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第56話
バクバクと煩く鼓動を繰り返す胸元を両手で押さえて、僕は身体を小さく縮こませる。
そんな僕の耳元に、レグラス様はそっと囁いてきた。
「まだ緊張している?」
トーンを抑えた囁き声は、何故か艶を含んでいるように感じて、僕は緊張で汗を浮かべながら必死に頷いた。
するとレグラス様は「仕方ない」とばかりに、小さくため息をつくと、僕に反対向きになるように促してきた。
「は……反対?」
「私に背中を向けてごらん」
そう言うと、僕を抱き込んでいたレグラス様の腕の力が緩む。
僕は言われるがまま、もぞもぞと身じろいで、向きを変えた。
背中にレグラス様の気配を感じて落ち着かないけど、間近にあったレグラス様の肌を直視しなくていい分、少しだけ気持ちが落ち着く。そうなると、ほんの少しだけ胸の鼓動も落ち着き始めた。
スン、と鼻を動かしてみる。
胸の中に囲われていた時は鼻先にレグラス様の肌があったから、その香りを強く感じていた。でも、彼に背中を向けると、感じる匂いが薄くなって、何だか淋しいような、落ち着かないような、変な感覚に陥ってしまう。
ソワソワしながら視線を彷徨わせていると、僕のお腹部分にレグラス様の腕が回され、グイっと引き寄せられた。僕の背中とレグラス様の胸がくっついのだろう。はっきりとレグラス様の体温を背中に感じて、折角落ち着いていた鼓動が再び忙しくなり始める。そんな僕の状態には気付かずに、レグラス様は僕の頭の上に頬を寄せた。
「ちゃんと私にくっついていないと、魔力移譲はできないぞ」
「は……はい」
何とか返事を返した僕に、レグラス様は懐かしそうな声を洩らした。
「昔を思いだすな」
「昔、ですか?」
「そうだ。私が留学で君の家に滞在していた時、時々こうやって添い寝をしたことがある」
そう言われて、僕はぱちくりと瞬いた。ラス様の存在は思い出すことが出来たけど、細かな思い出は全く思い出せていない。
ちょっとだけ申し訳なく感じて、僕は小さな声で謝罪した。
「ごめんなさい、僕、あまり覚えていなくて……」
「気にする必要はない。あの家での君の待遇は最悪だった。あの頃の事を忘れたというのなら、忘れたい事が多かったんだろう。思い出なんて、これからまた作っていけば良いだけだ」
そう言われて、僕はコクリと頷いた。そんな僕を慰めるように、お腹に回されていたレグラス様の手が、トントンとリズムを刻みだす。暫くそのリズムに集中していたけど、心地いい感触に僕はそっと目を閉じた。
――ーきっと今、この瞬間の事も、僕の中で良い思い出になるんだろうな。
そう思うと、気持ちがふんわりと温かくなったのだった。
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