギは笑いそうになるのを、必死で堪えた。  結局、ナギの気づかないところで、彼にずっと見られていたということだ。  ヨタカは、あの庭の茂みに潜んでいたのだろうか。  そこでずっと、心配そうに、ナギのことを見守っていた……?  外は風と雨が強くなった。  雷鳴も、先ほどより近くで轟いている。  耳をすませても、聞こえてくるのは雨と風、そして雷の音だけ。 「……なんか世界中に、俺たちだけ取り残されたみたいだね」  恥ずかしさからようやく復活したヨタカが、その台詞に頷く。  ナギがくしゃみをすると、ヨタカはその、濡れた上着を脱がすのを手伝うと言った。  その一枚を脱ぐと下着姿になってしまう。  だから脱がずにいたのだが、ここで、心配するヨタカと揉めても意味がない。  両腕を上げたナギから、ヨタカが一枚を引き剥がす。  濡れた服は肌に張り付き、なかなか言うことを聞かない。  ようやく脱がせ終わってみれば、肌が触れ合うほど、二人の距離が近い。  狼狽えたのはナギで、すぐに顔を伏せる。  ヨタカはその小さな顎に指をやり、上向かせた。 「ッ、なにっ」  長い指が、ナギの額に張り付く髪を掻き分ける。 「いつも濡れてるみたいな髪だが、雨に濡れると余計に海藻みたいだ」  それは剣を使うこと以外不器用な、ヨタカなりの褒め言葉だった。  そして幸運なことに、海藻集めが趣味のナギにとっても、まんざらでもない台詞だった。 「……王家の末裔はみんな、生まれつきこういう髪質なんだって。何度海に潜っても、塩で傷んだりしないって言われてる」 「それも竜神の加護か?」 「分からない……。考えたこともなかったけど、もしかしたらそうかもしれない」  指で弄んでも、ウェーブのかかる髪はくるんとまた元に戻る。  髪で遊ぶヨタカの指を、ナギが見つめる。  まるで時が止まったかのように、一瞬、二人の視線が絡み合う。  ナギの視界の中、ヨタカの顔が少しずつ近づいてくる。……息が、かかりそうなほど近くに。  ナギは、ギュッと硬く目を瞑った。  だがしばらくしても、何も起こらない。  恐る恐る開けた視界の中のヨタカは、肩を震わせて笑っていた。 「ひどいっ」 「くくっ……わ、悪い。だが、あんなふうにすごく痛そうな顔されたら……ははっ」  眉根を寄せ、ギュッと目を瞑ったあげく、唇をきつく噛み締める。  確かにそれは、痛みに耐える顔と相違ない。  ナギは心底腹が立って仕方がなかった。  一瞬でも、この男に許そうとした自分自身に腹が立った。  えっ……?許す……?  ……でも……、一体なにを?  もしもあのまま顔が近づいていたら、一体何が起こったのか……。  ナギが思考を止めたその時、笑いすぎで涙を拭いたヨタカがまた、ナギの熱い頬に触れた。  もう騙されない。  そう思っていたナギは、次の瞬間、不意打ちをくらう。  唇を掠めるように触れた、相手の唇。  立ち尽くすナギに背を向け、何事もなかったかのように、ヨタカが空を見上げる。 「そろそろスコールも通り過ぎそうだ。火を消して、出発の準備をしておこう」  その耳に咲く、鮮やかなアデニウム。  ナギの耳にも、赤く、それは咲いた。

ともだちにシェアしよう!