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高校1年 初夏

 来月の期末試験に向けて特進クラスの雰囲気が段々とピリピリし始めた。授業も熱が入り、どこがテストに出るのかと寛太朗(かんたろう)含め特進クラスの生徒たちは一瞬たりとも油断できない日々が続いている。  理貴(よしき)を除いては。  なぜか理貴だけはテストなどあまり気にしていないようでいつも通りの雰囲気だ。 「なぁ、寛はゼンの家に行ったことあんの?」  寛太朗が正弦定理(せいげんていり)を解くのを眺めながら理貴が訊いてくる。 「いや、ない」 「え?1回も?」 「ないよ」 「ゼンが寛の家には?」 「それもないな」  (ぜん)が答える。 「お前らって変なの。仲が良いんだか、そうでもないんだかよくわかんねーな」  理貴が笑った。  確かにそうなのかもしれない。  中学生の時から学校にいる時はほとんど一緒にいるのに、お互いの家に行き来したことはなかった。  その距離感が寛太朗には丁度良い。  高校に入ってからも寛太郎と然の距離感はあまり変わっていないが、理貴が間に入ったことで空気感はずいぶんと変わった。 「じゃあさ、今日、俺の家に遊びに来ねぇ?」 と理貴が呑気な声で言った。  理貴は然と違って距離をどんどんと詰めてくる。 「はぁ?悪いけど、俺、そんな余裕ないんだわ」 「お前、よくそんな余裕かましてられるな」 「ええ?別に期末の成績良くても悪くてもあんま変わんなくない?まだ1年じゃん」  クラス中の鋭い視線が集まっているのにお構いなしだ。 「じゃあ、なんで特進なんかにきたんだよ」  不思議に思って寛太朗は訊いた。 「え?特進に入れたから?」 「え?入れたからって、お前・・」  然が絶句する。  世の中にはこういう人間がいるんだな、と寛太朗は改めて思った。入りたくても入れない生徒がほとんどなのに入れたから入ったのだ、と当然のように言ってのけてしまう。それが理貴という人間だ。 「な、どうせ図書館で勉強するんだろ?だったら俺ん家でやっても同じじゃん?来いよ」  あまりにも当然という風に言うのでこちらもそのように思えてくる。  寛太朗は思わず笑って 「わかった、行く」 と言ってしまった。 「さすが寛」  理貴が満足そうに頷く。 「ゼンも来るよな?」  理貴の言葉に然も諦めたように頷いた。    放課後、3人で連れだって理貴の家にダラダラと歩きながら向かう。 「コンビニ寄って行こうぜ」  理貴はカゴに次々とスナックや飲み物を入れていく。雑誌も表紙を眺めてポイポイと投げ入れた。 「おーい、理貴。もういいって。こんなに食えねーだろ」 「そうだぞ、俺たち勉強しに行くだけなんだから」  然がカゴの中のスナックをせっせと棚に戻している。 「なーに戻してんだよ、ゼン。マジで?勉強するつもり?」  然がまたスナックを手に取ろうとする理貴の手首を掴んで後ろに回しながらレジに連れて行く。  然は柔道をやっているからか身のこなしに無駄がない。理貴も背が高い方だが圧倒的に力の強い然がよくこうして簡単に押さえ込んでいる様は聞き分けのない犬をしつけているようで、寛太朗はいつも笑ってしまう。 「離せ、ゼン。金払う」  ポケットから出した携帯はついこないだ出たばかりの最新の携帯だ。 「あ、割り勘に」 と寛太朗が言う間もなく一瞬で払い終えると、4袋にもなった袋を手にコンビニを出た。 「バカか、理貴。誰がこんなに食うんだよ」  そう然に叱られながらも 「いいじゃーん。2人が家に来るなんて初めてだから楽しいの」 と理貴ははしゃいでいる。  お金持ちなんだろうな、というのはなんとなく思っていた。  寛太朗はまったく興味がなかったがつけているアクセサリーはブランドものらしいし、財布もイタリアの高級品だ。  理貴の父親は全国にいくつも店舗を構えているブライダル関係の会社を経営している。  理貴の祖父が始めた小さなレンタルウェディングドレスの会社を父親が大きく成長させたらしく、理貴もいずれはその会社を継ぐことになっている、いわゆる3代目だ。  白い壁の先にある大きな門の前に立って、寛太朗は予想を超えた大きさに驚いた。 「うわー、本物?え?お城?」  思わず呟く。 「うはは、本物ってどういう意味よ。城なわけねぇだろ」  タッチパネルに指を当てカチャリと門扉のロックを開け、花で溢れる階段を登ってようやく家の玄関に辿り着く。  家の中に入ってさらに度肝を抜かれた。  天井の高い西洋風の内装でどこもかしこもキラキラとした感じの少女漫画の中にでも入り込んだような雰囲気だ。カーテンやテーブルにかかった布がやたらヒラヒラとしている。 「ただいまー」 と言いながらリビングのどこもかしこも曲線でできているソファにどさりと理貴が腰かけた。  見た目も相まって周りに星が飛んでいる少女漫画の王子様のようになっている理貴に寛太朗はつい笑ってしまい、然も隣で笑いを(こら)えている。 「なんだよ」  理貴が嫌そうな顔をしてこちらを睨んだ。 「いや、別に。あれは、シャンデリアってやつ?舞踏会とかにこう・・」  天井にぶら下がっているキラキラと光り輝いているものを指さして寛太朗がニヤけながら訊くと然が我慢しきれずに吹き出した。 「そうだよっ。全部母親の趣味なのっ」  不機嫌な顔で立ち上がる。 「俺の部屋、上だから。行こうぜ」  有名なアメリカのアニメ映画に出てくような白い食器棚からグラスを取り出して結婚式場のような階段を上がって行く理貴の後ろをついて行く。  理貴の部屋はモノトーンで統一されたモダンな雰囲気の部屋で、びっしりと漫画が詰め込まれた本棚と大きな天体の写真、そして望遠鏡が部屋の隅に置いてあった。 「すご。これ、全部読んだの?」 「当たり前だろ」  理貴大きなベッドに寝転びながら、コンビニで買ってきた雑誌をペラペラとめくった。  机の周りの棚には参考書や辞書が詰め込まれており、机の上には何冊も積み上げてある。  寛太朗は椅子に座って参考書を手に取った。 「へー、なんだかんだ言っても勉強してんだな」 「当たり前だろ。勉強しないで特進いられるやつなんかいるか?」  理貴は起き上がって、ベッドの側にあるローテーブルにスナックやらジュースやらをぶちまけ、次々に袋を開けた。 「読みたかったら、どれでも好きなん持って行って」 「あー、じゃあ、期末終わってから貸して」  読みたい漫画が山ほどある。 「じゃあ、期末終わったらさ、毎日うちに来いよ」 「毎日?」  寛太朗はローテーブルの側の床に座ってスナックをつまんだ。 「理貴は塾じゃなくてカテキョーだろ」 「うん」 「すげぇな。ずっと?」 「中3の時から。中1ん時から塾に行ってたけど行くふりして遊びに行ってたのがバレてカテキョーになった」 「お前らしいわ、なんか」  寛太朗は笑った。 「でもカテキョーにきた女子大生と俺、すぐヤっちゃってさ」  ゴフッと然がコーラを吹き出し、寛太朗は爆笑する。 「それもお前らしいな」 「ヤっちゃったって、お前なぁ・・」 「でもさ、向こうもなんかヤリたい感じバンバン出してくるんだもん。そりゃヤっちゃうでしょ」  理貴がボリボリとスナックを食べながら言う。 「え?然、童貞?」 「いや、違う」 「なんだ、リアクションでかいから童貞かと思った。寛は違うよな。彼女いるもんな」  「まあな。こないだ別れたけど」  施設で会った女との一瞬の出会いの後、普通科の違うクラスの子に告白されて特に断る理由もないので、しばらく付き合っていた。  施設の女との出来事が後味の悪いものだったのもあり、同級生とならもっと楽しいかもと少し期待していた。もちろん、セックスにも。  だが今度は途中で萎えない代わりに、最後の射精までいくことができなくなってしまった。  自分で触ればちゃんと射精できるのになぜか彼女とのセックスでは最後までできない。  インターネットで調べまくって射精障害というやつかもしれない、と不安になり、期末試験を口実に別れてしまった。 「え?別れたの?」 「うん、今は期末優先だから」 「寛は全然塾とか行ってねーの?」 「うん、塾は1回も行ったことない」  理貴が驚く。 「マジで?それで特進入れたの?お前、ほんとに頭いいのな」 「塾行く金なんてうち、ないからさ。中学ん時は然が教えてくれたし、参考書とか貸してもらってなんとか。中3からは施設でボランティアの大学生に教えてもらってるからまぁ、カテキョーしてもらってるようなもんではあるけど」  ふーん、と理貴が面白くなさそうな顔をする。 「じゃあ、寛、一緒に俺んちでカテキョー受けろよ。一緒に受ければ俺ももっとやる気出るし」 「ええ?いいよ、金払えないって」 「寛が払う必要ないじゃん。俺ん家に先生が来るのを一緒に受けるだけなんだから。1人も2人も一緒だろ」 「やだよ、お前と一緒に勉強とか絶対できないと思う」  なんだよー、と口を尖らせる。 「理貴は寛に何かしてやりたいんだよ」  然が理貴の気持ちを読んで口に出した。 「おいゼン、何勝手なこと言ってんだよ。別にそんなんじゃねえし」 「はっきり言うのが優しさなんだろ?」  然がからかう。 「俺は自分ではっきり言えるからいーのっ」 「じゃあさ、参考書、貸してくれよ。古いやつでいいからさ」 「おお、何冊でも持ってって。参考書とかじゃなくってさー、なんか、もっと、服とか?持ってけば?」  嬉しそうに理貴はクローゼットを開けて探し始めた。 「ええ?服?そんなんもらえるわけないだろ。いいって。だいたい、サイズが合わないし」  理貴とクローゼットの前で押し合っていると1階から物音がして 「ようちゃーん、お友達が来てるの?」 と呼びかける声がする。  その瞬間、寛太朗はドアに向かってダッシュした。 「待てっ」  焦った声の理貴が追いかけてくる。ドアを開けようとする手を上から掴まれドアに2人して体当たりした。 「()て。お母さまに挨拶しないと、ようちゃんっ」  笑いが込み上げる。 「寛、待て、待て。いいって。挨拶とか」  理貴の耳が赤い。 「ようちゃん?大丈夫?」  ドアにぶつかる音に驚いたのか母親が階段を上がる足音が聞こえてきた。 「ほら、お母さまに女連れ込んでると思われちゃうぞ」 「思う訳ないだろ。玄関のお前らの靴、見てんだから」  2人で揉み合っている間に然がドアを開ける。 「うおっ、ゼンッ」  理貴が然の背中を掴むがお構いなしに部屋を出て行き、寛太朗もすかさず後ろについて部屋を出た。 「お邪魔しています。初めまして、山城(やまき)然です」 「初めまして、藍田(あいだ)寛太朗です。すみません、お留守の間にお邪魔して」 と2人で礼儀正しくお辞儀をした。 「あら、いらっしゃい」  にっこりと笑う理貴の母親は、茶色い髪をくるくると巻いて頭に大きなリボンをつけた綺麗な人だった。理貴は母親似なのだな、とすぐわかる華やかな雰囲気をしていて、理貴よりもさらに外国人風の顔立ちだ。 「ようちゃんと同じクラスの方?」  部屋と同じくキラキラとした笑顔で尋ねた。 「はい、特進クラスです」 「あー、もういい?俺ら期末の勉強中だから」  理貴が背中を引っ張る。 「ああ、ごめんなさいね」 「いえ、失礼します」  パタンとドアを閉めた瞬間、声を押し殺しながら寛太朗と然は文字通り笑い転げた。 「ようちゃんっ」  寛太朗がハァハァと肩で息をしながらからかうと 「うるせー」 と飛び掛かかりのしかかって肘を首に当ててくる。 「あは、あ、苦し。腹いて。なんで、めちゃくちゃ綺麗な母さんじゃん」  バンバン、と理貴の腕を叩いてギブアップのサインを出しながら寛太朗は言った。 「なんだよ、じゃあ、お前ら母親になんて呼ばれてんの」 「カン」 「ゼン」 「ようちゃん」  寛太朗と然でまた笑い出す。友達の前で母親に名前を呼ばれるのはなかなかに恥ずかしい体験でそして笑える。 「いや、マジですげえ若いのな、理貴の母さん」 「まあな。美魔女なんとかとかやって・・」  理貴の口から出てきたワードにブフッと然と2人で()え切れずにまた吹き出した。 「ようちゃーん、良かったら、お友達と一緒にケーキ食べない?昨日焼いたチーズケーキがあるけど」  寛太朗が立ち上がろうとするのを理貴がすかさずタックルしてきて、床に2人して転がる。 「痛てっ、食いたい。お母さまのチーズケーキ食いたいっ」  寛太朗は理貴を引きずりながら匍匐前進(ほふくぜんしん)でドアに向かった。 「行かすかっ」  2人で転げ回っている間に然がドアを開けて 「いただきます」 と答える。 「下で一緒に食べない?学校のお話、聞きたいわ」  母親が然に話しかけるのを 「部屋で食べるからっ。持って上がるっ」 と理貴が慌てて部屋を飛び出し叫んだ。 「あら、そう?」  カチャカチャと皿の音をさせて準備している様子が聞こえ、寛太朗たち3人はゾロゾロと一階に降りた。  学校で女子たちが見ている雑誌の写真のような白いクリームをたっぷりと皿の上のチーズケーキに添えてくれる。 「ごめんなさいね、こんなものしかなくて。手作りのケーキだなんて、恥ずかしいわ」  持ちにくそうな小さなコーヒーカップにコーヒーを注ぎながら理貴の母親がそう言った。 「いいえ、僕の家、母親がシングルマザーで忙しくて手作りのケーキなんて作ってもらえなかったのですごく嬉しいです。ありがとうございます」  寛太朗は長い睫毛を伏せながらほほ笑んで母親にお礼を言うと、サラリと前髪を払った。 「まぁ、そうなの?良かったら後で一つ包むわ。お母さまにも持って帰ってさしあげて」  寛太朗の大人を惹きつける技はまだ健在のようで母親は同情の眼差しを向け、理貴があ然とした顔でそれを見ている。 「やっぱりここで一緒に食べない?」  気の毒そうに寛太朗を見てそう言う母親に 「いやいや、いいって。部屋で食べる」 と理貴が答えグイグイと背中を押してくる。 「ありがとうございます。いただきます」  然が頭を下げ、ゾロゾロと3人はまた階段を上がっていった。  部屋に入った途端、 「寛っ、なんだお前っ」 と理貴がケリを食らわせてきた。 「うおっ」  寛太朗はヒョイとよけて笑った。 「何?何かした?俺」 「何かって、お前っ。急にかわい子ぶってんじゃねえよ、何だあれ。僕っつった?」 「だからさ、優れた技って言ったろ?」 「いや、技とかそういう問題?見た?ね?見た?」  然に向かって子供のように騒ぐ。 「ああ、久しぶりに見た。中学ん時、ああゆうのもっとやってたけどな。最近、見てなかった」  ええー、もー、信じらんねぇ、と理貴が床を転げ回っているのを横目に寛太朗はチーズケーキを口に入れた。 「うっま。何これ。ほんとに手作り?」 「ああ、それも母親の趣味でさ。なんか色々作って配信とかしてるよ」 「へぇ、すごいな。こんなの家で作れるんだ。信じらんねぇ」  フォークについたクリームを舐める。 「然の母さんは?ケーキとか作ったりする人?」  寛太朗は尋ねた。 「いや、うちはお菓子とかは作ってなかった。けど俺が小さい頃はまだ親父が現場で仕切ってたから、時々母親と姉ちゃんと一緒に炊き出しには行ったな。でかい鍋で豚汁とかカレーとか作って作業員さんたちと一緒に食うんだ。正月に餅つきとか。そういえばぜんざいとかは食ったな」 「へえ、なんか大変そう」 「うん、母親は大変だっただろうけど俺は楽しかった」  然の誰にでも公平に接するところや、落ち着いた性格は小さい頃にそうやって色んな人と接してきたからなのだろうな、と寛太朗はなんとなく納得した。  然には一級建築士になるという目標がある。一級建築士になって父親の会社を手伝いたいのだそうだ。  一緒に仕事がしたいと思える父親がいるってどういうことなんだろう、と不思議に思う。  父親がいればいいのに、と思ったことはない。最初からいないようなものだったし、記憶がほとんどなくてかえって良かったと思っているくらいだ。  こんなに家庭環境が違っているのに今こうして3人でつるんでいることが寛太朗は不思議で、そして楽しかった。 「なぁ、寛、どれ持ってくー?」  いつの間にかまたクローゼットで理貴が服を漁っている。 「んー、いいよ、なんでも。理貴がもう着ないやつで」 と適当に答えて、残りのチーズケーキをゆっくりと味わった。  

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