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第91話
何故か眉間にシワを寄せてこちらを見ていたレグラス様に見送られながら、僕はアルトン・マルド先生に案内されて回廊を挟んだ反対側の建物の中へと入っていった。
こちら側の建物も外壁にみっしりと蔦が張っていて、窓が沢山ある廊下にも関わらず少し薄暗く感じる。でも僅かながらも陽の光はその蔦の隙間を縫うように差し込んでおり、風にそよぐ蔦の葉がその光をちらちらと揺していた。
ほんのり緑がかっている光が舞う光景は幻想的で美しく、僕は思わず魅入ってしまった。
「素敵な建物ですね……」
足を止めて光を追うように辺りを見渡していた僕は、思わず、ほぅ……と感嘆と混じりに呟く。すると先導していたアルトン先生が、顔を少し傾けて嬉しそうに微笑んでくれた。
「それはとても嬉しい言葉ですね」
にこにこと笑むアルトン先生の顔は慈愛に満ちている。
「ここは歴史のある古い建物ですから、生徒の中には古臭いと感じる者もいるんですよ。まぁ確かに古い建物特有の不便さはありますが、精霊が気に入って住み着いている建物は勝手に修復も建て替えもできませんからね。フェアルが気に入ってくれて嬉しいですよ」
「精霊が気に入っている物には変化を加えることができないんですか?」
首を傾げながら尋ねてみると、アルトン先生はゆるりと目尻を緩めた。
「そうですね。とはいっても精霊が妨害をするわけではありません。変化を加えた建物を精霊が気に入るか分からないから、手を加えることができないのです」
「気に入らなかったらどうなるんですか?」
「その建物から精霊は去っていきます」
アルトン先生の言葉に、僕はぱちくりと瞬いた。それじゃあ、建て替えたり修復したりするのも迂闊にはできないよね。
僕がそう納得していると、アルトン先生の言葉が続いた。
「そもそも精霊というものは気まぐれな気質で……」
その瞬間、バズが間髪を入れずに口を挟んできた。
「ねーねー、早く行きましょうよ、先生」
「バズ……」
話の腰を折られたアルトン先生が渋い顔になる。そうか、僕にとっては精霊に関することは初めて聞く話だけど、バズにとってはそうじゃないのだろう。彼に退屈な時間を与えてしまった、と僕は慌てて謝罪の言葉を口にした。
「お待たせしてしまってすみません!」
「ああ、違うよフェアル。君が悪いんじゃないんだ。アルトン先生は精霊が大好きだからね。先手を打って止めないと、話がいつまでも続いちゃうんだよ。長いよぉ~先生の精霊話」
愛嬌たっぷりに言うバズの言葉に思わずアルトン先生を見上げると、彼は少しだけ気まずそうな顔になってゴホンと咳払いをした。
「ま……まぁ、獣族の皆さんは精霊と馴染みがありませんから、つい説明をしたくなってしまうだけです。精霊に関しては魔法学の理論の部分で詳しく説明する予定なので、この話の続きはその時に……。では行きましょう」
アルトン先生にそう促されて僕達が向かった先は、二階にある教室だった。入口の扉には『魔法学』と刻まれた銀のプレートが取り付けられている。教室と廊下を隔てる壁には窓はなく、教室の中の様子を窺い知ることはできない。
「まずは授業を受ける場所の説明をしましょう」
そうアルトン先生は言うと、銀のプレートを指で差した。
「この学院は、生徒自身が受ける授業を選択するので個人個人で授業のカリキュラムが違います。ですのでご自分が受ける授業のスケジュールに沿って、教室を移動してください」
「はい、分かりました」
「フェアルが授業に参加するのは明日からですが、その最初の授業はこちらの教室なので場所を覚えておいてくださいね。もし万が一迷ってしまったら、どれでもいいので、近くの扉に設置されているこのプレートを指で軽く叩いてください。建物の扉にはすべてプレートが取り付けられていますからね」
「迷う……?」
アルトン先生の説明に頷きながら、僕はちらっと辺りに視線を流した。校舎であるこの建物は、横に幅広い建物が平行に二つ並んで建っているだけだ。複雑な構造でもないし、迷う事はないと思うのだけど。
ちらりとサグとソルに目を向けると、二人ともふるりと首を横に振る。そんな僕達を見て、バズが親切に教えてくれた。
「この校舎って精霊に好まれやすくて、沢山の精霊が住み着いているんだよね。精霊の中には悪戯好きもいてね、時々迷子になる生徒がいるんだよ」
「悪戯で迷子……ですか?」
この真っ直ぐに伸びる廊下で、どこをどうしたら迷子になるのか分からないけど、説明があるって事はそれだけ大事なことなんだろうと心に留める。
「分かりました」
「フェアルの授業スケジュールは、僕のスケジュールと被っているのが多いんだ。明日からは一緒に移動しようね」
「バズは、生徒会役員で留学生のサポートメンバーです。何かあれば、彼か留学生担当の私に相談してくださいね」
バズとアルトン先生にそう言って貰い、僕は少しだけ身体から力が抜けた気がした。サグとソルが側にいるといっても、慣れない環境でやっぱり緊張していたみたい。
僕は二人に目を向けて、感謝を籠めてそっと微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。本当に嬉しいです」
「――本当にフェアルって可愛いよねぇ」
するとアルトン先生はにこにこと笑顔になったのに、何故かバズは頬を赤く染めてしみじみと呟いた。
そんなバズを見て、僕を間に挟むように立つ位置を変えたサグとソルがぽつりと呟く。
「……フェアルが可愛すぎて心配ですね」
「可愛い、か。可愛い……ねぇ。この二人、仲良くなりすぎて、閣下が嫉妬しないと良いな……」
するとにこにこ微笑みながら僕達を見守っていたアルトン先生が、その笑顔のまま僅かに目を細めて口を開いた。
「『冷酷無残』な閣下の大切なヘテロクロミア様ですから、彼の留学期間中は何があっても学院が彼を守ります。でも……」
そこで言葉を切ったアルトン先生は、ふるりと身体を震わせてサグとソルに目を向けた。
「万が一レグラス様が誤解して嫉妬されるようなら、二人とも全力でその誤解を解いてくださいね。私もまだ死にたくありませんし、貴方達も無事では済まないでしょう?」
その言葉にサグとソルは顔を見合わせ、もう一度僕に目を向けると何故か溜め息を落しながらこくりと頷いた。
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