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スコール
城を通らない出口は、非常にわかりにくい。
アルワーンも知らなかったほどだ。
ヨタカと進みながら、アルワーンが無事に皆を先導できたか、ナギは少し心配になった。
「ヤツの記憶力はずば抜けている。心配しなくていい」
「でもこんなに入り組んでる上に、この隠し扉だし……。教えたけど、ちょっと心配になってきちゃった。早くみんなに追いつこう……なに?」
ヨタカが含み笑いをするのを見て、ナギが小首を傾げる。
「いや、頼もしくなったと思って。あんなに泣き虫だったナギが」
「っ、やめてよ。ひどいや。俺はほんとに心配してるのに……」
洞窟の秘密の抜け道は、海の側の鍾乳洞に繋がっている。
鍾乳洞から出れば、久しぶりの太陽がナギとヨタカを出迎えた。
「あー…………お日様だ」
しかしその太陽も、すぐに雲に隠されてしまう。
「天気が変わりそうだな。街を通らず、あの森を突っ切るのはどうだ」
そこは確かに、待ち合わせの場所までの近道だ。
ナギも賛成した。森はそれほど広くなく、迷う心配もないだろう。
だが空は、二人が屋根のあるところへ行くまで、待ってはくれなかった。
森へ入った途端、大粒の雨が叩きつけるように降ってきた。
「そこの洞穴へ入ろう」
急いで身を隠すも、二人とも頭からつま先までびしょ濡れだ。
「鳴ってる……」
遠くで、雷の音がしている。今は遠くだが、きっとすぐにここに追いつく。
「スコールだな。風も出てきた」
「すぐには……やみそうにないね」
雷鳴が轟き、ナギの肩が揺れる。
「雲が過ぎればやむ。心配ない。ちょうどいい。休める時に少し休んでおこう」
前回の野営でも思ったが、ヨタカは、焚き火を起こすのが驚くほど早い。
あっという間に火がつき、絞った二人分の服を乾かす。
「軍の遠征で慣れてるんだ。別に特別なことじゃない」
目を丸くするナギに、ヨタカが苦笑する。
「ハーブティーを持ってるのも、いつでも飲めるようにするため?」
ヨタカの胸元から出てきたハーブティーに、ナギが湯を注ぐのは、ヨタカが木を切って作った簡易カップ。
湯を沸かすためのティーポットも、ヨタカが作ったものだ。
一回きりの使い捨てだったが、彼はそれをあっという間に作ってしまった。
「城のキッチンで貰ったものを入れていたのを、思い出したんだ。俺がハーブティーなんかを、戦場で優雅に飲むタイプだと思うか?」
ナギが吹き出す。
確かに、戦場の天幕で、ティーポットを傾けるヨタカを想像できない。
「このハーブは、体を温める効果がある。雨で体が冷えただろう。飲んでおくといい」
「それはヨタカもでしょう?……はい。ヨタカも飲んで」
「あ、いや、俺はいい」
「ダメだよ。ヨタカが熱を出しても、俺はヨタカを背負ってあげられないもの」
一口啜るなり、ヨタカはしかめ面になる。明らかに、それが好きではない顔だ。
それでようやくナギにも分かった。
彼が、ハーブティーが苦手なのだと。
ヨタカはただナギのために、それを携帯していただけだ。
ヨタカといるとこういう場面が、本当によくある。
「……ねぇヨタカ。どうして、俺の部屋の窓に菓子屑を撒いたの?」
なぜかそれを、今どうしても聞きたくなった。
ずっと気になっていた。
居心地悪そうに、ヨタカが視線を逸らす。
「あー……それは……」
「イスラ王に言われたの?」
「ち、違う。王には逆に、会わない方がいいと言われて……」
「えっ、じゃあ、その命令に逆らったってこと?」
規律を重視する軍人のヨタカが、イスラ王の命令に逆らうとは信じがたい。
「逆らったりなんかしてない」
「じゃあどうして……」
ヨタカは黙っていたが、答えを待っているナギの視線に、ついに耐えられなくなった。
「っ、頼んだんだっ。ひと目でいいから、元気でいる姿を見たいと。連れて来たのは俺だから、俺にはその責任がある。だが行ってみれば、お前は部屋から出てこないで、何も食べていないと言うし、一日中泣いてばかりで、ベッドから起きても、たまに窓の側で外をボーッと見るだけだった。全然元気じゃなかった。だから、きっと鳥になら心を許すと思って……。まさかそれを知っていたとは思わなかった」
恥ずかしい時、ヨタカは、早口で捲し立てるように言う。
ヨタカの耳は、アデニウムのように真っ赤だった。
ナギは半ば呆気に取られて、そんな彼を見つめた。
「……どうして鳥だったの?」
「答えたんだ。もういいだろう、この話は」
「よくない。そこまで言ったんだから、答えてよ」
ヨタカの目は泳いだままだ。絶対にナギを見ようとはしない。
その様子に、ナギの胸がキュンとする。
普段こんなヨタカは、絶対に見ることができない。
引かないナギに諦めたのか、ヨタカは俯いて話し始めた。
「鳥が偶然窓に止まった時、微笑んだろう?だから鳥が好きなのかと思って……。っ、もういいだろ。この話は終わりだ」
ナギは笑いそうになるのを、必死で堪えた。
結局、ナギの気づかないところで、彼にずっと見られていたということだ。
ヨタカは、あの庭の茂みに潜んでいたのだろうか。
そこでずっと、心配そうに、ナギのことを見守っていた……?
外は風と雨が強くなった。
雷鳴も、先ほどより近くで轟いている。
耳をすませても、聞こえてくるのは雨と風、そして雷の音だけ。
「……なんか世界中に、俺たちだけ取り残されたみたいだね」
恥ずかしさからようやく復活したヨタカが、その台詞に頷く。
ナギがくしゃみをすると、ヨタカはその、濡れた上着を脱がすのを手伝うと言った。
その一枚を脱ぐと下着姿になってしまう。
だから脱がずにいたのだが、ここで、心配するヨタカと揉めても意味がない。
両腕を上げたナギから、ヨタカが一枚を引き剥がす。
濡れた服は肌に張り付き、なかなか言うことを聞かない。
ようやく脱がせ終わってみれば、肌が触れ合うほど、二人の距離が近い。
狼狽えたのはナギで、すぐに顔を伏せる。
ヨタカはその小さな顎に指をやり、上向かせた。
「ッ、なにっ」
長い指が、ナギの額に張り付く髪を掻き分ける。
「いつも濡れてるみたいな髪だが、雨に濡れると余計に海藻みたいだ」
それは剣を使うこと以外不器用な、ヨタカなりの褒め言葉だった。
そして幸運なことに、海藻集めが趣味のナギにとっても、まんざらでもない台詞だった。
「……王家の末裔はみんな、生まれつきこういう髪質なんだって。何度海に潜っても、塩で傷んだりしないって言われてる」
「それも竜神の加護か?」
「分からない……。考えたこともなかったけど、もしかしたらそうかもしれない」
指で弄んでも、ウェーブのかかる髪はくるんとまた元に戻る。
髪で遊ぶヨタカの指を、ナギが見つめる。
まるで時が止まったかのように、一瞬、二人の視線が絡み合う。
ナギの視界の中、ヨタカの顔が少しずつ近づいてくる。……息が、かかりそうなほど近くに。
ナギは、ギュッと硬く目を瞑った。
だがしばらくしても、何も起こらない。
恐る恐る開けた視界の中のヨタカは、肩を震わせて笑っていた。
「ひどいっ」
「くくっ……わ、悪い。だが、あんなふうにすごく痛そうな顔されたら……ははっ」
眉根を寄せ、ギュッと目を瞑ったあげく、唇をきつく噛み締める。
確かにそれは、痛みに耐える顔と相違ない。
ナギは心底腹が立って仕方がなかった。
一瞬でも、この男に許そうとした自分自身に腹が立った。
えっ……?許す……?
……でも……、一体なにを?
もしもあのまま顔が近づいていたら、一体何が起こったのか……。
ナギが思考を止めたその時、笑いすぎで涙を拭いたヨタカがまた、ナギの熱い頬に触れた。
もう騙されない。
そう思っていたナギは、次の瞬間、不意打ちをくらう。
唇を掠めるように触れた、相手の唇。
立ち尽くすナギに背を向け、何事もなかったかのように、ヨタカが空を見上げる。
「そろそろスコールも通り過ぎそうだ。火を消して、出発の準備をしておこう」
その耳に咲く、鮮やかなアデニウム。
ナギの耳にも、赤く、それは咲いた。
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