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第30話

 飛行場に向かうタクシーの中で、玲衣は窓の外を見つめたまま一言も喋らなかった。  煌は今どこにいるのだろう? 大きな警察署と刑事は言っていたけど。  まだ煌がいるかもしれないこの土地を離れたくなかった。今にでも車を飛び降りて、煌を探しに行きたかった。  バックミラー越しに助手席に座る義兄の視線を感じた。何度もしつこく見てくるので、思いっきり睨みつけると、義兄は慌てて視線を逸らした。  タクシーに乗り込む時、そして降りた後、義兄はステッキを手に足を引きずって歩いていた。  玲衣のすぐ横で、母が義兄の足は一生あのままだと言ってきた。  だからなんだと思った。  母の口調は義兄に同情的で、そんな母にもう失望はしなかった。  母には玲衣の心の傷が見えないのか、それとも見ようとしないのか。けれどそんなことも、もうどうでもよかった。  煌だけだった。  玲衣の心の痛みを分かってくれたのは。煌だけがその痛みを和らげようとしてくれた。  無反応の玲衣に母は戸惑っているようだった。  母は警察署で会った時から、ずっとこんな感じだった。 「なんだかちょっと見ない間にずいぶん大人っぽくなったわね……」  横顔を向けたままの玲衣に、母はもう何も話しかけてこなくなった。  玲衣は煌の声しか聞きたくなかった、煌しか見たくなかった、煌だけが玲衣の心の扉を開くことができる唯一の存在だった。  飛行機の窓の下に、秋雲が広がっていた。  綿菓子のような夏の入道雲が恋しかった。  煌と二人、丸々二日間かけて移動した距離を、たったの二時間で戻ってきてしまった。  まるであの日の二人を嘲笑われているようで、悔しくて、そしてどうしようもなく哀しくなった。    家に着くと、玲衣は自室に閉じこもり、義父が帰ってくるのを待った。  パソコンで未成年者誘拐罪について調べた。  刑事が言ったように、本人の意思による家出でも、親の同意がなければそれに加担した者は、その罪に問われると書いてあった。  逮捕されると、三ヶ月以上、七年以内の懲役刑に処される。 「七年……」  口にしてみて、ぞっとした。  その言葉を振り払うように、頭を左右に振る。  大丈夫、七年なんてことには絶対にならない、これは成人の場合だ。十五歳の煌はもっと全然短いはずだ。  そして、またもや罪悪感の波が押し寄せる。  煌ごめん、ごめんなさい。  日付が変わる頃、外で車の音が聞こえて玲衣は玄関に走った。  義父は玲衣を見ても顔色一つ変えず、「戻ってきたか」と言っただけだった。 「お父さん、煌の告訴を取り下げて。僕が帰ってきたんだからもういいでしょ」  義父は玲衣ではなく、玲衣と同じように寝ずに義父の帰りを待っていた母を責めるように一瞥した。  義父は全くと言っていいほど、玲衣の言うことに取り合ってくれなかった。 「そいつは以前から相当素行が悪かったみたいじゃないか。おまえを連れ出した以外にも、万引きに置き引きと余罪はたくさんある。告訴を取り下げたって同じことだ」 「万引きと置き引きだったら、僕だってやったよ」 「そこなんだ。そうやって、そいつはおまえに悪影響を及ぼしただろう、以前は問題のないおとなしい子だったのに、正彦をあんな身体にしてしまって。これ以上悪さをしないよう、ああいう不良は排除しておいた方がいいんだ」  玲衣が義兄をハサミで刺したのも、まるで煌のせいかのような言い方だった。  以前は問題がなかっただと? 兄が弟にセックスを迫り、そのせいで玲衣は強迫性障害を患い、それが理由で、学校でいじめにあっていたというのに、問題がなかっただと?  目の前の義父(このひと)を殺したら、自分も煌と同じ場所に行けるのだろうか。  本気でそんな考えが頭をよぎった。

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