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第32話

 煌が途中から自分に対して女の子に抱くような淡い感情を持ち始めていたことに気づいていた。  義兄や銭湯で会った男たちのように、自分のせいで煌までおかしくさせてしまったのだ。  男同士の汚い行為にまみれてしまった自分が、まだ何も知らない、どこも汚れていない煌を巻き込んではいけないのに。  罪の意識を感じながらも、もっと煌が自分に堕ちて欲しいと、自分と同じ所に来て欲しいと仄暗いことをも思った。  そして今、自分のせいで煌がこんなことになってしまったにもかかわらず、煌に嫌われたくない、まだ煌に自分を好きでいて欲しいと願ってしまう。  煌に会いたい、会って謝りたい。  再びキーボードの上に指を走らせる。  そうして、長いことパソコンにかじりついて分かったことがあった。  それは、もし煌が少年院に入れられてしまったら、少年院では面会はおろか、手紙さえも三親等までしか許されていないということだった。  だとしたら、なんとしてでも煌が少年院に入る前に——そうならないことを祈るが——会わなければいけない。  逮捕後、接見禁止処分がついていない限り、七十二時間たてば面会ができる。  問題は、煌がその時どこの留置場、あるいは少年鑑別所にいるかだった。  いずれにせよ、煌の父親には連絡が入っているはずだ。明日、煌の家に行ってみよう。  時計を見ると朝の四時を過ぎていた。部屋の空気が重く感じられて窓を開けようとすると、小さくドアがノックされた。 「玲衣」と義兄の声がする。鍵はかけていなかった。  玲衣は机の引き出しを開けると、中から果物ナイフを取り出した。今日、台所からこっそり持ってきたものだった。  それを後ろ手に持ち、ドアを薄く開ける。  義兄は玲衣がすぐにドアを開いたことに安堵したような表情を浮かべ、ひょこひょこと身体を揺らしながら部屋に入ってきた。 「玲衣」  義兄の手が伸びてきて、玲衣は一歩後ずさる。 「なんだよ、まだ怒ってるのか。僕をこんな身体にしておいて怒るのはこっちの方だろうが、久しぶりに咥えてくれよ」 「嫌だ」  キッパリとした玲衣の拒絶に、義兄の顔が曇る。 「そいつとはやったのか? 別れを惜しむようなキスをしたっていうじゃないか。そいつのことが好きなのか」  反吐(へど)が出そうだった。  義兄は低い声でまくし立てる。 「やったんだろう。で、よかったんだろう、奴のは大きかったんだろう。な、答えろよ、どうだったんだよ。気持ちよかったんだろ、お前もやっぱり大きいのが好きなんだろ。そうだろ、玲衣。言えよ、僕も大きい立派なのが好きですって」  初めて、義兄を哀れだと思った。  結局義兄の全てはそこなのだ。  知性や教養でいくら武装しても、動物の雄としての劣等感が、義兄の人格に致命的な欠陥を与えてしまっていた。 「僕と煌はそんな関係じゃない」 「じゃ、なんでキスした」  答えられなかった。  そんな関係じゃないと言いながら、玲衣は煌とそうなることを、心のどこかで望んでいた。  煌を自分と同じ色に汚し、玲衣だけのものにしたいと思っていた。誰にも盗られないよう、繋ぎ止めておきたかった。  それなのに、今は会うどころか、煌がどこにいるのかさえも分からない。 「玲衣がまた僕のいうことを大人しく聞くなら、父さんに言ってそいつの起訴状を取り下げてやってもいいよ」  思わず顔をあげた玲衣に、義兄は満足げないやらしい笑みを浮かべた。 「さぁ、どうする? このまま友だちを見捨てるか、それとも助けてやるか」  義兄の指が玲衣の胸元のボタンを外そうとする。  玲衣は後ろ手に持ったナイフを義兄の首元に突き立てた。 「二度と僕に触れるな、今度は首の頸動脈をバッサリいくよ。そしたらすぐに煌と同じ所に行ける。もし今回のことで煌が罪に問われるようなことがあったら、僕はそうするよ。そうお父さんに伝えて」 「ば、馬鹿なことを。そうしたところで奴と会えるかどうか」 「僕は本気だよ」  玲衣の気迫に義兄はたじろいだ。 「ちくしょう、おまえまで僕のことを馬鹿にしやがって。今までもずっと心の中で笑ってたんだろう。僕のことを見下してたんだろう」  玲衣は黙って義兄を静観した。  人が自分の身体のことを馬鹿にしているという強迫観念に囚われた義兄に、何を言っても無駄だと思った。  義兄が退散すると玲衣は部屋のドアに鍵をかけた。  その手が震えていた。

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