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高校1年 寛太朗の高校生活

 特進クラスともなれば学校の授業についていくのだけでも大変だ。  毎日の授業の復習は欠かせない。  それでも進学塾に言っている奴らは、ずっとずっと先の勉強をしているのだ。  普通に授業を受けているだけでは到底、太刀打ちできない。    寛太朗は週に何度か、高校受験の前あたりから保護施設に行ってはボランティアの大学生に 勉強を教えてもらっていた。    寛太朗が入所していた頃はなかったが、2年ほど前から県内の大学生がボランティアで施設に来るようになった。  小さい子供の遊び相手になったり、もう少し大きな子供達の相談相手になったりというのが主な活動内容だ。  本来なら、寛太朗くらいの年齢のいっている生徒に勉強を教えるのはボランティアの仕事に含まれてはいないのだが、事情をよく知っているので皆、空いた時間に快く教えてくれる。    寛太朗は5月になってから施設に新しい人が入所して来ているのに気づいた。    20代前半くらいだろうか。若くて線の細い女性が一人で入居しているようだ。  いつも青白い顔色をしていて茶色く染めた長い髪をおろしている。    施設は母親と子供の為のものだったが、と寛太朗は不思議に思ったが深くは考えなかった。    施設に入居したら、しばらくはそれ以前の付き合いのある人との接触は制限される。  本人の身の安全と施設にいる人たちの安全を守るためだ。    それでなくても入所したては皆、一様にピリピリと神経を張りつめている人が多い。  そんな中その女性は、どことなく緩い、全てが他人事のようなぼんやりとした空気を纏っていた。  その雰囲気に施設でもなんとなく浮いていた。      学校の帰り、図書館に行く途中に寛太朗はその女を見かけた。  特に外出を禁じられているわけではないから自由に外に出られるのだが普通はあまり出たがらない人のほうが多い。  だがその女は気にするふうもなくいつも一人で出歩いていた。  その日もフワフワと通りを歩いていたが、その先に知り合いを見つけたのか、小さく手を 振り小走りに走り出した。  横断歩道の手前で立っているスーツにネクタイ、派手なシャツの男に抱き着く。  見ているこちらが恥ずかしくなるほどの濃厚なスキンシップに道行く人たちも眉を顰め避けて通る。  どう見ても会社員には見えないがホストにしては威圧感がある。      ヤクザ?    素早く観察して寛太朗は思った。  この信号を渡らないと図書館には行けない。      面倒臭いな    そう一瞬思ったが、どうせ向こうはこっちのことなど知りもしないだろうと知らん顔で通り過ぎようとした。  信号を渡って、まだ抱きついている女にチラリと一瞥をくれる。    女と一瞬、目があった。  女の目が見開かれる。    寛太朗はフイと目を逸らして早足で立ち去った。ドキドキと鼓動が早くなる。      俺のことに気付いた?    確実に目が合った。  冷たい汗が背中を流れ落ちた。  次の日、施設で女とすれ違った。 「こんにちは、寛太朗君。」    女が声をかけてくる。 「こんにちは。」  寛太朗はいつも通り挨拶をして頭を下げた。  心臓がバクバクと音を立てる。  名前まで知られていたことに衝撃を受けた。  動揺しているのを悟られないよう無表情で、勉強を始める。  いつの間にか女の姿が消えていて、ホッと息をついた。 「ありがとうございました。」  6時半になって寛太朗は大学生に礼を言って施設を出る。  少し歩くと女が後ろをついてくるのに気が付いた。      何・・?    寛太朗が早足で歩くと女も早足になりついてくる。  角を曲がって低い生け垣を飛び越えしゃがむ。  走って来る足音がして角を曲がると、あ、と小さい声がして立ち止る音がした。 「俺に何か用ですか。」    寛太朗は隠れていた生け垣から立ち上がって女に話しかけた。  寛太朗の問いに女は無言で見つめ返してくる。  生け垣を飛び越え女と向かい合った。 「昨日、見たよね?」  女が上目遣いで聞いた。 「ああ。」    短く返事をした。  どう答えるべきか迷う。 「お母さんに内緒にしておいてくれない?」  女が一歩近づきながら甘ったるい声で言った。  寛太朗の腹の底からジワジワと黒い感情が沸いてくる。  自分は好き勝手しておいて人には内緒にしてくれ、とは随分な話だ。 「あれ、旦那さんですか?」 と聞いてみる。 「まさか。」  ふふ、と笑いながら女が答えた。 「じゃあ、彼氏?」  うーん、と首を傾げる。 「ホスト?」  首を横に振る。 「じゃあ、ヤクザ?」  女の喉がヒクリと動いた。     ビンゴ 「ね、どこかで晩御飯でも一緒に食べない?奢る。」  女が媚びるような目を向けた。 「いえ、いいです。」  くるりと踵を返して歩き出す。 「ねぇ、待って。」  女が走ってきて寛太朗の前を塞ぐ。 「お願い、誰にも言わないで。」 「そういうの、困るんで。」  寛太朗は冷たい目で女を見た。  女の顔がみるみる歪む。 「お願いっ。」  女が抱き着いてくるのを寛太朗は受け止めた。  肩のあまりの薄さに驚く。  腕の骨など簡単に折れてしまいそうだ。 「ごめんなさい。」  女が体を離しながら謝る。  寛太朗はそんな女の態度にイライラした。    甘ったるい声も、媚びるような目も。  そしてなによりこの思わせぶりな態度が。 「あのさ、チクられたくなかったらあんなところで男と会うのやめたら? ちょっと舐めすぎじゃない?」    寛太朗の言葉に女の目が見開かれる。 「しかも道で抱き合うとか。みんな見てましたよ?」  冷ややかに言った。   女が寛太朗のシャツをギュッと握りしめる。 「なに?あんた何様?」  女が急に攻撃的になる。 「別に、何様でもありませんけど。」      何なんだよ、こいつ    見せびらかすように(たち)の悪そうな男と抱き合っていたかと思えば今度はそれを 内緒にしてくれ、と言ってくる。    しかも高校生相手に媚びるような態度で。  寛太朗は気味が悪くなって女の手首を握るとシャツから引き離そうとした。  女が意外にも強く抵抗して揉み合った。 「ちょっとっ、離せっ。」    女が寛太朗のシャツを引き寄せ無理矢理、唇を押し付けてきた。 「・・んっ。」  寛太朗は生温かい唇の感触にビクリとして女を突き飛ばした。  女の目から涙が零れ落ちた。  怒りなのか、悦びなのか、嫉妬なのかよくわからない感情が全身に渦巻く。    ごちゃ混ぜの感情は暴力的な程高まり爆発した。    寛太朗は女を力一杯、壁に押し付け乱暴にキスをした。  女の歯に自分の歯がぶつかる。 「んっ。」  女の口の中に舌を強引に差し込んだ。  女がそれに応えて舌を強く吸う。  ゴクリと寛太朗は唾液を飲み込んで顔を離した。  ハァハァと自分の荒い息が聞こえる。  女の縋るような顔を間近に見て急におぞましくなった。 「キモッ。」  寛太朗は後ずさりして踵を返すと全速力で走った。  唇を拭う。      キモッ、キモッ    バクバクと心臓が跳ねる。  家に帰ってゴシゴシと唇を何度も洗った。      何なんだよ、あいつ。    俺にどうしろっていうんだよ。    思考が混乱する。      これ以上関わったらヤバい    そう頭では分かっていても施設に行けば女の姿を探してしまう。  モヤモヤとした感情がなんとも気持ちが悪い。    その後、施設で女を何度か見かけたが、寛太朗は知らぬ顔をしてなんとかやり過ごした。    それからしばらくして図書館の帰り道に女が横断歩道で待っていた。  ギクリと足を止める。 「今晩は。」   女が寛太朗に向かって声をかけた。 「今晩は。」  頭を下げる。 「待ち合わせですか?」  横断歩道が赤で足止めを食らう。  仕方なく女に話しかけた。 「寛太朗君に言われて会うのやめたの。」  信号が青になり、寛太朗は歩き出した。    女がついてくる。 「俺のせいにしないでもらえます?」 「寛太朗君のせいじゃないよ、寛太朗君のおかげ。」    寛太朗は早足でアパートに向かう。女がついてくるのを確信しながら。  急いで鍵を開けて女を家に入れた。 「お母さんは?」 「今日は夜勤。朝まで帰んない。」  冷蔵庫から冷えたお茶を出して飲む。  女にもガラスのコップに入れて渡した。 「ありがと。」  微かに手が震えているのが自分でも情けない。 「寛太朗君の部屋、どこ?」  寛太朗はドアを開けて自分の部屋に入ると扇風機のスイッチを入れた。  ブウーンと中古の扇風機の音がうるさく響く。  寛太朗は汗だくなのに女は汗ひとつかかずにベッドに腰かけてお茶を飲んだ。  コトリ、とコップを机に置いた。 「寛太朗君、したことあるの?」  首を横に振った。    女が手を伸ばしてくる。  フラフラと近づいて女の手を取った。  目を見ながら隣に座る。  女の顔が近づいてきて唇を塞がれた。  気が付けば女をベッドに押し倒していた。  無我夢中でズボンを脱いでトランクスをおろした。  寛太朗のモノが勃ちあがっている。 「待って、ゴム。」    女がやたら小さいバッグからコンドームを出して、嵌めてくれる。 「すごく固くなってる。」  そのまま女の誘導で挿入した。  勢いにまかせて押したり引いたりしてみるが、グジュグジュとしてだんだん気持ちが悪く なってくる。  額から滝のように汗が流れて、顎の先から垂れているのに体がどんどん冷えていく。    女の顔が歪んでいつの間にか、寛太朗のモノは萎えていた。 「あー。」    寛太朗は女から離れてベッドの端に腰かけ自分のモノを眺めた。  ドロドロの下半身が気持ち悪い。  女も起き上がって隣に腰かけた。 「最初だもん、仕方ないよ。」    女に慰められ 「きも。」  と思わず口から出てしまう。  女の顔が引きつった。 「それ、こっちの台詞。あんたみたいな子供、ほんと気持ち悪い。あんたの真っ黒な目、 何にも見てない穴みたい。」    表情の無くなった顔で女はさっさと下着を履くと部屋を出て行った。  寛太朗はゴムを引きはがすとノロノロとシャワーを浴びに浴室に入った。      気持ちわり  ゴシゴシと股間を石鹸で洗う。  洗っているうちに萎えていたモノが勃ち上がってきた。  そのまま自分で擦って熱い湯の中でビクビクと白い液を流した。      二度と関りたくない  数日間、寛太朗は施設でも図書館に行く道でも警戒しながら毎日を過ごしたが、それ以来 女と会うことはなかった。    ホッしたような残念なような燻ぶった気持ちを持て余し、ボランティアの大学生に何気なく 「最近、あの若い人見かけませんね。」 と聞いてみた。 「ああ、あの人、退所したんだ。ちょっと前に。」  そう言った。 「あ、そうなんですか。ここ、母親と子供の為の施設なのに、一人でしたもんね。」  寛太朗はさも、事情を知っている、という風に言った。    大学生は少し躊躇してから詳しく事情を教えてくれた。    女にはまだ1歳にならない子供がいた。  生まれつき心臓が悪くてずっと入院していたらしい。  だが手術が無事に終わって本当ならば一緒にこの施設に入所する予定だったが、いつまで たっても子供を引き取りに行かなかった。    それどころか、悪い男と付き合い始めて皆、心配していたのだ、という。  下手に周りがが介入するとこじれて最悪な結果になるかもしれない、とうことでしばらく 様子をみていたのだそうだ。  だが先日、やっと女は子供を病院から引き取ってきた。  絶縁状態だった女の両親が迎えに来て子供と一緒に田舎に帰って行ったらしい。 「え?あ、それは良かった・・ですね。」 「ね、ほんと。うまく収まって良かった。最悪のケース、ってこともあるからね。」 「最悪のケースですか。」 「うん、赤ちゃん病院に置き去りにして、母親はヤクザと逃げちゃう、とかさ」      やっぱりヤクザだったのか 「まぁ、現実逃避したくなる気持ちもわからないでもないけどさ。」    大学生が同情的な言葉を吐く。 「現実逃避・・ですか。」 「うん・・、まあ、若いし。あの人まだ22歳だったんだよ。22って僕と2つしか違わないからね。そりゃあ怖いわ。実際、赤ちゃんの父親は逃げちゃったわけだし。」 「・・捨てるんなら最初から産まなきゃいいのに。」  寛太朗は思わずそう言った。      勝手過ぎるだろ    産むだけ産んで、自分は怖くなったから逃げるとか 「んー、寛太朗君、彼女いる?」 「いや、いません。」 「そっか。もしさ、彼女ができて妊娠させちゃったら、どうする?」    大学生がパタリとボールペンを置いて聞いた。 「妊娠なんかさせない。」 「うん、まぁ、そうなんだけど。もし、できちゃったら。」 「・・絶対、妊娠なんかさせない。」  寛太朗は頑なにそう言った。  大学生は、ははは、と笑った。 「そうだよね。理性で考えるとそうなんだけどさ。でも、まぁ、頭ではわかってても心は なかなかそうはいかないってこと、あると思うよ。」 「そんなの、妊娠させた方も悪い。頭、悪すぎだと思う。」 「うん、そうなんだよね。妊娠させた方だって同じくらい悪い。しかも逃げちゃうなんてさ、もっと悪い。だけどさ、女の人のほうが圧倒的に責められるでしょ。追い詰められて、責任 取らされて、人生、狂っちゃうよね。たった22歳でそんなの一人で全部は抱えきれないよ。男の方はもしかしたら、今頃、新しい彼女と楽しくやってるのかもしれないし。そう考えたらやりきれないよ。」    それで縋ったのがヤクザと高校生だったなんて、ほんと救われない。      あの人は俺にどうして欲しかったんだろう    まさか連れて逃げてくれ、と言いたかったわけでもあるまいし 「なんでそんなバカなんですかね、大人なのに。」    寛太朗は呟いた。 「ええ?容赦ないなぁ、寛太朗君。なかなか自分が思ってるほど大人になんてなれないん だって。ダメだってわかっていてもすぐそばにあるものに縋っちゃうんだよ。」    大学生がボールペンをクルクルと手で回した。 「そうなんですか。」  寛太朗は胸の火傷の跡を服の上からギュッと押さえた。  来月の期末試験に向けて皆、ピリピリとし始めた。  授業も熱が入り、どこがテストに出るのかと一瞬たりとも油断できない日々が続いている。    理貴を除いては。    理貴はテストなどあまり気にしていないようで、いつも通りの雰囲気だ。 「なぁ、寛はゼンの家に行ったことあんの?」 と突然聞いてくる。 「いや、ない。」 「え?一回も?」 「ないよ。」  へーえ、と面白そうに答える。 「ゼンが寛の家には?」 「それもないな。」  然が答える。 「お前らって変なの。仲が良いんだか、そうでもないんだかよくわかんねーな。」  理貴が言う。  確かにそうなのかもしれない。  別にもし然が誘えば行っただろうし、寛太朗が誘えば然は普通に来ただろう。  だが、お互い誘ったりはしなかった。その距離感が寛太朗には心地良い。  高校に入ってからも寛太郎と然の距離感はあまり変わっていないが、理貴が間に入ったことで空気感はずいぶんと変わった。 「じゃあさ、今日、俺の家に遊びに来ねぇ?」 と理貴が呑気に言う。    理貴は然と違って距離をどんどんと詰めてくる。 「はぁ?悪いけど、俺、今、そんな余裕ないんだわ。」 「お前、よくそんな余裕かましてられるな。」  然が呆れて言った。 「ええ?別に期末の成績良くても悪くてもあんま変わんないし。」  クラス中の鋭い視線が集まっているのにお構いなしだ。 「じゃあ、なんで特進なんかにいんの?」  不思議に思って寛太朗は聞いた。 「え?特進に入れたから?」 「え?入れたからって、お前・・。」  然が絶句する。  世の中にはこういう人間がいるんだな、と寛太朗は改めて思った。  入りたいからでもなく、入るしかなかったからでもなく、入れたから。 「な、どうせ図書館で勉強するんだろ?だったら俺ん家でやっても同じじゃん?来いよ。」    あまりにも当然という風に言うのでこちらもそのように思えてくる。  寛太朗は思わず笑って 「わかった、行く。」  と言ってしまった。 「よし。正しい選択。」  理貴が満足そうに頷く。 「ゼンも来るよな?」  理貴の当然のような言葉に然も呆れながら頷いた。  放課後、3人で連れだって理貴の家にダラダラと歩きながら向かう。 「コンビニ寄って行こうぜ。」  理貴はカゴに次々とスナックや飲み物を入れていく。  雑誌も表紙を眺めてポイポイと投げ入れた。 「おーい、理貴。もういいって。こんなに食えねーだろ。」 「そうだぞ、俺たち勉強しに行くだけなんだから。」  然が買い過ぎているスナックを棚に戻しながら言う。 「なーに戻してんだよ、ゼン。マジで?勉強するつもり?」  然がまたスナックを手に取る理貴の手首を掴んで後ろに回しながらレジに連れて行く。  然は背が高く体格が良い。柔道経験者で身のこなしに無駄がない。  理貴も背が高い方だが圧倒的に力の強い然がよくこうして簡単に押さえ込んでいる様が、 聞きわけのない子供をあやしているようで寛太朗はいつも笑ってしまう。 「離せ、ゼン。金払う。」  ポケットから出した携帯はついこないだ出たばかりの最新の携帯だ。 「あ、割り勘に。」    と言う暇もなく理貴が一瞬で払い終える。    4袋にもなった袋を手にコンビニを出た。 「バカか、理貴。誰がこんなに食うんだよ。」 と然に叱られている。 「いいじゃーん。二人が家に来るなんて初めてだから楽しいの。」  理貴がはしゃいでいる。  お金持ちなんだろうな、というのはなんとなく思っていた。  寛太朗はまったく興味がなかったがつけているアクセサリーはブランドものらしいし、 財布もイタリアの高級品だ。    理貴の父親は全国にいくつも店舗を構えているブライダル関係の会社を経営している。  理貴の祖父が始めた小さなレンタルウェディングドレスの会社を父親が大きく成長させた らしい。  理貴もいずれはその会社に入るのだろう。    白い壁の先にある大きな門の前に立って、寛太朗はさすがに驚いた。 「うわー、本物?え?お城?」  思わず聞く。 「うはは、本物ってどういう意味よ。城なわけねぇだろ。」  タッチパネルに指を当てカチャリと門扉のロックを開けた。  花で溢れる階段を登ってようやく家の玄関に辿り着く。    家の中に入ってさらに度肝を抜かれた。    天井の高い西洋風の内装でどこもかしこもキラキラとした感じの少女漫画の中にでも 入り込んだような雰囲気だ。  カーテンやテーブルにかかった布がやたらヒラヒラとしている。 「ただいまー。」 と言いながらリビングのどこもかしこも曲線でできているソファにどさりと理貴が腰かけた。     寛太朗は見た目も相まってまるでキラキラと周りに星が飛んでいる少女漫画の王子様の ように見える理貴に吹き出した。  さすがの然も隣で笑いを堪えている。 「なに?」  理貴が嫌そうな顔をして聞く。 「いや、別に。あれは、シャンデリアってやつ?舞踏会とかにこう・・。」  天井にぶら下がっているキラキラと光り輝いているものを指さして寛太朗はニヤけながら 聞いた。 「そうだよっ。全部母親の趣味なのっ。」  不機嫌な顔で立ち上がる。 「俺の部屋、上だから。行こうぜ。」  ディズニー映画に出てくような白い食器棚からグラスを取り出して階段に向かう。  結婚式場のような階段を上って入った理貴の部屋はモノトーンで統一された、モダンな 雰囲気の部屋で同じ家の中とは思えないほどだった。    壁にびっしりと漫画が詰め込まれている。  もう一方の壁には大きな天体の写真が飾ってあり望遠鏡が部屋の隅に置いてあった。 「すご。これ、全部読んだの?」 「当たり前だろ。」  大きなベッドに寝転びながら、コンビニで買ってきた雑誌をペラペラとめくっている。  机の周りの棚には参考書や辞書が詰め込まれており、机の上には何冊も積み上げてある。    寛太朗は椅子に座って参考書を手に取った。 「へー、なんだかんだ言っても勉強してんだな。」 「当たり前だろ。勉強しないで特進いるやつなんかいるか?」  理貴は起き上がって、ベッドの側にあるローテーブルにスナックやらジュースやらをぶち まけた。  次々に袋を開ける。 「読みたかったら、どれでも好きなん持って行って。」  コーラをプシュッと開けながら言う。 「あー、じゃあ、期末終わってから貸して。」  読みたい漫画が山ほどある。 「じゃあ、期末終わったらさ、毎日うちに来て読めばいいじゃん。」  理貴が嬉しそうに言う。 「漫喫みたいだな。」  寛太朗はローテーブルの側の床に座ってスナックをつまんだ。 「理貴は塾じゃなくてカテキョーだろ。」  然が聞く。 「うん。」 「すげぇな。ずっと?」 「中3の時から。中1ん時から塾に行ってたけど行くふりして遊びに行ってたのがバレて カテキョーになった。」 「お前らしいわ、なんか。」  寛太朗は笑った。 「でもカテキョーにきた女子大生と俺、すぐヤっちゃってさ。」  ゴフッと然がコーラを吹き出す。  寛太朗は爆笑した。 「それもお前らしいな。」 「今は野郎の先生ばっか。」 「ヤっちゃったって、お前なぁ・・。」  然がゴホゴホと咳き込みながら言う。 「でもさ、向こうもなんかヤリたい感じバンバン出してくるんだもん。 そりゃヤっちゃうでしょ。」  理貴がボリボリとスナックを食べながら言う。 「え?然、童貞?」  然の反応に理貴が聞く。 「いや、違う。」 「なんだ、リアクションでかいから童貞かと思った。寛は、違うよな。彼女いるもんな。」   理貴が聞く。 「うん。けど、こないだ別れた。」  施設で会った女との一瞬の出会いの後、普通科の違うクラスの子に告白されて付き合って みた。  何度かセックスもした。  今度は途中で萎えることはなかったが、最後の射精まではいくことができず、寛太朗は 期末試験を理由にすぐに別れてしまった。  自分で触ればちゃんと射精できるのになぜか人とのセックスではできない。  インターネットで調べた射精障害というやつかもしれない、と少し不安になってはいる。 「え?別れたの?」 「うん、今は期末優先だから。」  理貴の机の参考書をまた手に取る。 「寛は全然塾とか行ってねーの?」 「うん、塾は一回も行ったことない。」  理貴が驚く。 「マジで?それで特進入れたの?お前、ほんとに頭いいのな。」 「塾行く金なんてうち、ないからさ。中学ん時は然が教えてくれたし、参考書とか貸して もらってなんとか。中3からは施設でボランティアの大学生に教えてもらってるからまぁ、 カテキョーしてもらってるようなもんではあるな。」  ふーん、と理貴が面白くなさそうな顔をする。 「じゃあ、寛、一緒に俺んちでカテキョー受けろよ。一緒に受ければ俺ももっとやる気 出るし。」 「ええ?いいよ、金払えないって。」 「寛が払う必要ないじゃん。俺ん家に先生が来るのを一緒に受けるだけなんだから。 一人も二人も一緒だろ。」 「やだよ、お前と一緒に勉強とか絶対できないと思う。」  なんだよー、と口を尖らせる。 「理貴は寛に何かしてやりたいんだよ。」  然が理貴の気持ちを読んだように口に出す。 「おいゼン、何勝手なこと言ってんだよ。別にそんなんじゃねえし。」 「はっきり言うのが優しさなんだろ?」  然がからかう。 「俺は自分ではっきり言えるからいーのっ。」 「じゃあさ、参考書、貸してくれよ。古いやつでいいからさ。」 「おお、何冊でも持ってって。参考書とかじゃなくってさー、なんか、もっと、服とか? いる?」   嬉しそうに理貴はクローゼットを開けて探し始めた。 「ええ?服?そんなんもらえるわけないだろ。いいって。だいたい、サイズが合わないし。」  理貴とクローゼットの前で押し合っていると一階から物音がして 「ようちゃーん、お友達が来てるの?」 と声が聞こえた。   その瞬間、寛太朗はドアに向かってダッシュした。 「待てっ。」    焦った声の理貴が追いかけてくる。  ドアを開けようとする手を上から掴まれドアに二人して体当たりした。 「いてて。お母さまに挨拶しないと、ようちゃんっ。」  意地悪い笑いが込み上げる。 「寛、待て、待て。いいって。挨拶とか。」  理貴の耳が赤い。 「ようちゃん?大丈夫?」  ドアにぶつかる音に驚いたのか母親が階段を上がる足音が聞こえてきた。  寛太朗は沸き上がる笑いを堪える。 「ほら、お母さまに女連れ込んでると思われちゃうぞ。」 「思う訳ないだろ。玄関の靴、見てんだから。」  二人で揉み合っている間に然がドアを開ける。 「うおっ、ゼンッ。」  理貴が然の背中を掴むがお構いなしに部屋を出る。  寛太朗もすかさず、然の後ろについて部屋を出た。 「お邪魔しています。初めまして、山城然です。」 「初めまして、藍田寛太朗です。すみません、お留守の間にお邪魔して。」  二人で礼儀正しくお辞儀をした。 「あら、いらっしゃい。」  にっこりと笑う理貴の母親は、茶色い髪をくるくると巻いて頭に大きなリボンをつけた 綺麗な人だった。  理貴は母親似なのだな、とすぐわかる華やかな雰囲気をしている。  理貴よりもさらに外国人風の顔立ちだ。 「ようちゃんと同じクラスの方?」  キラキラとした笑顔で聞いてくる。 「はい、特進クラスです。」  然はいつもと変わらぬ様子で答えた。 「あー、もういい?俺ら期末の勉強中だから。」  理貴に背中を引っ張られる。 「ああ、ごめんなさいね。」 「いえ、失礼します。」  そう言って部屋に入った。  パタンとドアを閉めた瞬間、声を押し殺しながら寛太朗と然は文字通り笑い転げた。  理貴の顔が赤くなっている。 「ようちゃんっ。」  寛太朗がハァハァと肩で息をしながらからかうと 「うるせー。」 と飛び掛かかりのしかかって肘を首に当ててくる。 「あは、あ、苦し。腹いて。なんで、めちゃくちゃ綺麗な母さんじゃん。」  バンバン、と理貴の腕を叩いてギブアップのサインを出しながら寛太朗は言った。 「なんだよ、じゃあ、お前ら母親になんて呼ばれてんの。」 「カン」 「ゼン」 「ようちゃん。」  寛太朗と然がまた吹き出す。  友達の前で母親に名前を呼ばれるのはなかなかに恥ずかしい体験でそして笑える。  ようやく笑いが収まって床に座る。 「いや、マジで、すげえ若いのな、理貴の母さん。」 「まあな。美容なんとか、とか色々やってるみたい。」 「へえ、すげー。」  寛太朗は自分たち親子とはずいぶんと違う世界で生きているなぁ、と衝撃を受けた。 「ようちゃーん、良かったら、お友達と一緒にケーキ食べない? 昨日焼いたチーズケーキがあるけど。」    寛太朗が立ち上がろうとするのを理貴がすかさずタックルしてきて、床に二人して転がる。 「いてっ、食いたい。お母さまのチーズケーキ食いたいっ。」  寛太朗が匍匐前進でドアに向かう。 「行かすかっ。」  二人で転げ回っている間に然がドアを開けて 「いただきます。」 と答えた。 「ゼンッ!」  理貴が悲痛な声を上げる。 「下で一緒に食べない?学校のお話、聞きたいわ。」 と母親が然に話しかけるのを 「部屋で食べるからっ。持って上がるっ。」 と理貴が慌てて部屋を飛び出す。 「あら、そう?」    そう言ってカチャカチャと皿の音をさせて準備している様子が聞こえた。  寛太朗も立ち上がって部屋を出る。    3人でゾロゾロと一階に降りた。    チーズケーキに白いクリームがたっぷりとのせられている。  学校で女子たちが見ている雑誌の写真のようだ。 「ごめんなさいね、こんなものしかなくて。手作りのケーキだなんて、恥ずかしいわ。」  持ちにくそうなコーヒーカップにコーヒーを注ぎながら理貴の母親がそう言った。 「いいえ、僕の家、母親がシングルマザーで忙しくて手作りのケーキなんて作ってもらえ なかったのですごく嬉しいです。ありがとうございます。」   寛太朗は長い睫毛を伏せながらほほ笑んで母親にお礼を言うと、サラリと前髪を払った。 「まぁ、そうなの?良かったら後で持って帰って。」  寛太朗の大人を惹きつける技はまだ健在のようだ。  理貴があ然とした顔で寛太朗を見ている。 「やっぱりここで一緒に食べない?」   母親が気の毒そうに寛太朗を見て言った。 「いやいや、いいって。部屋で食べる。」    理貴がグイグイと背中を押してくる。 「ありがとうございます。いただきます。」  然が頭を下げる。  ゾロゾロと3人はまた階段を上がっていった。    ケーキをテーブルに置いたとたん 「寛っ、なんだお前っ。」  理貴がケリを食らわせてきた。 「うおっ。」  肩で受けながら腹を抱えて笑う。 「何?何かした?俺。」 「何かって、お前っ。急にかわい子ぶってんじゃねえよ、何だあれ。僕っつった?」 「だからさ、優れた技って言ったろ?」 「いや、技とかそういう問題?見た?ね?見た?」  然に向かってわぁわぁと騒ぐ。 「ああ、久しぶりに見た。中学ん時、ああゆうの、もっとやってたけどな。最近、見て なかった。」   ええー、もー、信じらんねぇ、と理貴が床を転げ回っているのを横目に寛太朗はチーズケーキを口に入れた。 「うっま。何これ。ほんとに手作り?」  半ば本気で聞く。 「ああ、母親の趣味でさ。なんか色々作ってるよ。」 「へぇ、すごいな。こんなの家で作れるんだ。」  フォークについたクリームを舐める。 「然の母さんは?ケーキとか作ったりする人?」  寛太朗は聞いた。 「いや、うちはお菓子とかは作ってなかった。けど俺が小さい頃はまだ親父が現場で仕切ってたから、時々母親と姉ちゃんと一緒に炊き出しには行ったな。でかい鍋で豚汁とかカレーとか作って作業員さんたちと一緒に食うんだ。正月に餅つきとか。」    然が懐かしそうに話す。 「へえ、なんか大変そう。」 「うん、母親は大変だっただろうけど、俺は楽しかった。」  然の誰にでも公平に接するところや、落ち着いた性格は小さい頃にそうやって色んな人と 接してきたからなのだろうな、と寛太朗はなんとなく納得した。    然には一級建築士になるという目標がある。 一級建築士になって父親の会社を手伝いたいのだそうだ。    一緒に仕事がしたいと思える父親がいるってどういうことなんだろう、と不思議に思う。  父親がいればいいのに、と思ったことはない。 最初からいないようなものだったし、記憶がほとんどなくてかえって良かったと思っているくらいだ。  コーヒーを飲みながら、色んな家があることに今更ながら気付く。 「なぁ、寛、どれ持ってくー?」  いつの間にかまたクローゼットで理貴が服を漁っている。 「んー、いいよ、なんでも。理貴がもう着ないやつで。」  面倒臭くなって適当に答える。  寛太朗は本棚から何冊か参考書を拝借してカバンに詰めた。

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