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プライド
「――ちょっとこっちで、休んでいかないかね」
ハッとしたイスラ王は、慌てて立ち止まった。目の前の老人に、危うく体当たりするところだった。
「海ジンジャーを入れたところなんじゃ。飲んでってくれ」
小さな漁村ということもあり、村人は皆親切だ。
イスラ王の正体を知らないまでも、厄介ごとだと気づいているだろうに。
街や城で起きた兵士の占拠のことも、村には既に知れ渡っている。
その中で明らかに島の住人でない者たちを受け入れるのだから、相当な心の広さだろう。
「漁師の手伝い、疲れたろう。海ジンジャーは疲労回復によく効く」
「海ジンジャー……。ジンジャーだが、海藻……だったか?」
「そう。元を辿れば、竜神様から教わった知恵なんじゃ。……竜神様に感謝を」
島の住人たちは皆、竜神について口にすると、こうして必ず祈る。その光景にも、もう慣れた。
イスラの地にも、太陽と獣神カラカルへの信仰はある。しかし惰性のように崇拝するだけで、今はもう、深い信仰を持つのは年寄りばかりだ。
「この島の生活は、海と竜神様と共にある。全ての恩恵は海と、それを守る竜神様から貰ってるんじゃ。海藻ひとつとっても、例外じゃない」
「ああ……」
良い悪いでもなく、イスラ王が相打ちをうつ。
「そう言えば、泣き虫王子が海藻コレクションをしておるな……。どれ。取ったものに珍しいものが混ざってないか、見ておいてあげようか」
「海藻コレクション?」
イスラ王にはすぐに分かった。
泣き虫王子。
それがナギのことであると。
「小さい頃から集めてるんじゃ。ナーディア様によく、集めた貴重な海藻を言葉巧みに横取りされてな。泣きながらこの村に来ておった」
無言で聞いていたが、もしここが本土であれば、イスラ王は盛大に鼻を鳴らしてバカにしただろう。
「面白いのが、どんなに大泣きしても、あの子は諦めんのじゃよ」
「取られた海藻を取り返すのをか?」
「いいや。それが、そうじゃない。言っても男の子じゃ。ナーディア様に取られたものを力づくで取り返せばいいのに、絶対にそれをしない。また同じものを探すと言ってこの先の浜に行っては、泣いて竜神様に、一緒に行って欲しいと頼んどった」
「単に、力でも、敵わなかったんじゃないのか?」
ナギはどう見ても、体を鍛えているタイプじゃない。
だが老人は首を振る。
「昔からよく泣く子で、本土から島へ来た者の中には、よく誤解してる者もいた。その名前の由来が、涙で濡れた瞳のことだと」
「そういう解釈も、確かにあるな……」
思わず笑ってしまったイスラ王は、慌てて口元を引き締めた。敵地でその国の王子を笑ったりすれば、どんな事態に陥るか分からない。
しかし老人は全てを見透かすような目でイスラ王を見ると、シワだらけの顔で微笑んだ。
「涙には、己のための涙と、他人のために流す涙がある。若いの。泣き虫王子は、ナーディア様に食べられるその海藻を思って、可哀想だと泣いていたんじゃよ」
「海藻に同情……」
もはや突飛すぎる感受性だ。イスラ王にはピンとすら来ない。
「大人になると、ただ単純に泣くことすら難しくなる。胸につかえた重い思いを消化しないままにしておくと、いつまで経っても浮かない顔は晴れないままじゃ。……そんなふうに」
「解せない……。それは俺のことか?俺の涙など、はるか昔に枯れた。それに、自分を憐れむのも戻らない過去を嘆くのも、真っ平だ」
強い口調になってしまった己を恥じるように、イスラ王がシュガーブレッドの髪をかき上げる。
「なるほど。そうやって、プライドで一生懸命に、涙の海に蓋をしているんじゃな。まだ若いのに、余程苦労したと見える。このババを見てみろ。こんな枯れ木のような肌になっても、涙は心の海からちゃんと外へ出てくる」
「涙の……海……」
その言葉がイスラ王の胸の奥に、音も立てずスッー……と、染み込んでいくような、不思議な感覚がした。
「体が泣きたい時は泣く。痛い時は痛いと言う。素直になるところまで、プライドで蓋をしなくてもいい。どれ。痛み止めがこの辺りにあったはずじゃ……」
「痛み止め?どこか痛いのか?何なら、医者のところへ連れて行くぞ」
「ババはいたって健康じゃ。若いのに苦労顔の、お前さんのものを探してるんじゃよ。……ああ。ほれ。持って行け。海藻から作った痛み止めじゃ。一日一回で、よく効く」
それはイスラ王にとっても、馴染みのものだった。
「海藻の花の……」
「泣き虫王子が、レシピを竜神様に聞き、何回も何回も失敗して、ようやく成功させた薬じゃよ。だがそのおかげで、今ではこうして、ババたちも作れるようになった」
あの時ナギに作ってもらったそれは、昨夜で全て消費してしまった。
だがイスラ王は、それを誰にも言わなかった。管理していたのは自分なので、言わなければ他の者が気づくこともない。
だがこの年寄りには、痛みを堪えていることが分かってしまったらしかった。
「助かる……。すまないが、いくつか貰っていっても構わないだろうか」
「いいとも。ババにはしばらく必要ない。全部持ってけ」
イスラ王は貰ったそれをひとつ口に入れ、残りを懐にしまう。
礼を言い、寝所として借りている小屋へ戻る。
小屋は隣同士、三棟を借りていた。
入るとすぐに独特の、染み込んだ魚の匂いが鼻をつく。だがそれも、慣れてしまえばあまり気にならない。
それに文句を言うとすれば、ただひとり。
そしてその男は、あろうことか、イスラ王の小屋の中で寝そべっていた。
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