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第52話

 玲衣は表紙のその写真に目が釘づけになった。  美しい夕日が世界を薔薇色に染めながら、海へ落ちていく瞬間を切り取ったもので、絶妙な海と空の色のコントラストが、息を呑むほど美しい。  しかし、玲衣の目が止まったのはそこではなく、写真の手前に写っている黒いシルエットだった。  黒く長い長方形のそれは、おそらく普通の人には何か分からないだろう。  しかし、玲衣には分かった。  それは、浜辺に作られた段ボールの家だった。  玲衣は写真集のページをめくる。  次に目に飛び込んできたのは、青い海を背景に、瓶に入った飲みかけのビールと、そして、食べかけのパンの耳だった。  写真集を持つ玲衣の指先が震える。  青年はタイトルの意味が分からないのだが、これは日本語か? と玲衣に聞いてきた。 「KI、MI、TO……」  青年は一文字一文字、たどたどしく文字を読み上げる。  KIMI TONO NATSU  君との夏。  青年は玲衣に代わって横から写真集をめくり、「自分が撮りたいのはこの海だ」と開いて見せた。  それは、海側から撮った写真で、穏やかに凪ぐ海の向こう岸に、ぽつんと青い屋根の家が写っていた。  この写真家は日本人なんだよ、彼のこと知ってる? 「KO-SUŌ」  青年が言ったのと、玲衣が表紙に印刷された名前を確認したのは同時だった。  そこには、はっきりとKO-SUŌと書かれていた。  その瞬間、玲衣は全身が震えるほどの喜びを感じた。  煌!   間違いなくこれは煌だ。  写真集は、今年の春にフランスで出版されたものだった。 「煌はフランスに住んでいるの?」  青年がキョトンとした表情をしたため、慌てて英語で説明し直した。  すると、煌は海外で撮影することも多いが、拠点は日本だと答えが返ってきた。  実際、写真集に収められた海の景色はすべて日本のもので、玲衣と煌が共に過ごしたあの夏の海が、まるで同じ時系列で追体験するかのように撮影されていた。  玲衣は最後のページを食い入るように見つめた。  そこには、青い屋根の家が写っていた。  煌はこの写真をいつ撮ったのだろうか? 今年の春に出版されているとなると、昨年の夏か、それとももっと前だろうか?  玲衣があの家を購入したのは、去年の夏の終わりだった。  そしてまた、二人がこの青い屋根の家で過ごしたのも、夏の終わりだった。  もし煌が、過去に見た海を季節も正しく再現し、撮影したのが去年だったとしたら、去年の夏の終わり、玲衣と煌はこの場所に二人ともいたということになる。  でも、もしそうなら、煌は必ず家を訪れたはずだ。  けれど、もし玲衣が留守にしているときだったのか、それとも煌が訪れたのが玲衣が移り住む少し前だったとしたら?   自分たちは、ギリギリのタイミングですれ違ってしまっていたのだろうか?  ああ、でも……。  煌! やっと、やっと見つけた!  興奮で鳥肌が立った。  出版社に問い合わせれば、煌の連絡先を教えてくれるかもしれない。  青年に聞くと、フランスは日本より七時間進んでいるため、今は真夜中だった。  ああ、今夜は眠れそうにない。 「Are you OK?」  青年が心配そうに玲衣の顔を覗き込んできた。  自分でも気づかないうちに、涙が頬を伝っていた。  煌の消息が掴めたことが嬉しくて。  そして何よりも、煌が玲衣を忘れずにいてくれたことが嬉しくて、心が打ち震えていた。  君との夏。  煌は変わってない。    煌は昔と同じまま、煌は今でも玲衣の煌だ。

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