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真昼の月 13

香ばしい香りが漂ってくる。 そういえば、もう昼食の時間だな。 こんな辛気臭い魔法薬学の授業なんかちゃっちゃと終えてしまおう。 それにしても、なんていい匂いなんだろう。 こんな地下牢教室まで、いつも漂ってきてたっけな。 ・・・なんだか風もふいているような気がする。 髪がなびいてくすぐったい。 前髪も伸びたな。 そろそろ切らなきゃ。 小鳥のさえずりも聞こえるな。 ・・・。 「・・・んぁ。」 瞼を持ち上げると、視界に青々と輝いた空が飛び込んできた。 なんだ、夢か。 それにしても、外ってこんなにも気持ちいいものだったろうか。 「よ、シリウス。起きたか?」 声をかけられて体を起こすと、隣で美味しそうにピザを頬張っているジェームズがいた。 その香ばしい匂いに、俺のお腹は過敏に反応する。 「ぁ、ジェームズ。なぁ、そのピザ一切れもらえないか?」 しきりに鳴く事をやめないお腹をなだめようと、切れ端を一枚分けてもらう。 ゆるゆると風が通り過ぎる度に、ピザの匂いが鼻をくすぐる。 俺は一口ピザに齧り付くと、吸い込まれるような青く澄み渡った空を見上げた。 「なぁ、ジェームズ。外って結構いいもんだな。」 ピザを頬張る俺の横で、心地良く風が通り過ぎる。 「そうだね。たまには外で朝食ってのもいいね。」 「朝食・・・?昼食じゃないのか?」 てっきり昼食だと思い込んでいたものだから、意外な返答が帰ってきて、俺の思考は混乱する。 「まぁ、朝食というにはずいぶん遅いけれど。昼食の時間にはまだ早いね。」 言いながら、ジェームズはしきりにピザを頬張っている。 俺はピザを見つめながら、何か重大な事を忘れている気がして思い出そうと必死だった。 そういえば・・・。 「ジェームズッ!!!!!」 突然俺が声を張り上げたので、ジェームズはびくっと肩をすぼめた。 「なんだよ。近くに居るんだからでかい声出さなくても聞こえるよ。」 ジェームズは肩をすぼめたまま、眉間に皺を寄せている。 しかし、それにはお構い無しに、先ほど沸いた疑問を彼にぶつける。 「お前、怪我は大丈夫なのかよ!?それと今日、何時何分何曜日だ!?もっと言うなら西暦何年何月何日だ!?」 俺の突拍子も無い質問にジェームズは、おや?と眉を上げた。 それから、彼は一呼吸おくと俺の質問に答える。 「君、突然どうしたんだい。ちなみに昨日俺は君に魔法で吹っ飛ばされて、ピーターに医務室まで運んでもらったんだよ。まだ安静にしてないといけないんだけど、こっそり抜け出してきたから、今頃マダムはお怒りだな。」 それだけ言うと、彼は明後日の方を向いた。 俺の脳裏に、マダムのカンカンに怒って沸騰しきった顔が思い浮かぶ。 それから、ふと安堵する。 「なんだ、そうか。良かった・・・。」 そうか。ジェームズは医務室に運ばれて治療してもらったのか。 後でピーターにお礼を言わなくちゃな。 それと、・・・昨日の今日か。 「俺はあばらが折れて痛いし背中に青アザはできるし、帰ったらマダムのお説教があるしで全く良くないけどね。」 ジェームズはピザを頬張りながら、青い空を見上げている。 その横顔から俺は視線を外す。 リーマスの疲れて青白くなった顔と、木の葉から太陽が透けて若干緑がかった彼の顔がだぶって見えた。 今の今まで記憶の端に追いやられていた黒く赤い塊が、再び俺の目の前に覆いかぶさる。 それから、一気に絶望感が俺を襲った。 「あのさ。俺、・・・殺しちまった。」 自分でも、声が震えているのがわかるほど、俺の声はかすれていた。 「あぁ、君が青草に横たわれば虫の一匹や二匹、君の体重で死んでしまうだろうね。」 しかし、彼は相変わらず明後日の方角を向きながらピザを頬張っている。 そんな彼とは裏腹に、俺の胃は今にも凍りつきそうだった。 「そんなんじゃねぇ。俺は・・・リーマスを・・・。」 「リーマスが何だって?ぁ、ピザもう一切れ食べる?まだ沢山あるよ。」 暢気にピザを勧めてくる彼に、何故だか徐々にイライラしてきた。 それと同時に、この重大な告白を彼が聞いたらどんな反応を示すのか怖かった。 それを考えると、今にも胃がひっくり返りそうになる。 こんな告白をする事になるなんて、誰が予想出来ただろう。 こんな事態になるなんて、今まで考えたことすら無かった。 ある意味、一世一代の大告白である。 できれば、したくなんか無かった。 「リーマスを・・・見殺しにしちまった。」 俺は今にも逃げ出したくなる衝動を抑え、精一杯の声で彼に告げた。 しかし・・・。 「ふーん。」 彼は何も動じる事無く、未だに黙々とピザを頬張っている。 彼の反応は、俺の理解の域を越えていた。 驚くことも、悲しむ事もなく、俺に対して恐れうる事もなく、ただ相槌をうっただけだった。 逆に不安感を煽られる。 「・・・他に言う事は無いのか?俺を責めないのか!?」 思わず、口から疑問が溢れ出た。 友の死を聞いてなお、ピザを頬張るジェームズが俺には信じられなかった。 まるで、ジェームズ人形が俺をおちょくっているようにしか見えない。 しかし、目の前にいる人物は紛れもないジェームズ本人だった。 やっとジェームズがこちらを振り向き、俺の視線を受け取る。 それから、口を開いた。 「起こってしまったことは、もうどうにも出来ないしね。」 静かな視線を俺に流す。 それから呼吸を置くと、再び口が開いた。 「・・・それにリーマスはちゃんと生きてるよ。」 「なんだって!?」 再びジェームズはびくっと体を震わせる。 てっきり見殺しにしたものだとばかり思っていたから、思わず叫んでいた。 「君、大声を出すなよ。とりあえず、もう一枚ピザ食べながら話そうか。」 言われるがままに、ジェームズからピザを受け取り口に運んだ。 「それで、生きてるってどういう事なんだ?」 オレンジジュースで喉の渇きを潤すと、ジェームズを問い質す。 「言葉の通りだよ。リーマスは・・・、今医務室にいる。」 彼はちろりとこちらに視線を流すと、再びピザに視線を落とした。 俺は、胃に暖かさが戻ってくるのを感じた。 肩の力が抜けていく。 「そ、そうか。良かった。俺はてっきり暴れ柳に潰されてしまったのかと思っていたよ。ジェームズが運んでくれたんだな。ありがとう。」 ふと、ジェームズはピザを口に運ぶのをとめる。 「いや・・・、俺が運んだ訳じゃない。彼は自ら医務室に現れたよ。」 「そうなのか!良かった!!じゃぁ、たいした怪我じゃないんだな!!」 俺はちゃんと生きていると知って嬉しかったと同時にほっとした。 怪我も軽そうで何よりだ。 マダムの治療はすごく効果的だし、すぐにでも良くなるだろう。 しかし、ジェームズはピザを持ったまま押し黙っている。 「なんだ・・・?リーマスが無事で嬉しくないのか?」 「いや、そんな事は無いよ。」 「じゃぁ、何だよ・・・?」 ジェームズはむっつりと黙りこむ。 「まさか、まだリーマスの事をスリザリンの奴等みたく悪く言うつもりなのか?今度言ったら本当に縁を切るぞ。」 ジェームズの反応に、再び昨日の出来事が頭を過ぎった。 俺は、次に彼の口から語られる言葉に身構える。 手に持ったピザを見つめながら、彼は軽く息をついた。 「・・・君はまだ知らないようだね。」 この言葉が、彼は何を意味して言ったものなのか、俺には即座に分かった。 「またかよ。ジェームズ、昨日からお前変だぞ。」 いつものジェームズらしからぬ言葉に俺は戸惑いを隠せなかった。 一体彼は何を考えているのだろうか。 「リーマスは、ある周期で医務室に通っているんだよ。」 「・・・?」 話が読めない。 ジェームズが一体何を言わんとしているのかつかめない。 「ある周期って・・・リーマスが風邪っぴきなだけだろ?」 「いや、それが実はそうじゃなかったんだ・・・。」 妙に深刻な顔つきでジェームズが語る。 分かるのは、ジェームズは決してリーマスを愚弄しようとして言っている訳ではなさそうだった。 「昨日も言ったけど・・・、俺の口から言うには荷が重過ぎるんだよ。」 妙に重い表情で、彼は言った。 それを受けて、俺はきっと何か重大な事なのだと悟る。 俺は割合短めな返事を返した。 ジェームズが知っていて、俺は知らない事に再び少しショックを受けた。 「・・・そうか。」 「あぁ・・・。」 しばらくの間、葉の漣の音と小鳥の囀りだけが、この空間を支配していた。 定期的に医務室に通うような病気とは、一体なんだろうか・・・。 今の俺にわかるのは、ただならぬ病であろうということだけ。 「・・・図書室で知らべてみるか。」 ここまでくると、何もせずにはいられなかった。 調べたからといって、答えが見つかる保障は無いとしても。 「そう。」 彼は、ピザを見つめながら俺に相槌を打った。 オレンジジュースを飲み干すと、俺はすくりと立ち上がる。 「じゃ、俺行くな。」 足元をパンパンと払いながら、ジェームズに告げる。 ふと彼は俺を見上げる。 「・・・俺も一緒に図書室に行くよ。」 そう言うと、彼は最後の一切れを口に押し込む。 「わかった。一緒に行こうぜ。」 「あぁ。」 食べ終えたピザの匂いをその場に残し、俺たちは図書室へと向かった。

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