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真昼の月 7
しんと静まり返った部屋で、俺はもそりとベッドから起き上がった。
昼間は暖かいとはいえ、まだ夜は底冷えして這い出すのには、はばかられる。
息を吸い込み、勢いでベッドから抜け出す。
胃薬を貰いに、医務室へと向った。
そう、つまり先ほどのリリーからのお菓子によって胃が悲鳴を上げたのだ。
思い返してみれば、リーマスに勧められてチョコレートを2ダース、バタークッキーを1ダース、ヌガーを4枚、ポテトチップを6袋、グミキャンディーを1箱、マシュマロを1/2袋、ハチミツパイを3切れ、コーラを1.5リットル、オレンジジュースを約2杯、レモンスカッシュを約5杯1人で平らげたのだった。
そりゃ、胃も受け付けなくなる筈である。
乗せられて食べなければ良かったと、今頃後悔の念を抱いても後の祭で・・・。
上にマントを羽織り、皆を起こさないようにしながら扉を開ける。
鈍い音が廊下に響き渡った。
それほど寒くはないだろうと思っていたのに、期待を裏切られ、冷たい空気が首筋を撫でる。
ぶるっと身震いをすると、談話室に向って足早に廊下を去った。
談話室に入るため、扉の前まで来た時、俺は足を止めた。
半開きの扉の隙間から、室内の音が漏れてくる。
かすかに人の声が聞こえる。
一体誰だろう・・・。
こんな夜更けに。
もうとっくに消灯の時間は過ぎている。
俺は眉を潜めると、扉の向こうの人物に気付かれないようにそっと談話室へと忍び寄っていった。
そうっと扉を閉めると辺りをぐるりと見渡す。
声はするけれど、何処にいるのか姿が見えない。
いや、声は声でも歌声のようだ。
細い糸のようなメロディーが、耳の奥をそっと叩いた。
ゆっくりとしたそのメロディーに合わせて、俺は階段を下りる。
談話室は月明かりに照らされて、思ったよりも明るい。
目を凝らして、談話室中を見回す。
暖炉の火はもう冷め切っていて、青白い煉瓦が見えた。
歌声は途切れる事は無く、澄んでいた。
今にも聞き取れなくなってもおかしくない程の音なのに、やけに耳に響く。
まるで、世界が歌声一色に染まったかのような、静寂の中の臨場感。
突然どこか知らない場所に居合わせたような不思議な感覚だった。
階段を降りきり、再び誰がいるのかと辺りを見渡す。
ソファに黒い影を捉えたが、誰かの置き忘れたローブのようだった。
冷たい空気の中で身震いすると、今度は窓際へと目を向けた。
何故か窓が開いている。
道理で寒い訳だ。
窓を閉めるため、そろそろと近寄っていく。
寮テーブルの脇を通りかかった時、はっとして足を止めた。
窓際で黒い影が動いたのだ。
俺に気付いているのかいないのか、歌声が止む事は無かった。
更に影に近づく事数十歩。
およそ窓まで3mくらい残してその場で立ち止まる。
それから、歌声の主をまじまじと見つめる。
風は無く、今夜は雲一つ無い晴れた空だった。
歌声の主は窓枠にもたれて、足を半分窓の外に出した状態で座っていた。
バランスを失えば、地上に落ちてしまうだろう。
唄を口ずさみながら外を見ていた。
よく聞いてみると、声は擦れていた。
どうして澄んでいると思ったのだろう。
寂しげな背中から、子守唄のようなメロディーが流れてくる。
突然、歌声が止んだ。
歌声の主は外を見つめたまま動かなかった。
いや、外というよりは空を見つめていた。
空にはもうすぐ満月になるだろう、上弦の月が顔を覗かせている。
しばらくして、影がゆっくりと動く。
窓枠に預けた体はそのままに、頭がこちらを向いた。
「やぁ、シリウス。」
そう言うと、影はにこりと微笑んだ。
「り リーマス?」
俺は驚きのあまり、それ以上言葉が出てこなかった。
なんたって一番最初に寝息を立てていたはずのリーマスが、いつの間にか此処に居たのだから。
彼は微笑を浮かべながら、俺を見ていた。
月明かりに照らし出された彼は、いつもより一層青白い。
月光に透けて、銀色にも似た髪の色。
「何してるの?」
俺が動けずにリーマスを見ていると、穏やかな声がした。
自分の眉間に皺が寄るのを感じる。
「何してるって・・・。お前こそ何してんだよ。」
「僕?歌ってたんだよ。」
おどけたような調子で返事を返してくる。
口元を綻ばせて、笑う。
「それで、君は何してるの?」
再びリーマスが口を開く。
「俺は医務室行こうかと思って部屋を抜け出して来たんだけど、途中でお前を見つけたって訳。」
「ふうん、そう。」
「それで、お前いい加減危ないから、そこ降りろよ。」
「・・・危ないかな?」
小首を傾げながら返事が返ってくる。
相変わらずのんびりした口調だ。
「危ないに決まってるだろ。落ちたら運が良くても死ぬぞ。」
「運が良くても死ぬの?」
「そうだよ。だから早く降りろってんだよ。」
ハラハラしながらリーマスを説得している俺をよそに、彼は何だか楽しそうだった。
それから、何を思ったのか、彼は独り言のように呟いた。
「ふうん。ここから、落ちたら死ねるのか・・・。」
彼は目を細めると窓の外を覗く。
「え?おい、リーマ・・・!!」
突然、彼は窓の外に身を乗り出す。
俺は慌ててリーマスの左腕をひっつかみ、ぐいっと思いっきり引いた。
バリリッ!どしん。ごんっ。
「・・・・・っ。」
「シリウス。大丈夫?」
「ぃってーーーーー。」
リーマスが俺に被さるようにして覗き込んでいる。
俺は打った頭を擦りながら、上半身を起こした。
「バカ野郎っっっ!!!!!!!!お前、一体何しだすんだよっっっ!!!!!!」
俺は体中の熱気を一気に爆発させるように、怒鳴り散らした。
ところが、何故だろう。
彼はきょとんとしている。
「何って。・・・何が?」
「何じゃねぇだろっっっ!!!何で死ぬような真似すんだよっっっ!!!」
「死ぬって何が・・・・?」
「だから、窓から身を乗り出して今にも自殺しそうだったじゃねぇかっっっ!!!!」
「誰が自殺するの?」
「誰って、お前に決まってんだろっ!!!!」
「僕、自殺なんかしないよ?」
「自殺なんかしないってっっっ!!!・・・・・・・え?」
「だから、自殺なんてそんなことしないよ。」
「は?だって、お前、重力に体預けて落ちる所だったじゃねえかっ!」
「僕、高さどのくらいあるのかと思って、真下を覗き込んだだけだけど・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「つまり。シリウス、勘違い?」
リーマスはふふふっと笑い出す。
しばらく放心状態で、彼が笑っているのを眺めた。
それから、段々自分が恥ずかしくなってくる。
ふいっと顔を反らすと、顔を覆うように立ち上がった。
「あ、カーテン外れてボロボロだね。」
リーマスもカーテンを見上げながら立ち上がる。
「急に引っ張られたものだから、つい反射的にカーテン握っちゃったみたい。」
彼はカーテンを見ていた。
俺に背を向けて。
無邪気に彼は笑っていた。
だけど、俺には外の月を眺めているように見えた。
月明かりを受けた彼は、まるで・・・。
「なんか、お前って月の聖霊みたいだよな。」
何の気なしに、ふと思いついた言葉だった。
しかし、その瞬間、彼の体が一瞬強張ったような気がした。
彼がこちらを振り向く。
でも、いつものように笑っていた。
「そうかな?」
「何ていうか、今にも月に攫われそうっていうか・・・。」
「それは・・・。どういう、意味かな・・・?」
リーマスは、薄っすらとした笑みを浮かべている。
聖霊だなんて言ったものだから、どうしてそんな風に思うのか疑問に思ったのだろうか。
俺自信も、何故そんな風に思ったのか不思議だった。
「意味は無いけど、そんな気がしただけだよ。」
自分でも、何故そう思ったのか解らないと告げると、彼は納得したようだった。
というのも、”ふうん、そう。”という返事のみが返ってきたからだ。
俺が勝手に解釈したにすぎないといえば、すぎないのだが・・・。
「ところで、シリウスは医務室に行かなくていいの?」
しばらくして、リーマスが最初の会話を思い出す。
「えっと、なんかもう、いいや。お前といると、ほんっと退屈しないよなぁ。」
さっきの出来事で、気分が悪かった事をすっかり忘れていた。
怒鳴った後なので、エネルギーが放出されてやる気が全く無い。
そんな訳で、この寒い中医務室に行くのが、ものすごく億劫になってしまった。
明日の朝も気分が悪かったら行こう。
頭をがしがし掻くと、リーマスに目をやった。
「で、ずっと疑問に思ってたんだけど、何でお前そんな薄着な訳?」
「え?普通だよ?何か変かな?」
リーマスは自分の格好をしげしげと眺める。
シャツ一枚とパジャマのズボンのみという格好だ。
「変っつか、こんな寒い中薄着で窓開けて空眺めてたら、普通風邪引くんじゃないか?」
「そういえば、寒いね。」
「まったく世話が焼けるぜ。ほれ。」
羽織っていたマントを、リーマスにばふっと放り投げながら掛ける。
リーマスはびっくりしたような顔をした。
「え?いいの?」
「風邪引くだろが。俺は、もう部屋に戻るからいいの。リーマスは?」
「あ、うん。ありがとう。僕はなんだかまだ眠くないから、もうちょっとここにいる。」
「そうか、じゃあな。」
「うん。」
部屋のベッドに潜り込みながら、ふと先ほどの出来事を思い返してみる。
彼が月の聖霊のように見えたこと。
リーマスが自殺するのだと思い込んで、腕を掴んだ感触がまだ残っている。
腕は細く、白く、リーマスは軽かった。
銀色の髪と、蒼味掛かった瞳。
きっと俺はあの時、地上に落ちるのではなく空に向って飛んでいってしまうのではないかと思ったのだ。
月に攫われるのではないかと。
しばらくリーマスの事を考えていたが、いつの間にか俺は深い眠りの底へと落ちていったのだった。
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