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第96話

「えっと……?」  モグラの後を追って階段を登った僕だったけれど、目の前に広がる光景に再び言葉をなくした。階段を登り切って踊り場に立つ僕の目の前には、何も存在していなかったんだ。  ーーいや……、訂正。  ごくりと喉を鳴らした僕は、恐る恐る足元に目を落す。  眼下には、ふわふわとのんびり空を漂う白い雲が見えていた。その雲の遥か下の方には、広大な大地が広がっている。  ーー階段を登ったら空の上って、どういうこと??  僕の頭は混乱状態だ。校舎を探索していただけなのに何故か草原に迷い込み、帰るための唯一の手掛かりだと思った別館に入ってみれば何故か空の上に立っている。 「こ、こ……ここって、どこですか?」  思わず縋り付くように手すりにつかまり震える声でモグラに尋ねると、彼は僕を見て不思議そうに首を傾げた。  ーーアステルなの。 「ア……アステル王国、ですか?」  ーーうん。  そう言われてよく見てみれば、確かに本などで見た地形とよく似ている。北側には険しい山々が連なる山岳地帯、そこからいくつもの川が流れていて南側に湿地帯を作り出している。別大きい川を挟んだ東側と西側には雄大な草原が広がっていた。ここからは見えないけれど、確か山の麓寄りに王都があるはずだ。  ーーこの世界で獣人の国はアステルだけなの。 「はい。僕もそれは知っています」  生家の図書室で読んだ歴史書を思い出して頷く。そう、この世界はアステル王国以外は人族の国ばかりなのだ。獣人であることが理由で何かと不利益を被りやすいアステル王国だけど、獣人は繁殖能力が強いから国民の数は多く、王国としての面子を保つことができていた。  モグラはじっと僕を見つめる。  ーーこの世界で精霊がいない場所はアステルだけ。 「え?」  思わず驚いた声が出てしまったけれど、確かに今までアステル王国で精霊に関する事が書かれた本を見たことがなかったし、僕もその存在を知らなかった。  ーー獣人と精霊はもともと近しい存在だったの。 「近しい存在?」  ーーそうなの。  どういうこと?  獣人は、獣の部分があるけどれっきとした人間だ。精霊は、スピリチュアル的な存在のようだし、実際にレグラス様には見えてなかった。学院長室では鷲掴みにしてたけど。それより、存在が有の個体と無の個体の存在が近しいって何だろ? ーー昔々ね、人間同士の戦や疫病が蔓延が原因で、世界に穢れが広がった時があったの。 「穢れって何ですか?」  ーー負の感情から生まれ出る悪しきもの。災いの元になるもの。穢れが濃くなると、魔獣が生まれる。魔獣は人間を襲って喰っちゃうの。 「魔獣……」  ーー魔獣は強いの。人間では殺せない。その時も穢れから沢山の魔獣が生まれたの。そして人間は絶える直前まで数を減らしたの。 「それって創世記の話ですか?」  眼下に広がるアステル王国に目を向けて、僕は首を傾げた。アステル王国にいる時は自由になる時間がなかったから、そんなにたくさんの本を読んだわけじゃない。でもそんな歴史が綴ってある書物を見た事はなかった。  だとすれば、史実かどうかの真偽不明な創世記の話と思われる。  ーーううん、違うの。ちゃんと、昔にあったことなの。死に絶えようとする人間を憐れんで、神様が四体の使徒様を世界に使わしてくれたの。 「四体の使徒?」  ーーそう。使徒様も知ってるでしょ? アステルの四大聖獣のこと。 「四大聖獣、ですか?」  その言葉に、僕は顔を上げてモグラを見る。純粋な光を宿す円らな瞳と目が合った僕は、ぱちりと瞬いて首を傾げてしまった。  知ってるでしょ? と言われたけれど、四大聖獣なんて存在を僕は知らない。  四体の使徒、四大聖獣。四と言えば、アステル王国の四大公爵を思い浮かべるけれど、聖獣ってなに?  そういえばニケ神官が話していた、聖魔獣。東西南北に封じたって言ってた。もし一体ずつ四方に封じたのなら、その数も四体存在していたの?  ーーアステルの四大聖獣は……って、ぴゃああああっっつ!!!!  僕が考え込んでいると突然モグラの悲鳴が上がった。その、今にも死にそうな声にびくんと身体を震わせてていると、僕の真横から低くも耳に心地いい声が響いてきた。 「精霊の分際で私の可愛い猫を惑わすとは、良い度胸だな」 「………レグラス様?」  顔を上げてみてみると、そこには冷たい顔でモグラを鷲掴みにするレグラス様が立っていた。彼はちらりと僕に目を向けて、頭の天辺からつま先まで視線を流すと「はぁっ」と息をつく。 「怪我はなさそうだな」  モグラを掴んだままの冷たい表情は変わらない。  でも、サグとソルの前から突然姿を消した僕を心配して、わざわざ探しに来てくれたんだと思うと、胸の奥が擽ったくなるような嬉しさが湧き上がってきた。  僕の安否を確認した後、再びモグラを睨みつけたレグラス様に思わず手を伸ばすと、少しだけ上着を引っ張ってみる。 「……あの、探しに来てくれてありがとうございます」  その瞬間、ぱっとレグラス様が身体ごと僕の方を向き、驚いた顔で僕を見下ろした。綺麗なアイスブルーの瞳が、真っ直ぐに僕を見つめる。 「あの、レグラス様?」  どうしたんだろう? と彼を見上げていると、レグラス様は僕を見つめていた目をゆるりと緩め、その秀麗な顔に凄く甘やかな微笑みを浮かべた。 「君の方から私に触れてきたのは、これが初めてだな」  その、とろとろに甘い微笑みに、僕はびっくりし過ぎて、ついついレグラス様の顔を凝視してしまっていた。    

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