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第34話

 家に帰ると母親がリビングから走り出てきた。  玲衣がまたいなくなってしまったと思ったようだ。 「スマホが欲しいんだけど」  どこに行っていたのかと尋ねる母に、玲衣は短く答えた。  その日のうちに新しいスマホが買い与えられた。スマホがあれば玲衣の居場所を掴みやすいと思ったのだろう。  玲衣は自室に籠り、ネットで同じようなことばかり調べた。  未成年者誘拐罪についてや、逮捕された後のこと、少年院やそこでの生活など、同じ未成年者誘拐罪で逮捕された人や、少年院に入ったことのある人のブログなどを、食い入るようにして読んだ。  そうやって一週間ほどが過ぎた。  十月に入ると急に雨が多くなった。  煌がどうなったのか、玲衣にはいっさい知らされなかった。  義父から、もう学校には行かなくていいと言われた。  また煌のように良くない友人を作られては困ると思ったのだろう。高校受験に備え、毎日のように家庭教師が家に呼ばれた。  一度だけ、玲衣の様子を見に来た学校の担任教師に煌のことを聞いてみたが、担任は自分も詳しいことは知らないと、逃げるように帰って行った。  その日の夜遅く、喉が渇いた玲衣はキッチンに飲み物を取りに降りた。リビングの前を通りかかった時、義父が誰かと電話で話している声が聞こえてきた。  A県のH警察署。  義父は確かにそう言った。玲衣たちがいた日本最南端の地とは真反対の北の地だった。  そこに煌がいる。  玲衣は直感した。  本来、被疑者は事件を起こした場所の管轄内にある留置場に収容されるが、女性や未成年者は、他の成人男性の被疑者と区分して収容できる施設に送られることがある。  その場合でも、基本は近くの留置場になるのだが、なぜか煌は遠く離れた北の果てに送られていた。  玲衣は義父に気づかれないよう、そっと自室に戻ると、すぐにさっき聞いた警察署の住所と、そこへの行き方を調べた。  煌がどこにいるのか分かった今、もうじっとはしていられなかった。  煌に会いたい、一目顔を見るだけでもいい、煌に会いたい。  明け方、玲衣はこっそりと家を抜け出し、始発電車に飛び乗った。  空港に向かい、これもまたA県行きの朝一番早い飛行機に乗った。  もうすぐ煌に会えると思うと、胸が早やった。  煌に会ったらなんて言おう、まずは謝らなければ。  もし煌が怒っていたら、許してもらえるまで謝ろう。  それから、それから、ああ何を話そう。話したいことや聞きたいことがたくさんありすぎる。  面会の時間は十五分しかない。一分一秒も無駄にできない。  その間に、着陸体制に入るというアナウンスが機内に流れた。  空港を出ると、空気がぐっと冷たく感じられた。  差し入れもできるとのことで、途中で長袖のシャツと靴下、それに漫画を一冊買った。  茶色い五階建ての警察署の入り口には、日の丸の国旗が掲げられていた。  この建物のどこかに煌がいる。もうすぐ煌に会える。  そう思うと、今にも駆け出したくなった。その衝動を抑え、玲衣は日の丸をくぐった。  しかし、玲衣はこの後、衝撃の事実を知らされることになる。  なんと煌には、接見禁止処分が出されていたのだ。  接見禁止処分とは、証拠隠蔽の恐れがあると判断された場合に出されるもので、被疑者は弁護士以外、家族でさえも会うことができない。  呆然と立ち尽くしていると、玲衣が胸に抱えた紙袋を見た警官が付け加えた。 「差し入れはできるよ、手紙はダメだけど」  目の前で手を叩かれたように、玲衣はハッと我に返った。 「あ、じゃ、お願いします」  袋を渡そうとした玲衣は、手を止めた。 「あの、その前にトイレはどこですか? めっちゃ我慢してて」  係の警官は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにトイレの場所を教えてくれた。  トイレの個室に入ると、鞄の中からペンと、袋から漫画本を取り出した。  検閲で見つかったら没収される。いちかばちかの賭けだった。  漫画本のページをめくりながら、パッと見ただけでは気づきにくい、物語を追って一ページ一ページしっかり読まないとわからないような絵の白い余白部分に、玲衣は文字を書き込んだ。 〝煌、本当にごめん〟  それだけ書き込むと、ページをパラパラとめくりながら、一文を極力短くし、最小限の情報だけを伝えるために数箇所に分けることにした。検閲の人に気づかれないようにするためだ。 〝会いたい〟 〝大好きだよ〟 〝これからもずっと〟  考えに考えた末、これだけ書くと、玲衣は漫画本を閉じた。

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