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高校2年 春
2年に進級してあっと言う間に1ヵ月が過ぎ、5月になって日差しが急に強くなってきた。
今日は工業科で体育祭が開催されていて体育館やグランドが騒がしい。
この学校が近隣の高校と合併してすぐの頃は普通科と工業科で合同体育祭を催していたらしいのだが、暴動が起ころうかというほどの険悪な事態になってしまったことがあって以来、今は春の工業科の体育祭、冬の普通科のマラソン大会と別々の行事になっている。
今日の食堂は工業科の生徒がほとんどおらずいつもに比べて随分と静かだ。
「先、戻ってて」
理貴 と然 に声をかけて寛太朗 は購買に向かった。
何気なくアイスの入ったケースを覗き込み、紫色のポリエチレンに入ったアイスを見つけて思わず
「おわ、なつかし」
と声を上げる。
嬉しくなって買ってしまったアイスを手に食堂を出て体育館の前を通ると、中ではバレーボールの試合を開催しているらしくボールの音と歓声が外まで漏れてきた。
大きく開いた扉の前を赤い髪がチラリと横切り、寛太朗はつい立ち止ってその姿を目で追った。
みー、バレーボールなんかできるのか?
のろまなイメージしかない美己男がバレーボールだなんて想像つかない。
美己男 はコートの後ろに立つとバン、バンとボールを床に打ち付け、高く投げ上げた。
ボールを追いかけるようにジャンプして体をしならせ相手コートに叩き込む。ボールはコートの床に真っすぐ突き刺さるように飛んでいった。
そのあまりにも鮮やかで美しいフォームに寛太朗は目を奪われた。
わぁー、と歓声が上がり美己男の周りに同じコートの生徒が集まり手を挙げると、美己男は笑顔で次々とその手にハイタッチしていく。
その笑顔に寛太朗の胸がドキリと音を立てた。
考えてみれば、美己男が他の生徒と一緒にいるところをちゃんと見るのは初めてだ。小学校の時はずっと寛太朗と一緒だったし、高校では食堂で一瞬、見かける程度だ。
当たり前のことだが、美己男には美己男の世界があるんだということに気が付く。
知ってることのほうが少ないのかも
だが、自分しか知らない美己男も確かにいる、と思うとなんとも言えない腹の底が疼くようなこそばゆい感じがする。
バン、という音と歓声に、ハッとして寛太朗は顔を上げた。体育館の中の美己男と目が合い、照れくさくなってフイと目を逸らし歩き出す。少しして追いかけてくる足音が聞こえ、後ろに目をやると、赤い髪が視界に入った。
寛太朗は走り出し、今は野球部の部室兼倉庫と化している旧校舎に駆けこむとそのままの勢いで3階まで上がった。
「寛ちゃん、待って」
美己男の声に下を覗き込み
「もうちょい、がんばれ」
と声をかけると、美己男が見上げて笑う。
屋上の扉を開けて外に出た寛太朗に追いかけて飛びついて来た美己男の体を抱きしめるとドキドキと鼓動が伝わってきた。
「んー」
抱き合って唇を合わせる美己男の首筋にアイスを当てると
「つべたっ」
と首をすくませた。
「購買で懐かしいの売ってた」
「うわ、ほんとだ。しかもぶどう味じゃん」
「うん、半分こしようぜ」
地面に座り込んで早速、寛太朗はポリエチレンの凍った棒をポキリと半分に折った。
「ん」
差し出した半分の切り口から液体が溢れそうになり、慌てて美己男が寛太朗の手の中にあるアイスを咥えながら隣に座った。
「ありがと」
寛太朗も半分のアイスを咥えてガシガシと噛んだ。
「なつかしい味がするな」
チュウチュウと2人で夢中になって吸う。
「こんなに短かったっけ」
すぐに食べ終わると美己男が呟いた。
「お前がでかくなり過ぎなんだよ」
「そっか、ガムボールもちっさくなってんのかな」
「そりゃそうだろ、今なら飴玉くらいじゃね?」
「あの駄菓子屋、まだあるの?」
「いや、あの市場自体がなくなった」
「そっか、残念」
グラウンドのほうから、次の競技のアナウンスが聞こえてくる。
「みーって、バレーボールうまいのな。意外」
「ああ。中学ん時に何か運動部に所属しなくちゃいけなくてさ。俺、足遅いし、バレーならあんま走んなくていいかな、って思って入った」
寛太朗はヨロヨロと後ろを追いかけてくる小学生の頃の美己男を思い出して笑った。
「寛ちゃんは?中学の時、何部?」
「俺?俺は英検」
「英検?それって部活?」
「まあ、クラスなんだけど、部活動扱いにしてくれるっていうから入ってた。高校入試に有利だったし」
「へぇ、すご。でもさ、寛ちゃん、足速いじゃん。2月のマラソン大会、21位だったでしょ。順位表見た。運動部じゃないのにすごすぎ」
美己男が眩しそうに寛太朗を見る。
「あれは真剣に走ってる奴、少ないから」
「そんなに早いのになんで陸上部に入んなかったの?」
「走るのは好きだけど勝つために走るのは好きじゃない。陸上じゃあスポーツ推薦とれるほどにはなれそうもなかったし。それなら英検とか受験に有利なもんが良かったから」
「ふーん、俺、寛ちゃんの走ってるとこ、カッコ良くて好き。いっつも後ろから見てた」
「それはお前が足遅いからだろ」
アイスの抜け殻を咥えながらゴロリと寝転ぶと視界いっぱいに青い空が広がった。
美己男が寛太朗の口から袋を取り上げ、上からムニュ、と冷たい唇を押し付けて来た。美己男の髪に指を差し込み、ぶどうの甘い味がする舌を味わいながら雲が流れていくのを眺める。 遠くから、ワァッ、と歓声が聞こえトクトクと美己男の鼓動が伝わってくるのを感じて、ぎゅっ、と胸が苦しくなって喉の奥が熱くなった。
あ、幸せかも
そう思った自分に驚いた。
「寛ちゃん?」
美己男が覗き込む。
「ん?」
視線を空から美己男に移す。
「どうかした?」
「いや、なんか平和だなと思ってさ」
何それ、と美己男がもう一度、ムギュ、と唇を押し付けてきて寛太朗は目を閉じた。
「ここ、いいですか?」
図書館で声をかけられたのは5月の終わり頃だった。
「どうぞ」
他にも席はいくらでも空いているのにわざわざ斜め向かいに声をかけて座るなんて、変な生徒だな、と寛太朗は思った。
同じ制服だが、開いている教科書は1年生のものだ。
後輩か
寛太朗はすぐにその生徒の存在を忘れて終了時刻まで過ごし、閉館のアナウンスが流れ始めて顔を上げると、斜め向かいにその生徒はまだいた。
さっさと片付けを終えて図書館を出ると、後ろから慌てて追いかけてくる足音がして
「藍田 先輩」
と今度は名前を呼ばれ、寛太朗は仕方なく振り向いた。
「誰?1年生だよね。なんで俺の名前知ってるの?」
寛太朗は警戒感を露わにしながら訊いた。
「あ、はい。普通科1年の北河 百花 っていいます。あの、すみません、追いかけてきちゃって。藍田先輩、有名なので」
「有名?俺が?」
「はい」
百花ははにかんだ笑顔で寛太朗の横に並んで歩き出した。
寛太朗の顎あたりまでしかない小柄な子で、肩あたりまでのくるりと巻いた毛先がふわふわと揺れる。
寛太朗もつられて歩き始めた。
「2年の特進クラスの伊井田 先輩と山城 先輩といつも一緒にいますよね。有名です1年生の間で」
「へぇ」
確かに理貴は1年だけでなく校内の、なんなら他校の女子からもモテモテで有名ではある。
「それ理貴のことだろ」
「いいえ、山城先輩も藍田先輩もファンの子多いですよ」
「へぇ、そうなんだ。百花・・ちゃんは、誰のファン?」
寛太朗は答えのわかり切った質問をする。
「あの・・、私は、藍田先輩の・・」
耳まで赤くして恥ずかしそうに答えた。
「ふうん、嬉しいな。理貴のファンかと思った。俺のどこがいいの?」
よく知らない相手なのに、と寛太朗は不思議に思って尋ねた。
「あの、藍田先輩のすごく頭良さそうなところとか。あと、寂しそうな顔するところとか・・」
「ふーん」
寂しそうな顔、か
女子ってそういうのに弱いよな、と思う。
寂しそうとか、可哀そうとか、かわいい、とか、そういったものを全て同一 のように扱う感じが寛太朗にはよくわからない。
「先輩、いつもなんだか、寂しそうで気になって。ずっと見てました。それで、あの、私と付き合ってくれませんか」
全身の力を振り絞って告白してきたのだろう、声が震えている。
「ああ、そうなんだ。ありがとう。嬉しいけど、でも、俺、あんまり、百花ちゃんの気持ちに答えてあげられないかも」
寛太朗は今までのことを思い返しながら言った。
「え?それってどういう意味ですか・・?」
百花が潤んだ目で見上げてくる。
「俺、つきあっててもつまんないみたいでさ。ずっと勉強とバイトで忙しいから、一緒に遊びに行ったりとかできないし。それで、前の彼女にも振られたから」
「そんなの、全然いいです。私、平気です」
百花が即答する。
「ほんとに?俺、マジで時間ないよ。デートとか記念日とかもやんないし。学校で話すだけとかでもいいの?」
しかも、君とはセックスできないかも
言っておかなければ後で面倒なことになる、というのは分かっているがとても口に出す勇気がない。
「いいです。それだけで」
あまりにも必死な様子に
「わかった。じゃあ、いいよ。百花ちゃんがそれでいいなら」
寛太朗はついそう答えてしまった。
百花の頬がピンク色になる。
「え?ほんとに?」
「うん、まぁ」
相手がそれでいいというのなら仕方がない、こっちは断ったのにしつこいからだ・・、と言い訳のように考える。
「じゃあ、帰ろっか。遅くなったらご両親、心配するから」
そう言って、百花の驚くほど小さい手を握った。
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