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侵入した影

 シラは呆気に取られて、アルワーンの消えた空間を見つめた。  光の粒子がキラキラと輝いていたが、それも消えてしまうと、もうアルワーンが先ほどまでここにいた痕跡は何もなくなる。  そもそもが、全てが媚薬が見せた夢だったのではないかと思え、シラは恐怖で震えた。  母親のケーキを食べたのも夢だったのでは?  だっておかしいじゃないか。  酒の飲めない自分が、自棄とは言え、ワインを一気に飲むなんて。  大体ずっと沈黙してきたウミガラスが、喋ったのも変だ。  さんざん体を弄んだ男と、妙に和む会話をしたのも変。  実はまだ寝台に繋がれて、薬のせいで、見たい幻を見ていただけでは……? 「夢じゃないよ。俺、シラと喋ってる」  聞こえた声がシラを現実に引き戻す。  頭の中で考えていたつもりが、薬のせいか、声に出てしまっていた。 「シラ、寝てない。夢じゃない」  ウミガラスが、シラをジッと見つめていた。 「シラはケーキ食べた。それに、俺に笑った」 「勝手に現実を変えるな。俺がいつ、お前に笑ったん……ぅむっ」  目を大きく見開いたシラの視界を塞ぐウミガラス。 「……っ、なにしてっ……ぅ」  突然の口づけは濃厚で、息さえ奪われる。  それはシラにとって、人生初めての口づけだった。 ***    夜も更けた頃。  僅かな気配を察知し、ウミガラスが目を覚ます。  他の者たちとって、そこにはただ、真夜中の静寂が広がっているだけだ。  隣ではシラが、微かな寝息を立てて熟睡していた。  その頬の涙の跡を、ウミガラスがそっと拭う。  ワインに入っていた、アルワーン新作の媚薬の効果が抜け切るまで、あまり時間はかからなかった。  体の自由を奪っても、意識はある。それが効果の時間が縮んだ原因だろう。  だがそんなことは、ウミガラスとってはどうでもいい。  その媚薬の効果が切れたあとも、ウミガラスはシラを抱いた。  いつもより執拗にシラの中で暴れ、そしていつもとは違い、その唇を奪い続けた。  おかげで、シラの薄い唇はやや腫れているように見える。  赤く色づくそれを見ていると、ウミガラスの下半がまた反応しそうになる。  したい。  だがその前に、邪魔者を片付けなくては。  ベッドから立ち上がったウミガラスが、眠るシラを背に立つ。  窓辺に向かい、暗い闇が潜むそこに眼を光らせる。  微かな音を立て、開かないはずの窓が揺れた。 「——まさか気づかれるとは」  外の暗闇から、低い声がした。  窓が開き、黒い闇が部屋に舞い降りる。  長身の男は鼻から下を黒い布で覆い、黒いマントで体を隠していた。  ウミガラスと向き合っても、焦る様子はない。 「強そうな体してるな。まともに戦って、勝てる気がしない」  男は笑いながらそう言った。 「そこの王子のために持ってきたんだが……まぁいい。仕方がない」  男が手にした何かをウミガラスに放つ。 「ッ……」  それはただ煙を上げただけだ。しかしウミガラスは膝をついた。 「体の自由を奪うものだ。邪魔するなよ」  男がベッドへ向かう。シラはまだ眠っているようだ。  シラを呼ぼうとしたウミガラスの喉は、唐辛子を詰め込んだように焼けつき、声が出ない。  ベッドが軋み、寝返りをうったシラの、微かな呻き声がした。 「印は……、海の涙の花(シーティアローズ)はどこだ」  男がシラの服を切り裂く。  手の中のナイフが、夜明かりの中で鋭く光った。 「見つけた……。ようやく来た……。奪われたものを取り返す時が……」  ナイフの煌めきが軌跡を描く。  シラの(シーティアローズ)に向け、男がナイフを振り下ろす。  次の瞬間、ナイフはシーツに突き刺さった。 「なっ?!」  かわしたシラが素早く起き上がり、ベッドを抜け出す。それと同時に、男の背後から、ウミガラスの腕が男の首を締め上げた。 「ぐっ」  男が別の粉を撒く。  だが同じ手に引っかかるほど、ウミガラスは鈍くない。  大きな体で、驚くほど俊敏な動き。  シラが思わず口笛を吹く。 「怪我は?」  ウミガラスが、シラの側へ来るなりそう聞いた。 「あるわけない。俺より、お前……その声、一体どうしたんだ」 「なんか吸った」 「はぁ?吸った?大丈夫なのか」 「平気」 「平気なわけが、ないはずなんだが……」  シーツに刺さったナイフを引き抜き、男が振り返る。 「それは本来丸一日、自由を奪うものだぞ」  暗闇で光る両目が、シラを見据える。  強い殺意を隠す気もないらしい。  シラがその視線を受け止めていると、目の前に壁ができた。  ウミガラスだ。シラを庇うようにして、その前に出る。  余計なことをするなと言おうとしたシラだったが、男に邪魔をされた。 「兄弟揃って、男に守られるのが趣味とは。ハッ。バハル王が聞いたら、どう思うだろうな」 「兄弟揃って……?」  その言葉に、シラは引っかかるものを感じた。 「お前、俺の弟を知っているのか」 「シラ王子。お前の弟、ナギ王子は、本土へ連れて行かれた日の夜、イスラ王の寝室に呼ばれたぞ」 「なっ……なにを言っている……」 「知らなかったのか?これは面白い。イスラ王の寝室に呼ばれた次の日から、イスラ王の私的な居室で、軟禁生活を送っている。イスラ王は城で生活していない。城の敷地内にある、王と王に許された数名しか出入りできない家だ。王は相当、末の王子をお気に召したらしい。……まぁ、それも驚かない。兄弟揃って、男と寝台に上がるのが好きなようだからな」  侮蔑の視線が、ウミガラスの背後に送られた。  だがシラの頭に、それは入ってこなかった。 「ナギが……イスラ王の寝室に………?」  衝撃が、シラの頭にめり込む。 「シラ、聞かないで」  ウミガラスの声が、シラを引き戻す。  我に返ったシラは、盾になっているウミガラスを押しやった。 「お前の目的はなんだ。なぜナギのことを知っている。どうして俺の(シーティアローズ)を狙った」  その言葉に、男の肩がピクリと揺れた。 「お前の(シーティアローズ)……?違う。それは俺のだ。お前たちが俺から奪った、俺の(シーティアローズ)だ」 「……何を言っているんだ?この体の(シーティアローズ)は、王家の末裔の証。生まれた時から、この体にあるものだ。ひとから奪ったりできるものではない」 「黙れっ!」 「下がって。シラ」  投げられたナイフが、シラを庇ったウミガラスの腕に突き刺さった。

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