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シラの決意
「このバカ。なんで庇ったりなんかっ……ああっ抜くな!」
腕から滴る血にも、ウミガラスは顔色ひとつ変えない。
シラが急いで止血する。
「触らないで。汚れる」
「そんなこと気にしてる場合か」
「……兄弟揃って、男に体を開いた挙句、その男に守られる……。お前たち王子は、王家の恥だ。竜涙石 になったバハル王も、これでは浮かばれない……」
驚愕したシラが男を見る。
男の目から、月光に反射する筋が流れた。
シラは信じられない思いで、男を見つめた。
「なん……で……」
どうしてそれを、この男が知っているのだ。
バハル王が竜涙石 になったことは、家族しか知らない。
城で長年ずっと仕えてきた執事や侍女たちにですら、伝えていないことだ。
それになぜ賊が、王を思って嘆き、涙を流す?
男はまた、蔑むようにシラを見た。
「何も知らずに、のうのうとこの城で生活し、王子と呼ばれて生きてきた……。俺の花 を盗んでおきながら、お前たち兄弟はっ……ッ」
しかし突然、そこで黙る。
制御できない感情を恥じるように、男が怒りを体に押し込めたのが分かった。
「バハル王に何があったのか、真実が知りたくないか?」
男はそう言った。
「知りければ、王の静室に、末の王子と二人で来い」
「父上に何があったか……?それはどういう意味だ。お前、あの事件と、何か関係があるのか」
「お前の弟、末の王子も、間もなくこの島に帰ってくる。……イスラ王と共に、な」
「ナギが?どうしてお前が、そんなことを知ってる?」
「シラ、近づかないで」
男は胸元から紙の包みを取り出すと、それを破り広げた。
鱗粉のように細い粉が、辺りを舞う。
床に落ちたそれはチリチリと燃え、男の足元に輪 を作る。
「いいな。二人で来るんだ。どちらか欠ければ、どちらかを殺す。お前は剣術に長けている。殺すなら、やりやすい方がいい。分かるな?」
「っ、ふざけるな。ナギに何かしてみろ。絶対に、例えこの世の果てに消えようとも、俺がお前を見つけて、殺してやる」
シラの言葉に、男は鼻で嗤った。
そして燃える輪の中に足を入れる。
「再会を、楽しみにしている。シラ王子……」
燃える輪に向けナイフが投げられたと同時に、男の姿は消えた。
床に刺さったナイフをウミガラスが抜く。
燃えた跡を靴先で確かめ、彼には珍しく、眉根を寄せた。
「……ちゃんと手当てするぞ。ほら。来い」
シラはその腕を取った。
ウミガラスの腕の手当てをしながら、シラは考えた。
だが考えても考えても、訳の分からないことだらけだ。
男は一体何者で、どうしてナギの現状に詳しかったのか。男はナギの側にいるのだろうか。そう考え、血の気が引く。
なぜ家族しか知らない、バハル王の秘密を知っていたのか。
そして——。
ナギがイスラ王の寝室に呼ばれた。
もし……、もしナギが、自分と同じような目にあっていたのだとしたら……。
世の中の穢れたことを何も知らない一輪の花を、イスラ王がその汚い手で手折ったのだとしたら……。
「……シ……ラ。……シラ」
気づけばウミガラスが、シラの目を覗き込んでいた。
「悪い。……痛むか?」
「シラ、すごく怒ってる」
「っ」
心の中の荒れ狂う感情を、言い当てられたシラが動揺する。
その通りだ。
シラは今すぐに、イスラ王を殺してやりたかった。
「落ち着いて。シラの弟は……、たぶん大丈夫」
「適当なことを言うな。こうしてる間にも、ナギはイスラ王に囚われてるんだぞ」
「シラも監禁された」
「……は?」
「シラだって可哀想」
「……お前と話してると、子どもと喋ってるみたいだ……」
「よしよし」
棒読みな台詞で、ウミガラスがシラの頭を撫でた。
シラはもう、怒る気力が湧いてこなかった。
「ヤツはナギが島に来ると言った。本当だと思うか」
「うん。たぶん当たってると思う」
「一体何を根拠に?」
呆れた視線を受け止め、ウミガラスは言った。
「アルが呼ばれた。たぶんイスラ王。たぶん緊急事態」
「緊急事態?……まさかナギの身に……」
「違う。本土でクーデターがあった。だから呼ばれた。アルは面倒くさがって、帰ろうとしないから」
「クーデター?」
シラの顔が……青ざめる。
「そんなことに巻き込まれたのか……ナギ……」
ウミガラスの手が、俯くシラの顎を持ち上げる。
「ナギ、大切?」
「当たり前だろう。弟だ」
「じゃあ、助ける?」
「助けるって言ったって……。ここにいても何もできない」
「じゃあ出よう。一緒に」
「出ようって……、そんな簡単に、あ、おいっ。引っ張るなって。傷が開く」
扉の前までシラを連れて行き、ウミガラスがしゃがみ込む。
シラの短い鎖に触れ、そして自身の胸元をはだける。
割れた腹筋が剥き出しになり、シラは思わず目を背けそうになる。だがその胸に刻まれた刻印を見て、彼は息を呑んだ。
「それ……」
「俺、元は奴隷。その時押された」
本土から、贄の儀式を終え来る者たちの多くが、同じ烙印を押されていた。その者たちに聞いて知っていたのだ。
焼け爛れた赤い跡は、だが模様が途中から変わっている。
「奴隷の印。でもアルが変えてくれた。これで少し、錬金術使える」
シラの足首を持ち上げ、胸の刻印につける。
熱い相手の体温が、薄い皮膚から伝わってくる。
ウミガラスの胸の刻印が光り、シラの足首の鎖がバラバラと壊れていく。
久々の軽い自らの足に、シラは言いようのない感動を覚えた。
「……ありがとう」
気づけばそう言っていた。
「どういたしまして」
相手の返事にはもちろん、何の抑揚もない。
だがシラは嬉しかった。
これで扉を開けてナギを探しに行ける。
「出発の前に食堂で、食料を調達しよう。それから……」
「シラの家族、会ってから」
弾かれたようにシラは顔を上げた。
ウミガラスが僅かに頷く。
「……いいのか?」
「食堂行くなら、どうせ会う。シラの家族、いつもキッチンにいる。シラが会いたいなら、会えばいい」
「アルワーンに怒られないのか。仮にもお前の主人なんだろ」
「アルが怒っても怖くない。シラに嫌われる方がイヤ」
その言葉にシラは思わず赤面した。
まるで子どもと変わらない。
ウミガラスは思ったことを、思うまま口にする。
「もう行くぞ。時間が惜しい」
赤くなった顔を見られないように身を翻したものの、それを後ろから、ウミガラスの声が台無しにした。
「……シラの耳、真っ赤」
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