28 / 32
侵入した影
シラは呆気に取られて、アルワーンの消えた空間を見つめた。
光の粒子がキラキラと輝いていたが、それも消えてしまうと、もうアルワーンが先ほどまでここにいた痕跡は何もなくなる。
そもそもが、全てが媚薬が見せた夢だったのではないかと思え、シラは恐怖で震えた。
母親のケーキを食べたのも夢だったのでは?
だっておかしいじゃないか。
酒の飲めない自分が、自棄とは言え、ワインを一気に飲むなんて。
大体ずっと沈黙してきたウミガラスが、喋ったのも変だ。
さんざん体を弄んだ男と、妙に和む会話をしたのも変。
実はまだ寝台に繋がれて、薬のせいで、見たい幻を見ていただけでは……?
「夢じゃないよ。俺、シラと喋ってる」
聞こえた声がシラを現実に引き戻す。
頭の中で考えていたつもりが、薬のせいか、声に出てしまっていた。
「シラ、寝てない。夢じゃない」
ウミガラスが、シラをジッと見つめていた。
「シラはケーキ食べた。それに、俺に笑った」
「勝手に現実を変えるな。俺がいつ、お前に笑ったん……ぅむっ」
目を大きく見開いたシラの視界を塞ぐウミガラス。
「……っ、なにしてっ……ぅ」
突然の口づけは濃厚で、息さえ奪われる。
それはシラにとって、人生初めての口づけだった。
***
夜も更けた頃。
僅かな気配を察知し、ウミガラスが目を覚ます。
他の者たちとって、そこにはただ、真夜中の静寂が広がっているだけだ。
隣ではシラが、微かな寝息を立てて熟睡していた。
その頬の涙の跡を、ウミガラスがそっと拭う。
ワインに入っていた、アルワーン新作の媚薬の効果が抜け切るまで、あまり時間はかからなかった。
体の自由を奪っても、意識はある。それが効果の時間が縮んだ原因だろう。
だがそんなことは、ウミガラスとってはどうでもいい。
その媚薬の効果が切れたあとも、ウミガラスはシラを抱いた。
いつもより執拗にシラの中で暴れ、そしていつもとは違い、その唇を奪い続けた。
おかげで、シラの薄い唇はやや腫れているように見える。
赤く色づくそれを見ていると、ウミガラスの下半がまた反応しそうになる。
したい。
だがその前に、邪魔者を片付けなくては。
ベッドから立ち上がったウミガラスが、眠るシラを背に立つ。
窓辺に向かい、暗い闇が潜むそこに眼を光らせる。
微かな音を立て、開かないはずの窓が揺れた。
「——まさか気づかれるとは」
外の暗闇から、低い声がした。
窓が開き、黒い闇が部屋に舞い降りる。
長身の男は鼻から下を黒い布で覆い、黒いマントで体を隠していた。
ウミガラスと向き合っても、焦る様子はない。
「強そうな体してるな。まともに戦って、勝てる気がしない」
男は笑いながらそう言った。
「そこの王子のために持ってきたんだが……まぁいい。仕方がない」
男が手にした何かをウミガラスに放つ。
「ッ……」
それはただ煙を上げただけだ。しかしウミガラスは膝をついた。
「体の自由を奪うものだ。邪魔するなよ」
男がベッドへ向かう。シラはまだ眠っているようだ。
シラを呼ぼうとしたウミガラスの喉は、唐辛子を詰め込んだように焼けつき、声が出ない。
ベッドが軋み、寝返りをうったシラの、微かな呻き声がした。
「印は……、海の涙の花 はどこだ」
男がシラの服を切り裂く。
手の中のナイフが、夜明かりの中で鋭く光った。
「見つけた……。ようやく来た……。奪われたものを取り返す時が……」
ナイフの煌めきが軌跡を描く。
シラの花 に向け、男がナイフを振り下ろす。
次の瞬間、ナイフはシーツに突き刺さった。
「なっ?!」
かわしたシラが素早く起き上がり、ベッドを抜け出す。それと同時に、男の背後から、ウミガラスの腕が男の首を締め上げた。
「ぐっ」
男が別の粉を撒く。
だが同じ手に引っかかるほど、ウミガラスは鈍くない。
大きな体で、驚くほど俊敏な動き。
シラが思わず口笛を吹く。
「怪我は?」
ウミガラスが、シラの側へ来るなりそう聞いた。
「あるわけない。俺より、お前……その声、一体どうしたんだ」
「なんか吸った」
「はぁ?吸った?大丈夫なのか」
「平気」
「平気なわけが、ないはずなんだが……」
シーツに刺さったナイフを引き抜き、男が振り返る。
「それは本来丸一日、自由を奪うものだぞ」
暗闇で光る両目が、シラを見据える。
強い殺意を隠す気もないらしい。
シラがその視線を受け止めていると、目の前に壁ができた。
ウミガラスだ。シラを庇うようにして、その前に出る。
余計なことをするなと言おうとしたシラだったが、男に邪魔をされた。
「兄弟揃って、男に守られるのが趣味とは。ハッ。バハル王が聞いたら、どう思うだろうな」
「兄弟揃って……?」
その言葉に、シラは引っかかるものを感じた。
「お前、俺の弟を知っているのか」
「シラ王子。お前の弟、ナギ王子は、本土へ連れて行かれた日の夜、イスラ王の寝室に呼ばれたぞ」
「なっ……なにを言っている……」
「知らなかったのか?これは面白い。イスラ王の寝室に呼ばれた次の日から、イスラ王の私的な居室で、軟禁生活を送っている。イスラ王は城で生活していない。城の敷地内にある、王と王に許された数名しか出入りできない家だ。王は相当、末の王子をお気に召したらしい。……まぁ、それも驚かない。兄弟揃って、男と寝台に上がるのが好きなようだからな」
侮蔑の視線が、ウミガラスの背後に送られた。
だがシラの頭に、それは入ってこなかった。
「ナギが……イスラ王の寝室に………?」
衝撃が、シラの頭にめり込む。
「シラ、聞かないで」
ウミガラスの声が、シラを引き戻す。
我に返ったシラは、盾になっているウミガラスを押しやった。
「お前の目的はなんだ。なぜナギのことを知っている。どうして俺の花 を狙った」
その言葉に、男の肩がピクリと揺れた。
「お前の花 ……?違う。それは俺のだ。お前たちが俺から奪った、俺の花 だ」
「……何を言っているんだ?この体の花 は、王家の末裔の証。生まれた時から、この体にあるものだ。ひとから奪ったりできるものではない」
「黙れっ!」
「下がって。シラ」
投げられたナイフが、シラを庇ったウミガラスの腕に突き刺さった。
ともだちにシェアしよう!