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第86話

 僕が不思議そうに瞬いて学院長の肩を見つめていると、サグがそっと声をかけてきた。 「フェアル様、ご気分が優れませんか?」 「……っ、あ。い、いいえ、大丈夫です」  サグの声にはっと我に返った僕は、慌てて学院長へと目を向けた。 「失礼しました。ぼ……、私はアステル王国より参りました、フェアル・ネヴィです」  なんとか挨拶をすると、彼はゆるりと厳しそうな目を緩めた。 「成る程、君には見えている訳か……。まぁいい。ようこそ、ラジェス帝国へ。さぁ、こちらの席に座りなさい」  淡々と促され、僕は室内の革張りのソファに腰を下ろす。三人掛けの大きなソファだったから、僕の隣にサグとソルが座ると思っていたら、二人は僕の背後に並び立ってしまった。  あれ? と思って二人を振り返っていると、ノックの音の後に二人の人物が扉を開けて室内に入ってきた。 「レグラス様」  先に現れた人物の名を呼んで、僕は思わず立ち上がる。それは先に屋敷を出ていたレクラス様だった。  いつもは手櫛でざっくりと整えるだけの髪は、今日はきちんとセットしてあり、綺麗な顔がはっきりと見えている。  服も、黒のシャッにダークグレーの三つ揃いのスーツを身に着けていた。タイとポケットチーフの鮮やかなブルーが、はっとするほど目を引く。 「あ〜……。ポケットチーフにあの色をもってくるのかぁ……。閣下も意外に可愛いところあるじゃん」 「フェアル様の右目の色ですよねぇ……。大人げなく牽制ですか」 「『ナイト公爵家の秘宝・ヘテロクロミア様』の噂は、帝国では知らぬ者がいないくらい有名なんだし、そこまで牽制しなくてもいいだろうに」 「閣下も意外に必死なのかもしれませんね」  ひそひそとサグとソルが話をする声が聞こえる。ヘテロクロミアって、オッドアイの事だよね? 僕の何を牽制するっていうのだろう?  ちらりと二人に目を向けたけれど、二人は僕の視線に気付いてぴたりと口を噤んだ。  そんな二人をじっと見つめていると、大きな掌が僕の視界を遮ってきた。 「え?」っと思っていると、ソファの座面がゆっくりと揺れる。僕がそちらに顔を向けると、ようやく目を覆っていた掌が外された。 「早く着いたんだな。緊張していないか、フェアル?」  綺麗なアイスブルーの瞳が僕を見ている。表情はあまり変わることのないレグラス様だけど、いつも僕を真っ直ぐに見つめてくれる、この綺麗な瞳には僕を安心させる作用があるんだ。  僕は一つ息をつくと、にこっと笑った。 「レグラス様にお会いできたから、大丈夫です」 「……そうか」  少しの間の後にレグラス様は短く答え、ふと視線を前へと向けた。その微妙な雰囲気に、僕は何か不味いことを言ったかなと内心慌ていると、背後の二人が静かにざわめいた。 「て……照れてる? 照れてるよ、残酷無惨な閣下が!」 「フェアル様って、無自覚に閣下を煽りますよね。大丈夫ですかね……」  猫の聴力は人間の四倍以上って言われているけど、猫獣人の僕も当然ながら耳はよく聞こえる。  二人の、囁きよりも遥かに小さな声を拾った僕は、まじまじとレグラス様を見つめた。  ーー照れてるって、どこら辺が?  気になって凝視していた僕の視界が、再び掌で覆われる。 「フェアル、何が気になるのか後で話は聞く。今はこっちに集中してくれ」  その言葉に、僕は慌てて居住まいを正した。  前に顔を向けると、学院長が僕をじっと見ている。誰かに、ここまでじっと見られた経験がない僕は、その視線に驚いてぴくんと肩を揺らした。

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