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第4話 思い出は今なお鮮やかで

「桜の精が現れたのかと思った。綺麗だ……実物は映像の何倍も」  明良は開口一番そう言って、ハートを鷲摑みにされたように椅子に縫い留められた。  翔馬のほうも、ひと目で明良に魅了された。きりりとした見た目はもちろん、ストローの空き袋を(まんじ)に折る几帳面さも、すべてが好ましい。  にもましてチェロの音色のように深みのある声! あの声で睦言を囁かれたら、きっと日向に置かれたトリュフさながら蕩けてしまう……。  油田に火を放ったも同然に、恋の炎がぼうぼうと燃えあがった。  テレビ電話は細かいニュアンスが伝わりにくくて、もどかしさが付きまとっていただけに、リアルで向き合えば話題が尽きないはず。なのに笑みを交わすだけで満ち足りる。  お濠に沿ってそぞろ歩くうちに、時間泥棒の仕業のように、瞬く間に月が昇った。例のマグカップは初デートの記念に、と雑貨屋で相手にプレゼントするものを選び合った。  翔馬は、ハシビロコウのくちばしを模した持ち手をあしらったそれを明良からもらった。  以来、三日にあげず逢瀬を重ねるにつれて絆が強まっていく。もはや片時も離れがたいレベルで。愛の巣を築くのは、自然な流れだ。  この将来(さき)、さまざまな出来事がふたりの歴史に彩りを添える、と信じて疑わなかった。ところが○婚式に当てはめると、(わら)婚式すら祝わないうちに死に別れる羽目に陥る。運命の悪戯にしても残酷だ。 〈以上、なれそめ編です。ご清聴、感謝〉 〈きみの得意分野でしょうにエロは省略ですか。ケチって、がっかりです〉  サボテンが中指を突き立てた(ふうだ)。ややあって、出社日だった明良が帰宅した。重い足取りでリビングルームにやって来るなり、ソファに崩れ落ちる。  急激に白髪が増えた様子に、翔馬は胸が張り裂ける……もとい、粉々になるようだった。カップの容量は、およそ三百㏄。生前は一七二センチかけ六十キロ弱あったのが、ちっぽけな(うつわ)になり果ててしまった。  それでも明良への愛に満ちている、滾々と湧き出る泉に(まさ)るほど、満々と愛をたたえている。  雨音が忍びやかに街を包む。明良がのろのろとコーヒーを淹れに立った。両手でくるんでカップを食器棚から取り出すところは、翔馬になぞらえて愛おしんでいるさまを連想させた。  頬に手を添えて仰のかせ、それから唇を重ねた──儀式めいた一連の流れを踏襲するかのごとく。  翔馬は、くちづけで応えられるものなら是非ともそうしたかった。どだい無理な相談ゆえ、せめて色あせることのない想いの万分の一でも伝わることを(こいねが)って、ひたむきに囁きかけた。

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