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小学5年 二人

 寛太朗(かんたろう)美己男(みきお)は施設に入所したまま5年生になった。  艶々の黒髪と濡れたような黒い瞳、長い睫毛は寛太朗の賢さを際立たせ、少し近寄りがたい雰囲気さえ漂わせる。そして美己男は綺麗な顔なのにキレやすい性格、暴れ出したら誰も止められない問題児として学年でも有名になっていた。  美己男が暴れると誰からともなく 「藍田を呼べ。」 となり、違うクラスにも関わらず寛太朗は美己男を何かと連れ歩く羽目になった。  寛太朗は頭が良いぶん、少し加虐的なところがあって人の弱い所を見つけて突くのが好きだ。美己男は弱い所だらけでいつでもすぐにムキになって泣き出す。    寛太朗は美己男を泣かせるのが楽しくてしょうがなかった。 泣かせるついでに寛太朗は面白くない授業の時、美己男を使って授業を潰す方法を考え出した。  美己男は暗い所が嫌いだ。  寛太朗は面白くない授業の前になると美己男を呼び出し、裏庭の掃除道具入れや体育準備室に閉じ込めた。 「みー、しばらくしたら迎えにきてやるから、ここで待ってろ。先生が来ても俺が閉じ込めたって言うなよ。」 「やだっ、暗いとこ、やだっ。」 と泣きそうな美己男に 「すぐ来る。俺が来たら泣き止めよ。」  そう言って無理矢理、押し込む。  3分もすると美己男が暴れ始めるのはわかっている。チャイムが鳴る直前に美己男を閉じ込め、寛太朗は急いで教室に戻った。  思った通り、チャイムが鳴るとすぐに美己男がいないことに気が付いた隣のクラスがザワザワし始め、授業どころではなくなる。  そうしてまんまと授業を何度か潰した。  その日は校外学習で電車に乗って3つ先の自然公園の中にある国立博物館に行く、という行事だった。  寛太朗はこの校外学習という行事が大嫌いだ。  わざわざ皆で博物館に行き、わざわざ皆で外で弁当を食べる、という行為に学習の意味を見い出せない、と思っている。  さらに道を歩くときには隣の女の子と手を繋いで歩かなくてはいけないと言う謎のルールがあり、その度に、誰々さんとは繋ぎたくない、だとか、誰々さんの手はベショベショしていて気持ちが悪いだとか、一悶着あり、なかなか進まない。  寛太朗の隣の女の子もわざわざ嫌そうな素振りをしてみせるのが心底、鬱陶しかった。      こっちこそお前なんかお断りなんだよブス と心の中で毒づく。 「指先だけ、繋いでいい?」  長い睫毛を伏せながらそう尋ねると、相手は思った通り何も言わずに頷いた。後は無言で時間が過ぎるのを待つしかない。      何か面白いこと、起こらないかな  公園に到着する前にすでに寛太朗は飽き飽きとしてそう思った。  駅を降りると2メートル程の壁の下に川というには水がほとんど流れておらず、淀んだ緑色の水が溜まっているドブ川があった。そのドブ川沿いを一列になって手を繋いで歩く。子供の目には結構な高さの壁の上をザワザワとざわめきながら蟻のように歩き続けた。    3組の委員長の寛太朗はクラスの先頭を歩いていた。  3組の先頭から2組にいる美己男の茶色い頭が時々、チラチラと見える。最近は後ろ髪を伸ばすのはやめて全体的に伸ばした髪を黄色っぽい茶髪に染めていて目立つことこの上ない。列の真ん中あたりで時々、日の光に照らされてキラキラと髪が黄色く輝く。まだ声変わりのしていない甲高い美己男の声が何を話しているかまではわからないが寛太朗の所まで時折、届いていた。      隣の子、嫌がってるんだろうな    この歳の女の子は男子に比べると、格段に大人びている。そのぶん、容赦がない。美己男のような甘ったれて粗暴な男子はいくら顔が良くても毛嫌いされていて、まるで毛虫をみるような目つきで見られている。  寛太朗は込み上げる笑いを堪え、美己男の姿を後ろからずっと探しながら歩いた。  しばらくすると、女の子の怒った声が聞こえてきた。 「ちょっとぐらい黙れないの。さっきからずっとつまんない話して。」  段々声が激高してきて周りがざわつき始める。美己男と手を繋いでいる女の子の堪忍袋がついに切れたらしい。 「あんたのお母さんの話なんて、もう聞きたくないってばっ。」 と言う声が聞こえて寛太朗はワクワクした。    みーがキレるぞ    そう思った瞬間、女の子がドブ川に向かって跳び、ベシャッと川底に落ちた。  一瞬、時間が止まったかのようにシンとなる。  寛太朗も予想外の事態にポカンとした。  静寂を破ってうえーん、と女の子が泣き出すと、その後、キャーッと悲鳴が上がり、列が騒然となった。  キレた美己男が女の子を2メートル下の川底に突き飛ばした後、暴れ出したのだ。  まるで蟻の行列に水滴を垂らしたみたいに一斉に生徒たちが散り散りになった。 「お前らっ、静かにしろっ!」  教諭たちが突然の出来事に慌てている。  若い男性教諭が壁を降りて突き落とされた女の子の救出に向かっているのが見えて寛太朗はいつの間にか笑っていた。  隣の女の子が強く握って後ろに逃げようとグイグイ引っ張ってくるのを振りほどいて美己男のほうに走り出す。 「みー!!」  美己男にぶつかるようにして後ろから体を抱きかかえた。勢いあまって二人で前のめりに地面に突っ伏した。  その拍子に美己男の頭に鼻をしたたかにぶつけ鼻の奥から熱いものが流れてきたが、構わず美己男を素早く仰向けにして馬乗りになる。  寛太朗は体中がゾクゾクと震え、笑いが腹の底から込み上げてきて止まらなくなった。  押さえつけるふりをして美己男の肩に顔を伏せる。      みーの奴、すげぇっ! 「おいっ、藍田っ、大丈夫かっ。」  教諭が駆け寄って来て寛太朗はようやく顔を上げ立ち上がった。  鼻からダラダラと血が出ているのを見て、美己男が恐怖で目をいっぱいに開く。 「寛ちゃん、ごめんなさい。」  うー、と泣き出した美己男のシャツにボタボタと血が落ちた。  教諭たちが引きずるようにして美己男を立たせると、地面にぶつけたのか膝から血が出ている。 「せんせっ、美己男に乱暴にしないで下さい。」  寛太朗はそれを見て鼻血を拭きながら叫んだ。 「藍田、落ち着け。」  そこへ先ほど女の子を救出するために川底に降りて行った若い教諭が鼻息荒くやってきた。 「ミキオッ、お前は何したかわかってるのかっ。」  真っ赤な顔をして怒鳴り 「女の子を突き飛ばすなんて何考えてるっ!なんでお前はそういつも暴力を振るうんだっ。謝れっ!」 と美己男の胸倉を掴む。      自分も大して変わんねーだろ    寛太朗は普段からこの熱血教師を軽蔑していた。  人一倍熱心に生徒と向き合っている、といった風だが中身は精神年齢が子供と近いというだけの子供っぽい教師だ。全員の下の名前を覚えて呼ぶことを自慢にしていて気持ちが悪い。 「美己男のせいじゃありません。」  寛太朗は目を伏せた。 「僕も美己男もお父さんがいないから、悪い子になっちゃったんだ。だから先生、美己男ばっかりを怒らないで下さい。」  そう言って伏せていた睫毛を上げ黒い瞳で教師を見つめた。うまい具合に打った鼻がジンジンと痛み、目が潤む。 「寛太朗・・。」  それは面白い程に熱血教師に効いた。  近づいてきて、頭をギュウギュウと抱きしめる。 「そんなことない、二人は悪い子なんかじゃないっ。悪かった、先生、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。」  熱血教師の声が湿る。      暑っ苦しいんだよ、熱血    いい加減鬱陶しくなって寛太朗は教諭をグッと手で押して体を引き離した。 「ゴメンナサイ、先生に鼻血ついちゃった。」  謝るふりをして教諭の手を払う。 「えっ?ああ、大丈夫、気にするなっ。」  教諭がVサインを送って寄こすのを寛太朗は冷ややかな目で見た。    クソな大人ほどチョロい  その後、鼻血の止まらない寛太朗と膝から血を流している美己男は年配の教諭と共に学校へ戻ることになった。  3人で電車に揺られて帰る。 「寛ちゃん、ごめんなさい。」  美己男はすっかり肩を落としているが、寛太朗は予想をはるかに超えたアクシデントに上機嫌だ。 「いいよ、別に。」  鼻声で答える。 「でも、僕のせいで博物館行けなかった。」 「みーは行きたかったのか?博物館。」 「う・・ん、あのね、博物館に本物のクジラの骨があるって、ちゃーちゃんが言ってた。」  嬉しそうに言う。 「ふーん。」  寛太朗にはクジラの骨より、女の子が宙を飛んだことのほうが何百倍も面白かったから全く未練はない。 「大人になってから自分たちで行けばいいんじゃね?」 「そっか。そしたら寛ちゃん一緒に行こうね。」 「んー、そうだな。」  寛太朗は上の空で返事をした。  学校に戻って保健室で手当てを受け 「しばらく静かに寝ていてね。」 と寛太朗はベッドに寝かされた。ベッド脇の丸椅子に美己男が小さくなって座ると、養護教諭がカーテンを閉めた。  寛太朗は先ほどの出来事を思い返し、またゾクゾクとしてくる。 「みー、すごいな、お前。」 「ええ?すごいって?」  美己男が驚いて顔を上げる。   寛太朗は突き飛ばされた女の子の顔を思い出して笑い始めた。 「あいつの顔、見た?一瞬ぽかんとしてさ、そのあと、ふぇー、って泣き出して。あいつ、去年同じクラスだったんだけどさ、いっつもえらっそうにしてるだろ。自分が全部正しいみたいな顔して、前からすげー嫌いだったんだよな。あの頬っぺたのでかいほくろ、きもちわりーよな。」  小声で興奮気味に話す寛太朗の顔を美己男はポカンとして見ている。 「思いっきし飛んでたぞ、あの女。ビューン、ボッチャ、ってさ、あのきったないドブ川に落ちてさ。んで、あのでかいほくろがヒクヒクってなって、ふえーん、って泣き出したんだぜ。」  寛太朗の言葉に美己男も吹き出した。 「ビューン、ボチャ、でヒクヒク。」 と繰り返して二人でゲラゲラと笑い転げる。 「も、やめてぇ、寛ちゃん。お腹痛い。」  美己男が身を捩る。 「ビューン、ボチャ、ヒクヒクでうえーん。」  寛太朗はさらに付け足し、また二人で苦しくなるほどに笑っていると、ついに養護教師がカーテンを開けた。 「こーら、二人とも、遊びの時間じゃないんだからね。」  そう言って寛太朗の鼻に詰めたガーゼをシュポッと取った。 「うん、でも、もう血も止まったし、それだけ元気なら大丈夫そうね。」 と手袋を外しながら言った。  お母さんに電話して迎えにきてもらおうか?という教諭の問いに、寛太朗が、僕たちのお母さん、迎えに来るのは無理だから・・、と目を伏せて言うと、じゃあ、二人で気を付けて帰ってね、とあっさり解放された。 「な、みー、せっかくだしさ、横尾川行って、弁当食べようぜ。」  先に歩いていた寛太朗は振り返って美己男に言った。 「え?でも。寄り道せずに、帰りなさいって。」  オロオロと美己男が返事をする。 「別にいいじゃん、バレないって。行くぞ。博物館行けなかったんだし、せっかく弁当あるんだし。」  寛太朗はそう言って施設とは逆の校区外の横尾川に向かって歩き出した。 「寛ちゃん、待ってぇ。」  美己男が慌ててついてくる。  それを見て寛太朗は走り出した。 「待って、寛ちゃん。待ってっ。」  美己男が泣き顔で走ってくる。  寛太朗は足を緩めた。  ハァハァと美己男が追いついてきそうになると、また走り出す。 「待ってよぅ。寛ちゃんっ。」  美己男が泣きながらも追いかけてくるのが面白くてたまらない。  しまいに美己男はヨロヨロと歩いているのか走っているのかわからないぐらいの速度でしか追ってこられなくなった。 「みー、もうちょいだぞー。頑張れー。」  寛太朗は先に河原に着いて美己男を呼んだ。  一級河川で川岸も綺麗に整備されている横尾川は土・日は家族連れや、スポーツをしにくる人で賑わう。  だが平日の昼間の横尾川は散歩しているお年寄りや、犬を連れている中年女性しかおらず、広々として静かだ。  二人は川に近づくと靴を脱いで足を水に浸した。  キラキラと水面が太陽の光に照らされ眩しい。  そのまま二人は弁当を広げて食べた。  今日は二人とも寛太朗の母親が作ってくれた弁当を持ってきている。 「寛ちゃんのお母さんのお弁当、おいしいね。嬉しいな。」  モゴモゴとおにぎりを頬張りながら美己男が言う。 「そうか?普通だろ。」  おにぎりに卵焼きや、ウインナー、ホウレンソウの胡麻和えなどが入っているいたって普通の弁当だ。  もし、あのままみんなと一緒に公園で弁当を開ければ、もっと色とりどりの凝った弁当が見られたことだろう。  女子の弁当には、母親たちからの手紙が入っていたりして、キャアキャアと見せ合いっこがはじまっているはずだ。  寛太朗はあの時間が苦手だ。 「まぁ、みーんとこの母さんに比べればマシかもな。」  美己男の母親はほとんど料理をしていないようだ。最近は毎日のように寛太朗の部屋に来て一緒に夕食を食べる。 「母さんといる時は何食ってんの?」 「おにぎりとかハンバーガーとか。」 「それ、コンビニのだろ。」 「うん。」 「母さん、何にも作らないの?」 「そんなことないよ、時々、ホットサンド作ってくれるもん。」 「なに?ホットサンドって。」 「えー、寛ちゃん知らないの?パンにハムとチーズ挟んでギュってなったやつ。おいしいんだよ。」 「それ、サンドイッチじゃん。」 「違うよー。熱くって、チーズが溶けてトロッてしておいしいんだ。」   美己男が嬉しそうに言う。どんなに邪険に扱われても母親の事が好きらしい。  つい先日も 「お前の顔なんて見たくないんだよっ。早く出てけっ。今すぐ消えろっ!」  そう言って泣き叫ぶ美己男を部屋から追い出して鍵を閉めてしまい、美己男はドアに縋ってちゃーちゃん、ちゃーちゃん、と声を枯らして母親を何時間も呼んでいた。  次の日には頬をすりよせ私のかわいい、みーちゃんと抱き締めては顔中にキスしている姿を見て、進歩がないな、と思ったところだ。  寛太朗はそんな風に母親から愛情表現を示してもらったことがないので、全く理解ができない。 「みーは父さんには会ったことないの?」  美己男に訊く。 「うーん、わかんない。」  美己男も自分の父親の記憶が曖昧になっているらしい。 「ふーん。」 「寛ちゃんは?」 「あー、俺もよく覚えてない。それっぽい記憶はあるけど、本当かどうか怪しいな。」 「ふーん、寛ちゃんの胸についてるの、タバコの痕でしょ?」  美己男が寛太朗を見た。 「あー、多分。父さんがつけたっぽい。」 「見せて。」  胸のボタンを開けて見せてやる。  美己男がそろそろと火傷の痕を触った。 「いたっ!」  寛太朗の叫び声に美己男がビクッと手を引っ込めて 「ごめんなさいっ!」 と叫ぶ。  半ベソをかきながら 「痛かった?」 と訊いた。 「嘘だよ。平気。」  寛太朗は声を出して笑った。 「もー、寛ちゃん!」  美己男が半ベソのまま怒る。 「ねぇ、寛ちゃん。お父さんがいないから、僕たち悪い子なの?」  美己男の言葉に寛太朗はシャツのボタンを留めながら笑った。  さっき寛太朗が言ったことを聞いていたらしい。 「あれは先生を黙らせるために言っただけ。」 「そっか。寛ちゃんは悪い子じゃないもんね。いっつも怒られんの僕だけだもん。」 「みーも別に悪くないって。それに、どうせみーになんかあったら俺も呼ばれんだからいいんじゃね、別に。一緒に怒られれば平気だろ。」  美己男はうん、と頷いて、寛ちゃん大好き、と口を開けて笑った。奥歯が一本、抜けそうになっている。 「みー、歯が抜けそう。」  寛太朗は口を覗き込んだ。  美己男が慌てて口を閉じる。 「見せてみ。」 「ヤダ。」  そう言って口を押さえるのを、 「見せろって。」 と、無理矢理、美己男の手を口から引き剝がし、口をこじ開ける。 「やめへぇ、寛ひゃんっ。」  寛太朗が口の中に指を突っ込むと、美己男がのけ反り二人で笑いながら地面に転がった。  美己男の生温かい舌の感触が指にまとわりつき、寛太朗の体中の血が甘くゾワリと沸きたった。  美己男がえくぼをへこませ、チュウと指を吸う。 「うあ。」  寛太朗はおかしな声を上げると、唾液で濡れた指を引き抜いた。  ポタリと一滴、血が垂れる。 「寛ちゃんっ、またっ、鼻血っ。」  美己男が驚いた声を上げた。 「あー、騒ぐな。平気だから。」  寛太朗は起き上がると拳でグイと鼻血を拭いた。 「もう帰ろう、寛ちゃん。」  美己男が泣きべそをかき始めた。 「ん、そうだな。」  濡れた足は熱いコンクリートの上を歩くとすぐに乾く。二人は靴を履き、弁当箱をリュックにしまって立ち上がった。 「ここに来た事、母さんたちには言うなよ。」  うん、と美己男は嬉しそうに頷く。 「それと、俺がほくろの女子の悪口言ったことも内緒な。」  寛太朗がそう言うと、あはは、分かったー、と美己男が笑った。    

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