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第40話

 顔をのぞかせたのは、さっき寮に戻ってきた隣室の生徒だった。  階下に玲衣の家から荷物が届いているという。  寮では十分な食事も出るし、なんでも揃っているというのに、玲衣の母は頻繁に食べ物や日用品を送ってくる。  今回もそれだろうと思ったら、A4サイズの少し厚めの封筒で、やはり家からだった。  中に入っていたのは、去年の暮れから実家で働き始めたお手伝いさんからの手紙と、そして一台のスマホだった。  玲衣が煌にあげたスマホを売って、煌と一緒に買った、警察に没収された、あのスマホだった。  お手伝いさんからの手紙には、義父の部屋で玲衣のスマホが見つかったので送ります、と書いていた。  少し前、用事があって半日だけ家に帰ったことがあった。寮に戻ってきたときにスマホがないことに気づき、家に連絡をした。  後からスマホはカバンの底敷の下で見つかったのだが、玲衣はそのことを家に伝えないままだった。  送られてきたスマホはすでにバッテリーが切れており、電源を押しても無反応だった。しかし、お手伝いさんが充電用ケーブルも一緒に送ってきてくれていた。  買った時からすでに旧式だったそのスマホと、今玲衣の使っている最新モデルのスマホとはケーブルが異なるため助かった。  早速ケーブルに繋いで充電を始める。  このスマホには当時の玲衣と煌が写っているはずだ。  待ちきれず、少し充電したところでスマホを起動させ、ケーブルに繋いだままカメラアプリを開いた。  最初に現れたのは、首から下だけが映っている玲衣がマテ貝を獲っている動画だった。  砂からにゅっと飛び出したマテ貝を掴んで引っ張り上げる。 『あ、顔は撮っちゃダメだからね』  今より少し高めの玲衣の声がした。 『うん、分かってるって』  玲衣の心臓が大きく鼓動した。  懐かしい、煌の声だった。  しばらくすると、それまでマテ貝と玲衣の手元ばかり映していたカメラが、ふいに玲衣の顔を映し出した。  頬のラインが今よりふっくらしていて、まだ顔にあどけなさを残している。 『あ! 顔は撮っちゃダメだって言っただろ』 『これはアップしないよ』 『交代、今度は僕が撮る』  映像が激しく乱れる。二人でスマホを取り合っているのだ。  しばらくすると映像が安定し、再び玲衣の顔が映る。  玲衣は自分のその顔を見てドキリとした。 『煌、これからもずっと一緒にいようね』  十四歳の玲衣がそこで笑っていた。  一点の曇りもない、眩しいほどの笑顔だった。 『おう』 『じゃ、指切りしよう』  そこで動画は終わった。  この時の記憶が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。  そうだ、この後玲衣は煌からスマホを奪い煌を撮った。  動画の次に現れた一枚の写真。  真っ青な空に白い入道雲。    夏の太陽を背景に、そこに煌がいた。  あ、あ、あ、あ。  光の雪崩のように煌と、煌との想い出が降ってきて玲衣は埋め尽くされる。  この時、煌は強く玲衣を抱きしめてきたのだ。  今でも耳をすませば、あの時聞いていた波音と、頬をかすめていく潮風、そして煌の息づかいが聞こえてくるようだった。  その後の動画は巨大な砂の城や、病院の廃墟、野良猫をひたすら追い続ける映像が続いた。  そして、その合間に玲衣を撮影したものが映っていた。  当時、動画の編集はほぼ煌がやっていたので、玲衣はこれらに気づかなかったのだ。それに、最後の方ではほとんど煌がひとりで撮影をしていた。  途中から動画は玲衣ばかりになった。  夕陽を見つめる玲衣、波打ち際ではしゃぐ玲衣、誕生日ケーキを手に満面の笑みを浮かべる玲衣もあった。KEIをREIにしたあのケーキだった。  カメラは煌の瞳だった。  切なげに玲衣を見つめ続ける煌の瞳だった。  ピアノを弾く玲衣を最後に、動画は終わった。  玲衣はスマホを手にしたまま、動けなかった。  涙が溢れた、後から後から止まらなかった。  玲衣の夏がそこにあった。  玲衣の煌がそこにいた。 『玲衣』  玲衣を呼ぶ煌のちょっと掠れた低い声、鋭い眼光の奥に灯る優しい瞳、伸びた髪から香る潮風の匂い、日に焼けた腕に大きな手、その手はいつも玲衣をしっかりと捉えて離さなかった。  煌と颯太はちっとも似てなんかいない。  煌は世界で一人しかいない、煌に代わる人間などいやしない、煌は、玲衣の煌は煌だけだ!  玲衣はスマホを握りしめたまま身体を丸め、震えながら泣いた。  部屋に玲衣の嗚咽が響く。  部屋のドアが遠慮がちに開いたのに、玲衣は気づかなかった。 「玲衣、いるのか? そろそろ夕飯食べにこないと……」  夕食の時間になっても食堂に現れない玲衣を心配して、颯太が呼びに来たのだった。 「玲衣! どうしたんだよ?」  泣いている玲衣に颯太は駆け寄った。 「煌、煌、煌、会いたい、煌」  玲衣の目には、まるで颯太は映っていなかった。 「煌って誰だ? 玲衣?」  放心したような玲衣の肩を、颯太は一瞬躊躇ったが掴んで揺すった。  玲衣の身体がビクンと跳ねる。 「あっ、ごめん、玲衣」  すぐに颯太は手を離した。  玲衣の目が一瞬だが颯太を捉えた。しかし、すぐにその目は開いたドアの方に向けられた。 「煌……」  うわ言のように呟くと、玲衣は手に持ったスマホを大事そうに鞄に入れ、クローゼットから上着を取り出して羽織った。 「こんな時間からどこに行くんだ玲衣」  颯太の声は玲衣には届かなかった。  玲衣はそのまま颯太を残し、部屋を出ていった。

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