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第50話

 煌はホテルに戻って冷たいシャワーを浴びると、部屋の冷蔵庫からビールを取り出した。  ベッドの枕元に置いてある一冊の本を手に取ると、バルコニーの椅子に腰かけ、ビールを飲みながらページをめくる。  留置場にいた時、玲衣が差し入れてくれた漫画本で、当時流行っていた少年漫画の最新刊だったものだ。  何度も何度も繰り返し読んだので、どこに何が書かれているのか、すぐにページを開けるようになってしまっていた。 〝煌、本当にごめん 〟〝会いたい〟〝大好きだよ〟〝これからもずっと〟  煌はそれらの小さな文字を、愛おしげに指で触れる。 「玲衣……俺もこれからもずっと、玲衣のことが好きだよ」  煌が最後に玲衣に言った言葉は、嘘ではない。  以前から女性に声をかけられることが多かった煌だったが、最近は特にその頻度が増えたように感じる。    外国では男性から言い寄られることもある。  けれど、煌の心は今でも玲衣で溢れていた。  玲衣以外考えられない、玲衣以外愛せなかった。  玲衣を愛さなくなった煌は、もはや煌ではないと言っていいほど、玲衣は煌にとって絶対的な存在だった。  それでも、煌はこれからも玲衣に会うつもりはなかった。  一緒にいることだけが愛じゃないのだと気づいた時、煌は自分がやっと大人になれた気がした。  煌はバルコニーから夕日が沈む海に向かって、カメラを構える。  レンズ越しに、少年の夏の日が蜃気楼のように蘇る。  玲衣、今日はやけに君が恋しい。  ほどよくアルコールが入った身体に、テラスを吹き抜ける夏の夜風が心地良い。  今日は都内のイタリアンレストランで、高校時代の同窓会が行われていた。  久しぶりに会ったクラスメイトたちは、それぞれに思い出話に花を咲かせたり、店内から聞こえてくるピアノの生演奏に耳を傾けたりしている。 「玲衣、隣いい?」  ワイングラスを片手に声をかけてきたのは颯太だった。  颯太とは連絡は取り合っていたが、実際に会うのは高校卒業以来だ。  七年前、煌と再会して学校に戻った玲衣は、颯太にはっきりと自分は颯太の一番の友人にも恋人にもなれないと伝えた。  自分には煌という、かけがえのない大切な人がいるのだと。  玲衣は自分の過去を全て颯太に打ち明けた。義兄に性的な関係を強要されていたことも、そのせいで今でも人に触れられるのが苦手なことも。  そして、煌と過ごしたひと夏と、煌が自分のせいで少年院に入れられてしまったことを。  颯太は玲衣の話を聞いている間中、玲衣の首筋についた赤い痕をじっと見つめていた。  玲衣の話を聞き終わった颯太は、失恋から立ち直るのには少し時間がかかりそうけど、玲衣と煌を祝福するよ、と泣いているような笑顔を浮かべた。  高校卒業後、颯太はアメリカに留学し、その後見事ハーバードに合格したと知らせがきた。  玲衣は大学一年の夏休みに、アメリカ西海岸にある大学に短期留学し、そこで知り合った友人とスマホゲームアプリの会社を立ち上げた。  友人は玲衣に日本の大学からアメリカの大学に編入することを勧めたが、玲衣は煌のいる日本を離れるつもりはなかった。 「彼と再会できたんだね。おめでとう」  颯太は玲衣のグラスが空になっているのを見て、シャンパンを奢らせてくれと言ってきた。 「遠慮しとくよ、あんまりお酒は強くないんだ。それに煌とはまだ会えてないから」  えっ、と颯太はグラスを揺すっていた手を止めた。 「じゃあ、会社を辞めて引越しして、今やっていることって……」 「うん、全部一人でだよ。すごいんだよ、僕。これでも前より稼いでるんだよ」  颯太は信じられないといった顔をした。  去年、日本最南端の青い屋根の家が売りに出されていることを知った玲衣は、会社の全権限を友人に譲り渡し、そのお金で家を買い、単身で移り住んだ。  玲衣が大学を卒業した年、玲衣の母は義父と離婚した。  母は泣きながら、玲衣に今までのことを詫びた。  母もまたずっと苦しんでいたのだ。  それでも義父と一緒にいたのは、玲衣を育てるためだったのかもしれないと思うと、玲衣は母を許せる気がした。

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