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第10話 お見合いと舌を出して眠る猫の件

 玄関の引き戸には鍵が掛かっていた。  直己は松吉を背負ったままポケットのキーホルダーを出して鍵を開けた。  母親に締め出されるのはこれが初めてではない。思いついたらすぐ鍵をかけるから、直己は少しの外出でも鍵を携帯する癖がついている。  父でさえ庭仕事をしていて締め出され、縁側で夜明かししていたこともある(真夏だったから風邪もひかなかった)。配偶者でさえそうなのだから次男坊など簡単に締め出す。  玄関を入るとまっすぐ二階の自室に上がった。ベッドに松吉を寝かせる。そして下から客用布団を運んで来るとベッドの下に延べて自分の床とした。室内にそこはかとなく若草の香りがするのは若者の体臭だった。  直己の部屋は子供の頃から同じ二階の六畳間である。隣の六畳相当の洋間が兄の部屋である。  一度もこの家を出ることなく育った。中学までは真柴町に、高校は本城町に、医大は都心に、いずれもここから通った。  三十四年間変わることなくこの子供部屋で寝起きして来たのだ。自宅の改修や、家具の買い替えはあったが、基本の部屋に変わりはない。  早朝四時頃。始発の前に汽笛が鳴る。本城駅よりもっと先の遠くからぽーっとかすかに聞こえて来る。どこかの農家で鳴く鶏の声に重なることもある。  そして真柴駅にごとごとと始発が入って来る音。駅長が鳴らす笛の音。    昼間ならば車の音や生活音で消える様々な音が子供部屋まで聞こえて来る。  やがて日中になると、かんかんかんと踏切の音だけがよく響くようになる。  早朝の音を聞き、常ならば二度寝する。だが今朝は室内に人の気配を感じた。松吉を拾って来たのだった。  かそけき気配に心が温もる。寝返りを打ってベッドを見上げると、松吉は起きているようだった。じっとこちらを伺っている。 「先生……ですか?」  聞こえるか聞こえないかの微妙な声音。 「ん?」 「ここ、喬木医院ですか?」 「ああ。私の部屋だ」 「いつも申し訳ありません。でも今朝は早く出ないといけないんです。札幌に行くんです」 「ああ。そうなのか」  直己は布団から起き直った。 「師匠の北海道公演のお供なんです。家に帰って支度をしなきゃ……」 「それじゃ、駅まで送るよ。先に下の洗面所で顔を洗って待ってて」  いそいそと起き上がって服に着替え始める。  松吉は服のままベッドに寝かせたから、ザックを背負えば出かけられるのだが。洗面所に行く様子がない松吉に「階段を降りて左側」と教えたが、 「あの……夕べ弦蔵師匠がいらしたんじゃないですか。師匠に起こされたような気が……?」 と、きょろきょろしている。思わず直己は吹き出した。 「起こしたのは私だ」 「あ……え? 師匠じゃなかったんですか」 「じゃあ、夕べのこれも覚えていないんだ?」  直己はにわかに意地悪な気分になり、ベッドに上がると松吉の肩を引き寄せた。  戸惑っている唇に唇を寄せて存分に吸い舌をなぶる。 「え?」  松吉が直己の胸に縋っている。  薄暗い中、何となく松吉の頬にえくぼが浮かんでいる気がして触れてみる。 「夕べの続き」 「何ですか、それ?」  ふふふと笑う頬の窪みに口づけをして改めて両手で強く抱き締める。  起き抜けのベッドに座して抱き合っている。柔らかいスプリングの揺れに促されるように互いに両手で身体を抱き締めている。  更に身を寄せると下腹部に何やら当たる感触がある。  直己はそれを服の上から触ってみる。 「やだ。先生ったらどこに触って……」  と笑っていた松吉は、直己が下着の中に手を入れるに及んで、 「やだ! ちょっ……やめて、先生!」  強い力で直己の身体を押しやった。けれど直己はその部分を握って離さない。 「これじゃ出かけられないだろう」  と本気の抵抗に構わず松吉のものを取り出すと強引に握り手を動かす。先端の敏感な部分も指先で弄る。  こんなに猛っているのに、今更嫌がるふりもないだろう。  直己の掌にちょうど良いサイズの松吉のもの。  ぬめった口づけを耳に首に這わせながら、熱を帯び湿って来るものを手で責め苛む。 「こんなのやだ‼ 今、まだ……やだってば‼」  全身で抵抗する松吉に、却って直己は妙に興奮させられ強く身体を押さえつけて突っ走る。  荒い息ばかりで声も出なくなり、それでも抗っていた松吉が、 「っ……や、んんっ……」  と息を飲み、大きく震えた。  放たれたものがぱたぱたとシーツに散る音がする。  明るくなった朝の光がカーテン越しにも松吉の赤味のさした頬や、淫靡に輝く瞳を見せる。  喘いだ息が治まらない様子も愛おしい。  では、こちらも……。  直己は松吉の身体を反して背後を襲うつもりが、途端に鳩尾に激痛が走った。  息が止まりベッドに蹲ったまま身動きがとれなくなる。 「先生のバカ‼ やだって言うのに……ひどいよ! こん、こんなの……大嫌いだ‼」  泣き喚きながら松吉は身支度を整えると、ザックを引っ掴んで部屋を飛び出して行った。  今にして桜まつりの演舞の真実を知る。あの型で正拳突きをされたのだ。  シーツに片頬を押し当てて膝を縮めた無様な格好で固まった直己は理解する。  松吉が階段を駆け下り玄関を出て行く音をただ聞いているしかなかった。

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