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第7話 下戸の方向音痴にキスした件

4 下戸の方向音痴にキスした件  四月初旬の土曜日。千代川土手桜まつりが開催された。花は八分咲きになっていた。  直己は町内会役員として会場設営や後片付けをするために車で出掛けたので自然にノンアルコールの花見となった。  正午過ぎから土手の野球場に舞台を設えた会場で落語会を催すことになっている。そば屋の和助は、店の座布団を何枚も持ち込んで積み上げている。  完全に落語と大喜利を取り違えている。直己もつい最近までは、その二つの違いを知らなかったのだが。  そして商工会議所の阿久津(あくつ)がフォルクスワーゲンに乗せて連れて来た落語家は二人。 「どうも! 柏家(かしわや)こっぱと申します。よろしくお願いします」 「初めまして! 音羽亭松吉と申します」  直己に目を留めると、いたずらっぽく笑って見せた。片頬にえくぼが浮かんでいる。件のカエルキャラクターの若草色のトレーナーを着ている。  相変わらず大きなザックを背負っているが、中には着物などの衣装が入っているのだった。  楽屋などないから、バックネット裏の大きな桜の木の陰で素早く着物に着替えて出て来た。  落語界で羽織の着用を許されているのは二つ目以上の階級である。  柏家こっぱは二つ目なので羽織を着ていたが、前座の松吉は単なる着流しである。  だが直己はその姿に胸を鷲掴みにされる。  直線ラインだけで構成された着物が松吉の華奢な身体を見事に包み込んでいる。ズボンのようにか細い脚が剥き出しになる無粋さがない。  腰に一本巻かれた帯はひたすら潔い。背中の結び目が背筋よりやや左寄りなのも何やら鯔背(いなせ)に見える。  和装の松吉から目が離せない。一挙手一投足を見つめている。釘付けである。  どど、ど、どうしよう?  と、心の中でうろたえる直己である。  ど、どど、どうすればいいのだ?   こ、こちらはただの中年男なのに。いや、ええと……。  一人どぎまぎしていると、事態は珍妙なことになっていた。  そば屋の和助は完全に「笑点」を再現すべく舞台に広げたブルーシートの上に座布団を横一列に並べ、司会者席用にそば屋の座卓まで持って来ている。  だが落語家は二人だけなのだ。  おまけに周囲では既に花見の宴席が始まっており、この余興に注目する者は少ない。  とりあえず、こっぱが一人で中央の座布団に座って落語を始めたが、熱心にかぶりつきで聞いているのは、清川婆様、豊川婆様の二人だけだった。  ちなみに山川爺様は痛風の悪化により本城総合病院から花見禁止令が出ていた。 「喬木先生。どうも落語はいけませんな」  と商工会議所の阿久津がやって来た。  後について来た松吉が提案する。 「今の噺が終わったら大喜利をやります。司会はあにさんで、座布団運びは私がします」 「出場するのは町の人達がいいと思うんだが。先生、出てくれませんか?」  と阿久津。こちらは直己が通った高校の三年先輩である。  頷くと、こういった場で物怖じせずに舞台に立てそうな人物を何名か数え上げた。  瀬戸内シンディ&ランディ母子の名を挙げたのは阿久津だったが、 「来てませんよ」  即座に直己は言っていた。  ここに来た時からランディと鉢合わせしないか戦々恐々としていたのだ。  にわか作りの大喜利は、意外にも町内の人々の歓心を呼んだ。  あちこちで花見をしていた人々も舞台前に寄って来た。二人の落語家は短時間でお題を考え、並んだ直己等に回答を要求する。  司会のこっぱは町民を適度にいじって笑わせ、座布団運びの松吉は細かく回答者を見ては茶々を入れたりする。  またシンキングタイムなど間が空くたびに松吉は、何やら一人で踊りのような動きを見せていた。直己は正直、回答を考えるより松吉の姿を見ていたかった。  これが即興の舞台とは誰も思わなかったろう。  商工会議所の阿久津が、こっぱを相手に真柴町と本城町の確執など地元の話題を提供するから更に盛り上がるのだった。  やがて大喜利も終わりまた宴会に戻ると、落語家二人はあちこちの宴席で引っ張りだこになった。  そして、大音声が聞こえた。 「何だと! 俺の酒が飲めないのか?」  今時こんな古風な台詞を言う奴がいるのかと呆れて振り向くと、そば屋の和助だった。  もともと酒癖が良くないが、今日は張り切り過ぎたせいか、すっかり酒に飲まれている。 「ありがとうございます! 頂戴します!」  とビールのロング缶を両手に持った和助の前にプラカップを差し出すこっぱ。 「おまえはさっき呑んだろう。もう一人の落語家だ!」  和助が指名したのは松吉だった。 「申し訳ございません。私はお酒はいただけないのでウーロン茶を……」 「それでも男か! 酒が呑めないのは男じゃない! 女の腐った奴だ」 「そうだぞ!」「一杯ぐらい呑むのが礼儀ってもんだ」などと賛同する男どもまでいる。  呆れる程に昭和の空気を残した田舎の宴会である。  と感心していても埒が明かないので、 「いや、和助さん。呑めない人に勧めちゃいけませんよ」  直己が割って入ると、更に和助(まなじり)を釣り上げた。 「喬木先生。じゃあ、あんたに責任とってもらおうじゃないか!」 「責任て……私は今日は車だから飲めません」  直己が和助に詰め寄られているところに、 「はーい! みなさーん! 真柴、本城対抗飲み比べを始めまーす!」  こっぱがビールのロング缶を両手に持って大声を上げた。 「柏家こっぱ。真柴代表でーす。本城代表はどなたがなりますか?」 「瀬戸内シンディ! 本城代表行きます!」  金髪に革ジャンの女性が手を挙げた。手を動かす度に手首のチェーンブレスレットがじゃらじゃら鳴る。もちろん耳にはいくつもピアスを付けている。 「シンディは真柴出身じゃないか」  と野次られても一向にひるまない。 「今は本城に住んでるし。お店だって本城にあるもん。私が勝ったらお店に来てよ!」

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