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第27話
数時間後、煌は解放された。
てっきり警察に突き出されると思っていたので拍子抜けした。他の町で盗んだ財布を玲衣ではなく煌が持っていたら、こうはならなかったかも知れない。
外に出ると、西の空がうっすらとオレンジ色に染まり始めていた。
玲衣が心配しているに違いない。自然と駆け足になる。
家に帰ると、居間にも食堂にも玲衣はいなかった。階段を上がって、いつも二人が寝ている寝室を覗く。
段ボールのベッドの上に玲衣はいた。
部屋の窓が開いていて、入ってくる風は夕暮れの香りがした。
玲衣は眠っていた。
起こさないようにベッドにそっと近づく。玲衣の白い頬には涙の痕があり、伏せられた長いまつ毛は湿っていた。
憂いを含んだ寝顔さえも、玲衣は綺麗だった。
ふと、玲衣が何かを大事そうに握りしめているのに気づいた。
ドクン、心臓が鳴った。
煌のシャツだった。
煌は静かに玲衣の前にひざまずく。
「玲衣……」
桜貝のような唇から小さな寝息が漏れている。
この唇に、何度触れたいと思ったことだろう。
一度でいい、たった一度でいいのだ、それ以上は望まない、だから……。
煌はゆっくりと顔を近づけた。
その時、階下で扉が開く音がし、数人の人間が家の中に踏み込んでくる音がした。
粗暴な足音から、土足であることがうかがえた。
それはあっという間だった。足音はすぐに階段を駆け上がってきた。
逃げたり隠れたりする時間はなかった。
「煌」
足音で目覚めた玲衣が煌の腕を握った。
部屋に入ってきたのは警察だった。
やはりスーパーの人が警察に通報したのか? 煌を一旦解放したのは、煌を泳がせて玲衣も捕まえるためか?
迂闊だった。警官はざっと見て六、七人はいた。
けど、たかが万引きで大袈裟ではないか? それとも家出捜索の方か?
だとしても、この殺気だった雰囲気は変だ。何かがおかしい。
瞬時にいろんなことが頭の中を駆け巡る。
「周防煌だな」
煌は二人の体格のいい警官に両脇から抱えられる。手錠こそかけられていないが、これではまるで凶悪事件の犯人だ。
一方、玲衣の方は、刑事であろう年配の私服姿の男から、いたわるように「月城玲衣君だね」と確認されていた。
煌だけが連れて行かれそうになったので暴れると、他の警官も加わって押さえつけられた。
「あんまり暴れると手錠をかけるぞ、おまえは未成年者誘拐罪に問われているんだ」
何のことを言われているのかさっぱり分からなかったが、とにかくただならぬ事態になっているということだけは分かった。
玲衣もそれを感じ取ったようだった。
「煌!」
煌に駆け寄ろうとする玲衣を年配の男が制する。
「玲衣君、もう大丈夫だからね。彼に脅されていたんだろう、これでもう家に帰れるからね、ご家族が心配しているよ」
「は? 何言って」
玲衣が男の手を振り払おうとすると、男の目配せで近くの警官が玲衣の肩を押さえた。
煌は部屋の外に引きずられ、そのまま階下に連れて行かれる。
「煌!」
「玲衣!」
家の外にはパトカーが二台停まっていた。
このままでは煌だけ乗せられてしまう。
どうにかしなければ!
そう思いながらも、屈強な警官たちに囲まれてどうすることもできない。
パトカーの後部座席が開き、身体を押される。
「煌!」
見ると家の入り口に玲衣が現れ、こちらに向かって走ってくる。
そのすぐ後ろを警官がひとり、玲衣を追ってくる。
煌は渾身の力を振り絞って警官たちを振り払った。しかし、数歩踏み出したところで再び取り押さえられる。
玲衣は目の前に迫っていた。
それはまるでスローモーションのように煌の目に映った。
玲衣の後ろで夕陽が燃えていた。
玲衣は一瞬、飛んだように見えた。
そしてそのまま煌に抱きつくと、煌の唇に自分の唇を重ねた。
長い間、煌が求めてやまなかった、玲衣との初めての口づけだった。
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