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天空飛行
今日は晴れ。
高く澄み渡った天と、綿菓子のような雲。
青と白のコントラストの中を風はゆったり流れている。
見上げる太陽が眩しくて思わずチョウ・チャンは目を細めた。
片手をかざしながら、指の隙間から覗く空をなおも見つめる。
恨めしそうに。
最近、空飛んでないなぁ・・・。
空気を切って空を飛ぶ爽快さを思い出す。
絶好の飛行日和なのに。
今年は3校対抗試合が行われるので、クィディッチの試合はお預けとなっていた。
レイブンクローのメンバーであるチョウにとって空を飛ぶ事は特別な事だった。
去年まで練習に明け暮れていただけに、余計空を恋しく思う。
一にも二にも練習だった去年は、そんな事を思うなんて想像もつかなかった。
何しろ自分の時間を殆ど練習に費やしていたから、休みの日が嬉しかったほどだ。
それでも着実に、いつの間にかチョウの生活の一部になっていたらしい。
気が付けば外に出るたびに空を見上げていた。
そう、今も。
飛行訓練の授業はあることはあるけれど、それだけでは満足できるはずも無かった。
何しろチョウはレイブンクローが誇るシーカーだ。
基本を教える飛行訓練の授業では当然物足りない。
気休めになればいいほうだろう。
スリル満点な無茶な飛び方は好まない。
でも、自由に飛べる空が好きだった。
手にホースを持っている事も忘れて一心に空を眺める。
先ほど暇そうにぶらぶら温室の前を通りかかったところを、スプラウト先生に捕まったのだ。
何でも温室だけで手一杯で外の植物に構ってやれないらしい。
本当はハッフルパフの生徒に任せたのだが、いつになっても来ないので水だけでもやっておいてくれということだった。
特に用事がある訳でもないので快く引き受けたのだが、今の彼女の頭からはそんな事は抜けてしまっていた。
それをいい事に今まさにホースが右へ左へと踊り狂っている。
実はホースに魔法がかけられていて上手く水の量を調節してくれるのだが、主の監視が無いので好き勝手に暴れていたのだ。
さも嬉しそうに。
「ぎゃっっっ!!」
突然の叫び声にはっとして彼女はその場で硬直した。
一体誰の叫び声だろう。
すぐそこで聞こえた気がする。
声の主を探そうと視線を地上に降ろすと、一つの影が目に入った。
最初、逆光で誰だかよく分からなかった。
目を凝らしているとぼんやりと輪郭が浮かんでくる。
プラチナブロンドの短い髪。蒼い瞳。
その両隣にはやたらと図体のでかい取り巻き。
少し距離を置いて立っていたのはスリザリン寮のマルフォイ達だった。
ただいつもの様子とは少々違っていた。
普段なら整えられているはずの髪がざんばらに乱れ、ローブがずっしりと重く見える。
「ボケッとしてないでいい加減それを何とかしろ!!僕は向こう側に行きたいんだっ!!」
半狂乱になりながらマルフォイが叫んだ。
言われた事について、彼女はぽかんと口を開ける。
何の事だろう?
と突然彼女の身に何かが降って来た。
ばしゃびしゃばしゃん。
あっ と思ったときにはもう遅かった。
一瞬のうちにして彼女はずぶ濡れになる。
その様子をざまぁみろといわんばかりに、クラッブとゴイルがニヤニヤと笑っていた。
マルフォイも口元を歪めたが、彼女がそちらを見ているのに気付いてかまた怒っている顔に戻した。
それからホースが彼女の監督下に戻った事を見定め、こちらに向って歩いてくる。
近づいてきて分かった事だが、3人ともずぶ濡れだった。
おそらくあの叫び声の原因はこれだったのだろう。
透き通るような髪からは未だに水が滴り落ちていた。
何か謝った方がいいと思った彼女は通り過ぎようとする彼らに「ごめんなさい」と声をかける。
「これからは気をつける事だな、チャン。さもないと痛い目にあうのは君だぞ。」
横目で睨みつけるように見据えてから、噛み付くように言う。
その隣で先ほどからニヤニヤと笑っている顔が二つあった。
それに気付いたマルフォイは二人に言葉を向ける。
「おまえらも少しは怒ったらどうなんだ。僕達は被害者なんだぞ。」
言われてはっと気付いたのか、二人とも同時に怒った顔を作る。
その様子を確認して、もう一度マルフォイはチョウのほうを見る。
「大体君は不注意すぎる。他人の迷惑も考えろ。」
「それくらいで許してやったらどうかな?マルフォイ。」
突然背後で声がした。
振り向くと、いつの間にか自分の後ろにハッフルパフのシーカーが立っている。
「何があったのかは知らないが、彼女もわざと仕掛けたわけでは無いようだし。」
セドリックはびしょ濡れの彼女を一瞥すると続けてこう言った。
突然部外者にしゃしゃり出てこられて、マルフォイは苦虫を噛み殺したような顔つきになる。
ふんと鼻を鳴らすと、セドリックを無視してなおも続けた。
「それとホースの水が垂れ流しだ。君気付いてたか?」
嫌味っぽい笑みを浮かべながらマルフォイは言った。
しかしチョウは素直にそれを受け止めると「教えてくれてありがとう」と礼を言う。
そしてニコっと微笑んだ。
それを面白く無いと思ったらしい。
もう一つ皮肉を込めた言葉を向ける。
「君のおかげで学校が沈んだらかなわないからね。」
言い捨てると足早にその場を立ち去った。
チョウが後姿を見送っているとセドリックが話し掛けてきた。
「君も早く着替えてきた方がいいだろう。風邪を引いてしまうよ。」
えぇ、と返事をしようとセドリックを見ると片手に箒を携えているのが目に入った。
「・・・もしかして」
彼女が箒を見ている事に気付いた彼はこんな事を告げた。
「着替えたら君も来るかい?」
一瞬ぱっと顔を輝かせる。
しかし、次の瞬間ある事に気付いて顔を曇らせた。
「あの・・・。先生には・・・。」
「あぁ。心配しなくて大丈夫。ちゃんと許可は取ってあるさ。これも、代表生の特権ってね。」
そして、セドリックが続けて言う。
「ただし、制限があるんだ。監督できる先生が見つからなかったから。クィディッチの練習は駄目だそうだ。」
苦そうに言ってから、少し辺りを見回してチョウに顔を近づける。
いたずらっぽく笑いながら声をひそめた。
「スプラウト先生に聞こえるように大きな声で言ったんだ。空を飛んでストレス解消でもしなきゃ、勝てるものも勝てないよ。ってね。」
それを聞いてチョウはふふっと噴出した。
笑っているのを見ていたセドリックは、はっとしたような顔をする。
「そういえば、自己紹介してなかったね。僕の名前は・・・。」
「知ってますよ。セドリック・ディゴリーさんでしょ?」
間髪いれずチョウが答える。
それを聞いて、セドリックは驚いた顔をした。
セドリックの心情を察した彼女は笑いながら付け加える。
「ハッフルパフの監督生兼シーカーでしかも学校の代表選手だもの。知らない人なんていませんよ。」
それからセドリックの顔を見上げながら言った。
「私の名前、チョウ・チャンっていうんです。戻ってくるまでに覚えてくれたら嬉しいです。」
そして、にっこりと微笑む。
それから、ぱっと走り出した。
「競技場で待っててくださいっ!すぐ行きますっ!!」
言葉どおり飛ぶように駈けていく様を目を細めながらセドリックは見送った。
思っていた以上に着替えるのに手間取ってしまった彼女は、校庭を息を切らしながら走り抜けていた。
髪の毛がまだ半乾きで湿っている。
しかし、そんな事を気にする様子は無い。
飛べる事が嬉しくて一秒でも時間を無駄にしたくなかった。
競技場に近づいてくると、セドリックが待っていてくれているのが見えた。
やっと競技場に付いた時には息も絶え絶えだった。
「大丈夫?慌てなくても待っててあげたのに。」
心配そうに顔を覗き込むセドリックににこっと微笑む。
「大丈夫です。久しぶりに飛べるので早く箒に乗りたかったんです。」
そして、少し落ち着いてきた肩越しに笑顔を向ける。
「それじゃ、中に入ろうか。待ちきれないようだしね。」
セドリックも笑顔を返しながら言った。
競技場に入っていくといつもの見慣れた光景が目に入った。
広い空、太陽の光、風の匂い。
思わず空を仰ぎ見る。
久しぶりだ。
ほうっと見入る彼女を見て、セドリックは微笑んだ。
「折角走ってきたのに、飛ばないのかい?」
尋ねられてセドリックのほうを見ると、もう宙に浮いている彼の姿があった。
ふわふわと浮いている彼の黒髪を風が撫でている。
「もちろん飛びますよ。ただ、ほんとうに久しぶりで。」
言いながら彼女も箒に乗った。
軽く地面を蹴って、セドリックの目線の高さまで浮き静止する。
自分の髪がセドリックと同じように風をまとうのを感じる。
ふわふわと浮いているのを楽しんでいると、セドリックがこんな事を言った。
「折角だし、競争してみないかい?競技場一周するのにどちらが先にゴールするか。」
突然の申し出に彼女はぽかんとする。
それを見て彼は、ははっと笑う。
何がそんなに可笑しいのか分からずじまいのまま、しばらく笑っているのを見ているとセドリックが口を開いた。
「ごめん、ごめん。僕がシーカーのように君もシーカーだろう?こんなに丁度いい競争相手などまたとないと思ってね。」
あぁ、なるほどと思ってルールを聞く事にした。
「一周して戻ってきた時に先にココに着いたほうが勝ちっていうのでどう?」
「わかりました。私もがんばります。」
「そう力む事はないさ。ほんのお遊びだよ。それじゃいくよ。3・2・1 GO!」
合図と共にチョウは飛び出し加速した。
風の音が耳のすぐ側でする。
体全体に空気の波を感じる。
気持ちがいい。
最初のカーブを曲がる時、隣で声がした。
「驚いたよ。チャンてずいぶん早いんだね。すぐにそんなにスピードを上げられるなんて。油断してたよ。」
「女の子ですけど、私もシーカーですもの。それとチョウって呼んで下さって構わないですよ。」
「了解。僕もセドリックでいいよ。さて、そろそろ僕も本気を出さないとハッフルパフのシーカーのメンツが丸つぶれだな。」
セドリックはニヤっと笑うとスパートをかけた。
あっと思ったときにはもう20mほど差を付けられていた。
スパートをかけるのに出遅れたチョウは賢明に跡を追う。
ローブがはたはたと波打つ。
空気の抵抗を和らげようと姿勢を低く保ち、徐々に差を縮める。
ひゅんひゅんと風の音が耳に響く。
最後のカーブを曲がり終わる処でやっと箒の尾が鼻の先ほどまでに距離を縮めた。
あと少し。
あと 少し。
やっと箒の尾の隣に並ぶ事が出来た。
セドリックの背中がよく見える。
黒髪とローブが風にはためき、自分と同じように風を受けている。
この調子なら・・・。
と思ったら、ゴールは目の前。
箒の柄半分ほどまだ差を付けられたままだ。
とうとうこれ以上縮められないままゴールに滑り込む事になった。
最後の追い上げも虚しく、並ぶ事は出来なかった。
急にスピードを落とす事は出来ないので二人とも徐行する。
セドリックがスピードを落とし、チョウの隣に並ぶ。
頬が紅潮していた。
それはチョウも同じだった。
「最後の追い上げには感銘を覚えたよ。あれは普通では出来ない芸当だ。」
セドリックが至極真面目な顔で言った。
チョウはそれに対してにっこりと笑顔を返す。
「ありがとう。でも結局負けてしまいました。」
それから二人はひとしきり笑うと、そのまま競技場内をくるくると回った。
太陽が西の空で低く輝き始めた頃、十分に飛行を楽しんだ二人の姿があった。
「さぁ、そろそろ校舎に戻らないと。夕食を食いっぱぐれ兼ねないぞ。」
歩き出しながらセドリックが声をかけた。
パタパタと歩調を合わせる。
そういえば飛んでたときには気付かなかったけれど、とってもお腹が空いていた。
セドリックがひどく真面目腐った顔で言ったので、チョウもわざと真面目な顔で答える。
「そうですね。そうなったら私達飢え死にです。」
そして二人は顔を見合わせた。
ぱちぱちと瞬きしたかと思うと、二人とも同時に噴出す。
「ははっ。それだけはごめんだよ。全校生徒のいい笑いものだ。」
「私もそれは勘弁です。そしたらもう空飛べなくなってしまうもの。」
再びお互いの視線を交じらせる。
そして、二人とも微笑んだ。
「今日は本当に有り難う御座いました。楽しかったです。」
「こちらこそ楽しませてもらったよ。」
セドリックはにっこりと微笑んだ。
それから、しばらくしてふっと顔を反らす。
心なしか頬が紅いようだった。
きっと夕陽が当たってるからだろうとチョウは思った。
ぎこちなく歩くセドリックを見てなんだろうと思っていると、チョウにしか届かない声で呟くように言葉を漏らす。
「実は、君の名前。前から知ってたんだ。隠すつもりは無かったんだけど・・・」
チョウは最初ぽかんとしていた。
何故、知ってたんだろう。
それから自分が誰かを思い出す。
「あ、そうか、競技場内ではライバルだものね。知ってて当然ですね。」
それから、ふふっと笑った。
でも、セドリックはセドリックのほうでその言葉にぽかんとしていた。
それから的を射てなくも無いと思い直し、返事を繕う。
「うん。まぁ、そんなようなものだよ。」
宵闇が迫りつつある東の空で、ふくろうが目覚め始める。
ホグワーツは辺り一面夕陽に照らされて輝いていた。
赤く染まった城の中へ長い影が二つ吸い込まれるようにして消えてゆく。
今晩の夕食もきっと素敵なものだろう。
セドリックがチョウをクリスマスのダンスパーティに誘うのは、これからちょっと後になってからのお話。
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