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少年ロレンツの青い使命 [8]
ロレンツは談話室から少し離れたダイニングまでジェラルドについてきた。夕食の準備も始まってもいないダイニングは誰もおらず静かだった。
「ロレンツ、そのだな……」
静まり返った空間にジェラルドのためらいがちな声が響く。
ロレンツはジェラルドに目を合わせられず、モザイクタイルの床を睨んでいた。
「相手の意思を確認せず、勝手にキスしようとするのは……卑怯だよな」
予想通り、レオネにキスしようとしていたことを咎められ、ロレンツの中の羞恥心が膨れ上がる。しかもよりにもよって宿敵ジェラルドに注意を受けている。言われていることは至極真っ当だが、認めてしまえば善悪の立場が逆転してしまう気がした。悪者はジェラルドであるべきなのだ。
「じ、自分だって……」
「ん?」
ロレンツは意を決してジェラルドを睨み叫んだ。
「自分だって、レオに勝手にキスしたくせにっ!」
「はぁ!?」
ジェラルドが素っ頓狂な声を出し、口撃が利いていると感じたロレンツはさらに続けた。
「昨日見たんだっ! あんた、庭でレオに無理矢理キスしてた! レオは嫌がってたのに!」
ロレンツの連続口撃にジェラルドは驚き固まり、そして「まいったな……」と呟き頭を掻く。
ジェラルドの明らかな動揺にロレンツは形勢を逆転させられたと思った。しかしきっとジェラルドは反論してくるだろう。学校の教師たちもそうだ。大人たちはいつでも自分の非を認めない。
しかし、
「ああ、そうだな……。妻であっても許可なく唇を奪うのは良くないよな。だから昨日レオネにちゃんと謝って、許してもらったよ」
ジェラルドがあっさりと自分の非を認めたことにロレンツは驚いた。だが『許してもらった』はきっと嘘かジェラルドの思い込みだろう。レオネは立場上、許したフリをするしかなかったはずだ。
「じゃあ、僕もちゃんとレオにお願いする」
「キスさせてくれって?」
ジェラルドの問いかけにロレンツはこくりと頷いた。
ロレンツはレオネに気に入られている自信がある。渋々ジェラルドのキスを許したレオネだ。きっと自分とのキスは快く受け入れてくれるだろう。
「んー……それはダメかなぁ」
「はあっ?! なんで?! 言ってることが違う!」
「だって、レオネは私のものだから」
「なっ!」
当然のように言われた。ロレンツはジェラルドのあまりの傍若無人ぶりに絶句した。
そんなロレンツに構わずジェラルドが続ける。
「『相手の意思を確認しろ』と言ったのは、お前に立派な紳士として育ってほしいと思う祖父としての私からの助言だ。だがね、」
髪は半分以上白髪のジェラルドだが、その真っ黒な瞳は若々しく、鋭く、ロレンツを見つめてくる。
「レオネの夫としての私は、いくら可愛い孫にねだられてもレオネは渡せないよ。私が生きてるうちは誰にも渡さないと誓っているからね」
その視線の強さに、ロレンツは圧倒的な力の差を感じた。財力だけでなく生物的な強さだ。今のロレンツでは今のジェラルドに敵わない。
(だったら早く死んでくれよ!)
ロレンツは心の中で最も酷い暴言を吐いた。それは本心であるが、さすが人として口には出すことは憚られた。しかし腹立たしさは収まらず、ずっと思っていた言葉を吐いた。
「せ、政略結婚のくせにっ! カネでレオを買ったくせにっ!」
しかし、ロレンツが放った渾身の言葉の矢を受けても、ジェラルドは「ふはっ」と笑うだけだった。
「そのフレーズを聞くのは久しぶりだなぁ」
何てことは無いとでも言うように穏やかに受け流すジェラルド。その余裕ぶりに益々腹が立ちロレンツはさらに噛みついた。
「ぼ、僕は知ってるんだ! レオの爵位欲しさに結婚したって! 愛のない結婚生活を強いているなんてレオが可哀想だ!」
頭に血が登ったロレンツは、逃避行の計画などすっかり忘れてジェラルドにまくし立てた。しかし、ジェラルドは怒ることなく余裕の笑顔を見せる。
「確かに、愛のない結婚生活を送っているならば、レオネが可哀想だよな。でも私はレオネを愛しているし、レオネもまた私を愛してくれているよ」
「嘘だっ! レオネは我慢してるだけだっ! だから昨日あんたのキスを嫌がったんじゃないか!」
「そりゃ、いつも一緒にいれば喧嘩することくらいあるさ」
「あんたがそう思ってるだけだ!」
「どうかなぁ。私はレオネの愛を信じているけどね」
ジェラルドは遠くを見つめるようにその目を細めた。鋭さが和らいだ温かい視線だ。その目でジェラルドは本当にレオネを愛しているのかもしれないとロレンツは感じた。それでもきっとそれは、ジェラルドの一方的な想いに違いない。
ロレンツはそう思った。
そう思いたかった。
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