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高校1年 春

 寛太朗(かんたろう)の通う高校の普通科は地元では有名な進学校だ。  普通科の中でも寛太朗が進学した特進クラスは、国公立大学合格を目指すクラスで成績優秀な生徒が各地から集まってくるため独特の雰囲気があり、優秀な生徒特有の少し近寄りがたい空気を放っている生徒も多い。  艶のある黒髪と漆黒の(ひとみ)の寛太朗も例外ではなかった。  それに比べ、美己男(みきお)が通う工業科はオープンな雰囲気で自由な空気が漂っており、様々な手に職をつけたい生徒が設備と実技が充実しているこの高校に進学してくる。就職率が県内でナンバー1のこの工業科は企業からの評価も高くこちらはこちらで人気があった。  この高校は10年前に近隣の高校と次々と合併した影響で、普通科と工業科という全く雰囲気の違う科を抱える全国でも珍しいマンモス校になってしまった。  普通科と工業科は中央の食堂と体育館を挟んで別棟になっているが食堂と体育館は共用しており昼休みは毎日ごった返す。  新学期が始まって2か月弱たち、ようやく生徒たちも落ち着いてきたが昼時の食堂の騒がしさは変わらない。  寛太朗は同じ特進クラスの伊井田(いいだ)理貴(よしき)山城(やまき)(ぜん)の3人で昼食のパンを買いに食堂に来ていた。  なんとかコロッケパンとイチゴ牛乳を購入し、押し合う人垣を抜け出して2人と合流する。  その時 「寛ちゃん?」 と呼ばれ寛太朗はふり向いた。  寛太朗より頭1つ分ほど背が高く、手足の長いスラリとした男子がこちらを見ていた。  ツンツンと立てた髪を真っ赤に染めていて、その赤い髪が白い肌によく映えている。     みー?  少し釣り上がった切れ長の目、真っすぐな鼻筋、細い顎、長い首。  しばらく会わないうちに、ずいぶんと見た目が変わっているが顔立ちは相変わらず整っていて綺麗だ。  眉を細く半分までに剃って、片方の眉にピアスを通している。耳にもジャラジャラといくつものピアスをつけていた。鼻と唇にも。  赤く薄い形の良い唇についたリップピアスがやけに色っぽい。 「美己男?」  驚いて立ち尽くす寛太朗に美己男が子供の頃と変わらず左頬のえくぼをへこませ、ニコと笑った。 「寛ちゃんっ」  嬉し気にこちらに歩いてくる。  それを見て寛太朗の隣にいた理貴が眉を顰めた。 「寛、知り合い?」  その声にハッとする。 「あ?ああ、幼馴染」 「へぇ。あんなのが?」 と軽蔑した視線を美己男たちのグループに向けた。美己男の背後にいる友人達がこちらを警戒した目で見ている。  美己男のグループのほうは長髪に金髪、青い髪と派手な髪色の生徒ばかりで、さらにはピアスやらネックレスやら指輪やらをしていた。工業科は一応制服もあるが実技も多く、つなぎや作業服を着ている生徒も多い。美己男たちのグループのような派手な格好をしている生徒もいれば、いかにも職人風な生徒まで様々だ。  普通科、特に寛太朗のいる特進クラスにいるような生徒と工業科にいる生徒ではほとんど交流がない。というより非友好的な雰囲気で特進は工業科を頭空っぽ科と侮蔑しているし工業科は特進を特進様、と皮肉を込めて呼んでいる。  美己男は特進グループからの独特の空気を感じ取ったのか足を止め、泣きそうな顔を寛太朗に向けた。 『ごめんなさい』と言う声が聞こえるようで笑いそうになる。     相変わらず頭悪いな、みー   こんなところで声なんかかけてきて    周りが特進クラスと工業科が睨み合っている、と思ったのか不審げに見始めた。 「寛?どうする?」  理貴が寛太朗の肩に手をかけ耳元に顔を寄せたのを見て、美己男が目を逸らせる。 「ああ、悪い」  理貴に返事をしながら、美己男の泣きそうな顔を見て寛太朗は懐かしいあのゾクリとする感覚が体に蘇った。 「みー」  子供の頃の呼び方に、美己男がハッと顔を向け寛太朗の黒い()を見る。  寛太朗は買ったばかりのまだ冷たいイチゴ牛乳を美己男に向かって放り投げると 「行こうぜ」 と理貴に声をかけた。 「ありがと寛ちゃん」  声変わりしているはずなのに確かに美己男の声だとわかる。  その声に理貴がチラリと視線を送って 「なんだよ、施し?」 と寛太朗の肩に手を回した。 「施しか。いや、餌付け」  はぁ?野良猫かよっ、と声を上げる理貴に寛太朗は声を出して笑った。  昨日飲み損ねたイチゴ牛乳を飲んでいる寛太朗を見て 「なぁ、寛、昨日のあの赤い髪。なんであんなのがお前の知り合いなの?」 と理貴が興味津々で訊いてきた。  理貴は高校に入ってから1番最初にできた友達だ。理貴は会社経営者の父親を持つお金持ちのおぼっちゃんで、最初はチャラチャラとした嫌な奴だと思っていたが話してみると、頭の回転が速く話しやすくてすぐに打ち解けた。 「あー、あいつとは小学校が一緒で」 「別に関係ないだろ、寛が誰と知り合いでも」  然が寛太朗の言葉を遮るように言うと 「うるせーよゼン」 と理貴が鼻白んだ。  然とは中学からの友達で寛太朗が小学校の頃に保護施設で暮らしていたことや父親がいないことを知っている。  然は寛太朗とはまた違った意味で大人びた中学生だった。中学生にしては落ち着いた情緒の安定した穏やかな性格で頭も良く、誰に対しても公平で平等な態度で接するような人柄が教諭や級友たちから信頼されていた。幼いころから柔道をしているというその体はがっしりとしていて、清廉潔白な性格がそのまま表に出ているかのような健やかな姿をしている。  中学1年生の時に同じクラスになりいつも1人で勉強している寛太朗に然が声をかけきてなんとなく話をするようになり、一緒に勉強したり行動を共にするようになった。寛太朗は進学塾に通っていた然から学校ではまだ教えていない授業内容を教えてもらったり、高くて買えない参考書を借りたりするようになり、いつの間にかなんでも話す相手になっていた。 「いいよ、別に、然」  寛太朗は然に大丈夫、と視線を送る。 「俺、父親いなくて小学校の時、母親と保護施設で暮らしてたんだよ。で、あいつも、美己男っていうんだけど、保護施設にいて一緒に暮らしてんのかってぐらい毎日一緒にいた時期があってさ」  理貴が椅子の背もたれに肘をつきながら寛太朗の話を聞いている。 「一緒に暮らしてた?じゃあ、あの赤髪(あかがみ)とは仲良いの?」 「美己男な。うん、子供の頃は。中学が別だったから長いこと会ってなかったけど昨日、小学校の卒業式ぶりに会ったわ」  ふーん、と理貴が寛太朗を見て、然を見る。 「なに」 「ゼンは会ったことあるの?あの赤髪」 「いや、ない。昨日、初めて会った」 「じゃあ、寛が施設にいたこととかは?」 「それは知ってた」  ふーん、と口を尖らせる。 「何だよ」  寛太朗が訊いた。 「えー、だってさ、俺だけ知らない事あんの、なんか仲間外れみたいで嫌い」  寛太朗と然は笑った。 「嫌いってお前、子供かよ」 「俺、やなんだよ、そういうの。1人だけ取り残されてる感?みたいの」 「知らない事があんのはしょうがないだろ、然とは中学から一緒なんだから。別にお前が取り残されてるってわけじゃないし」 「そうかぁ?」  ならいいや、とまたプイと2人に背中を向ける。  理貴はいつもはっきりと自分の要求を口に出す。小さい頃からなんでも口に出せば思い通りになってきたのだろう。いつも注目を浴びていないと気が済まない。  実際、理貴は誰もが注目するような華やかな雰囲気を持っていた。陶器のような白い肌に外国人のような高い鼻梁と窪んだ眼。瞳と髪の色が独特で日に当たるとほんの少し黄緑色がかって見える。ペルシア系フランス人だという、結局どこの国だかよくわからない外国人の血がほんの少し混じっているらしい。  頭が小さく背が高いのでスタイルが、というより全体のバランスが良く、ファッション雑誌に載っていてもおかしくないような見た目だ。その上、頭の回転が異様に早い。人を食ったような態度で独占欲が強く周りの人を翻弄して疲れさせてしまうようなタイプだ。  その理貴の拗ねた表情がおかしくて寛太朗は笑いながら 「な、理貴」 と話しかけた。  チラ、とこちらに一瞥をくれてまたフイと、背中を向ける。 「然には見せたけど、お前にまだ見せてないもん、見せてやろっか?」  理貴がガバッと振り向いた。その目がパチパチと黄緑色の光で輝くのを見て然が笑う。 「お前、分かりやす過ぎ」 「るせー、ゼン。ゼンは知ってんだろ?なら黙ってろよ」  然を押しのけて理貴がグイと寛太朗に近寄ってくる。 「俺、親父いないって言っただろ?親父の記憶、ほとんどないんだけどさ」  そう言いながらシャツのボタンを外して胸をはだけると火傷の痕を見せた。 「なに?タバコ?」 「うん。多分、親父がつけたんだと思う」  理貴が手を伸ばして胸に触れた。 「いったっ!!」  寛太朗の叫びに理貴がビクッと手を引く。 「悪いっ!」  理貴も叫び、その声に寛太朗と然が爆笑した。 「なにっ」 「嘘だよ、バーカ。痛いわけねーじゃん」  ゴシゴシと手の平で傷を擦る。  理貴が一瞬、ポカンとしてから 「寛っ、ざけんなっ」 と飛びかかってきた。 「おっと」  素早く然が理貴を後ろから羽交い絞めにして絡めとる。 「お前っ、マジでビビっただろーがっ」  然の腕の中で理貴が暴れながら吠えたてた。 「これ、寛のお約束なんだよ」  然の呆れ声に寛太朗はシャツのボタンを留めながら笑った。 「俺ん時もやられた。お前が思うより相手はびっくりするんだからあんまやるなよ。俺ん時より大げさになってるぞ」 「だから面白いんじゃん、なぁ?」 「寛って、ほんと腹黒だな」 「理貴にだけは言われたくない」  理貴が椅子を引き寄せて背もたれを前に座り直しながら訊いてきた。 「それつけられた時は?覚えてる?」 「いや、全然。タバコの痕だっていうのもわかんなかった。施設の職員が教えてくれて初めて知ったぐらい」 「ふーん。父親とは全然会ってねーの?」 「会ってない。今、どこでどうしてるかも知らない」 「へぇ、そんな親、いるんだな」 「ゴロゴロいるだろ。施設にいる奴らはそんなんばっかだったけどな。美己男もそうだし」  寛太朗は見かけるとつい買ってしまうイチゴ牛乳をズズズ、と吸った。   ずいぶん背が伸びてたな    昨日3年ぶりに会った美己男の姿に一瞬、誰だかわからなかった。  小さくて母親のお気に入りの着せ替え人形のような姿だったのが、赤い髪でピアスだらけの背の高い男になっていたのだから当然だ。     あんなにでっかくなっても、すぐ泣きそうな顔になるのは変わってなかったな   笑うとえくぼができるところも 「あの赤髪もなんだ」 「何?随分気にすんじゃん、美己男のこと」 「そりゃそうだろ。工業科の奴だぞ。見たろ、あいつら。あったま悪そうなのばっか集まって」  理貴が軽蔑したように言う。 「理貴、そういうのあんま大きな声で言うな」 「るせー、ゼン。お前だってそう思ったろ?寛」  理貴がニヤッと笑って寛太朗を見る。美己男のことをいつも頭が悪い、と見下してきたことを見透かしているかのようだ。 「まあな。俺はお前みたいに大きな声で言わないけど」 「ほーら、考えてることは一緒じゃん」  理貴が勝ち誇ったように言う。 「考えていても口に出さないほうがいいって言ってるんだよ」 「言ってやらなきゃわかんないだろ。はっきり言って気付かせてやるのが本当の優しさだと俺は思うなー」 「理貴のは優しさからじゃないだろーが」 「いやいや、俺なりの優しさ」  然に向かってにっこり笑う顔が胡散臭くて笑える。 「なーに笑ってんだよ。寛もそう思うだろ?」 「どうかな。俺ならはっきり言わないけど相手にわからせるようにするかな」 「何それっ、超能力っ」  理貴が体をのけ反らせて言う。 「いやいや、優れた技と呼んで欲しいな」  サラリと前髪を指で払う。 「やっぱ寛のほうが腹黒だろっ!」  ぎゃはは、と理貴が嬉しそうに笑った。

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