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第22話

 ダレン様は僕の言葉に驚いたように目を見開いたけど、敢えて言葉を発することはなかった。  ただ、ちらりとレグラス様に目を向けると、少しだけ声のトーンを落として呟く。 「ーー閣下としては不本意だろうけど、これは仕方ないね」  眉間に深い皺を刻み閉眼したままのレグラス様は、その言葉が聞こえているのかいないのか……。微動だにしない。  ふるっと頭を振ったダレン様は徐ろに僕に向き直ると、静かに説明をし始めた。 「閣下の魔力がここまで枯渇した事は今までなかったんだ。恐らく今の閣下は自分の命を守るために、本能的に生命活動を最低限まで絞ってるはずだよ」  その言葉にコクリと頷く。  だってレグラス様、さっきから全く動いていない。もしかしたら意識もないのかも……。 「だから、始めは君から閣下へ魔力の移譲してもらう事になるね」 「僕から移譲?」  首を傾げると、ダレン様は人差し指で自分の唇をトントンと指し示した。  ーー僕から口付けしろってこと……?  困惑したけど、これは救命措置だ、もう割り切るしかない。  真顔でもう一度頷くと、ダレン様は申し訳無さそうな顔になった。 「ごめんね。閣下の治療にはこれが一番だから」 「大丈夫です。分かってますから」 「うん。それでね、閣下はいまだかつてないくらいに魔力を無くしているから、多分一気に君から魔力を吸い取るはずだ。そうなると、沢山の魔力を無くして、今度は君の命が危うくなる」 「ーーはい」  そういえば、この間魔力を吸い取られた時、意識なくしちゃったっけ? 「閣下は本能で吸い取ってしまうだろうから、君が頑張って取られ過ぎないように防御するしかないんだ」 「あの、防御ってどうすれば……?」  魔力の残量は、自分の魔官に意識を向けたら多分分かる。  僕の魔力の残りが少なくなったら唇を離せば良いのかな……。  ダレン様は、あれこれ考えていた僕の手を掬うように持ち上げるとにこっと笑った。 「人間はね、皮膚呼吸もしてるんだよ。君の魔力の残りが三分の一くらいになったら、閣下の唇に君の手を当てて」  こんな風に……と、ダレン様が僕の掌で自分の口元を覆う。 「皮膚を経由して魔力を奪うのは少しずつしかできないから、君の命が危なくなることはない。それにその頃になれば閣下の意識もはっきりしてくるはずだからね」 「はい!」  確かに皮膚の接触でも魔力を奪えるって言ってた。  痛むかもしれないけど、そこはレグラス様の命には代えられないから我慢だ。  ダレン様は僕の手を離し、「さて」と扉近くに控え立つサグとソルに目を向けた。 「じゃ、アーティファクトを外すから、君達は部屋から出るんだ」 「何故ですか? フェアル様に万が一の事がないようにお側に……」  ダレン様の言葉にサグがすかさず反論する。それをダレン様は目を眇めて眺めた。 「君達、フェアルが魔力を奪われた前回の事を覚えているだろ」  ーー前回?  不思議に思ってサグに目を向けると、彼は珍しく肩を揺らして口を(つぐ)んだ。  そのサグの腕をソルが無言で取る。そして促すように軽く腕を引くと、サグは渋々部屋から出ていった。 「さ、フェアル。腕を出して」  ダレン様に声をかけられて、二人が出て行った扉から目を離す。ダレン様を見上げて、そして自分の右腕を見た。  ボタンを外して袖を上げると、窓から差し込む陽の光を受けて鈍く輝くアームバングルが現れた。 「アーティファクトは装着自体はそう難しい事じゃないんだ。ただ無理やり装着する事はできても、無理やり外す事はできない」  言葉を紡ぎながらそろりとアーティファクトに指を這わせる。 「呪具は対象者の命に結び付いて、その命を動力として稼働しているからね。無理に外そうとすると、対象者の命がごっそり奪われてしまう」  探るようにアーティファクトのラインを辿り、腕の裏側部分でその指を止めた。 「じゃあ、フェアル。君が身に付けているアーティファクトを私が外してもいいかい?」 「お……お願いします」  何がどうなるか分からなくて、おずおずと言葉を口にすると、ダレン様は聞き慣れない言葉を紡ぎ始めた。  歌うような、詩を吟じているような、不思議な音だ。  アーティファクトに指を添えたまま、伏し目がちに言葉を紡ぐダレン様をじっと見守る。  やがてパキンと乾いた音がして自分の腕に目を向けると、アーティファクトにパキパキと小さな亀裂が入り始めた。  亀裂部分から白く淡い光がゆらりと立ち昇り始め、今まさに天界に昇ろうとする魂のようでもあった。 「ーーーーー」  最後の言葉をダレン様が呟くのと同時に、アーティファクトはその光を霧散させ、力尽きたかのように細かく砕けパラパラと散っていった。  ずっと腕にあったアーティファクトの姿が消えるのを、ただ黙って見守っていた僕は、床に散る残骸をぼんやりと眺めた。 「さてこれで完了。気分は悪くない?」  顔を上げたダレン様は僕を頭から足まで見て、確認を取るように尋ねてきた。 「はい。大丈夫です」  アーティファクトが外れた瞬間、胸にある魔官が膨張したように感じた。  もしかしたら魔力を抑え込んでいたアーティファクトが外れて、一気に魔力が高まってるのかもしれない。  僕は頷いてみせると、ソファに座ったまま動かないレグラス様に目を向けた。 「魔力の移譲、始めてみます」 「そっか。じゃあ私も部屋の外に出ているね。もし防御が上手く出来なかったら、力いっぱい閣下を殴ればいいよ。それで閣下が怪我をしても私が治すから大丈夫」  ぽん、と僕の肩に手を乗せておかしな激励すると、彼はそのまま部屋を出ていった。  僕は自分の胸に手を当て大きな深呼吸を数回繰り返す。  そして覚悟を決めると、レグラス様が座るソファへと脚を進めた。 「レグラス様……」  そっと名前を呼んでみる。  ずっと動かないままのレグラス様だったから、意識もないのかと思ったけれど、僕が名前を呼ぶと彼は薄っすらと瞼を開きアイスブルーの美しい瞳を覗かせた。  でもじっと僕を見るだけで、何も言わない。  そんな彼の瞳を見つめ返して、僕は慎重に言葉を選びながら口を開いた。 「その……、今から魔力を譲渡しますね。断りもなく触れてしまってごめんなさい」  もう一歩進みレグラス様の開いた脚の間に立つ。  僕の魔力に気を惹かれたのか、レグラス様の視線は僕から外れる事はなかった。  僕を見上げる形で顔を(あお)のかせているレグラス様の頬を両手で包む。  僅かに顔を傾けて、その形よく整った薄い唇へゆっくりと自分の唇を重ねた。  息を吹き込むように少しだけ唇を開くと、ズルリとした感覚と共に僕の魔力が勢いよく抜けていく。 「……っ、」  何ともいえない感覚に、思わず腰が引ける。  脚を踏ん張ってなんとか耐えようとしたその時、つっ……とうなじを何かが這う感触がした。  なんだろう? と思いはしたけど、魔力の移譲に必死だったし、レグラス様と唇を重ねている状態では確認する事もできない。 「っ、ふ……っ」  そうしている間に、慣れない口付けにちょっとだけ息が苦しくなって、僕は一旦唇を浮かせた。  その瞬間、逃さないとばかりに頭の後ろをガシッっと押さえられ、離れた僕の唇を追うようにレグラス様の唇が近付いてきた。 「っつ!!」  いつの間にか身体も抱き込まれていた僕は、レグラス様からの貪るような荒々しい口付けを、逃げる事もできずに受け止めるしかなかった。    

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