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好きだから 1
何故、狼人間なんだろう。
ふと、僅かに顔を覗かせる月を見ながらリーマスは思った。
空にはゆるゆると流れていく雲の隙間を縫って、猫の爪で引っかいたような細い月が顔を覗かせている。
満月には、まだ半月かかる。
寝静まった男子寮の小部屋から、空を見上げていた。
リーマスが空を見上げる事が多くなったのは、あの日狼に噛まれてから。
あの時は、ただ必死に逃げようとしていた。
目の前にいる怪物が恐ろしくて、殺されるのが怖くて、生きて逃げ切る事に必死だった。
でも、今は・・・。
あの時、自分は殺されていれば良かったと思う。
何故一思いに殺されなかったのだろうか。
あの時、自分が助けを呼びにさえ行かなければ、怪物のお腹に収まっていたはずだ。
そして運がよければ誰かに骨を拾われて、今頃冷たい土の中に居ただろうに。
今、こうして生きている事に疎ましさを感じる。
助かってしまった後で、あの怪物は狼に変身した人狼だった事を知った。
傷がひどく痛んで眠れない日々が続く。
後日、僕を噛んだ人狼の人が家を訪ねてきたらしいが、会ってはいない。
両親が会わせる事は出来ないと、その人を追い返したらしい。
無論、僕自身、会いたいとも思わなかったし、謝罪を聞きたいとも思わなかったので別にどうでも良かった。
ただ一つ、月が僕に変化をもたらした。
よく晴れた星の出ている夜は、とても傷が痛む。
そして、人狼になって、初めての満月を迎えることになる。
その夜、両親はあらゆる家の鍵という鍵をしっかり閉め、窓には板を打ち付けて出て行った。
僕は一体これから何が起こるのかと思うと怖くて、ベッドの中に隠れてうずくまっていた。
しばらく震える体を丸めていたが、徐々に手の先や足先の感覚が何か別なものに変わっていく。
それから先は、何も覚えていない。
朝になり、目覚めてみると僕の目に信じられない光景が飛び込んできた。
僕は床に寝ていて、眩しい光に照らされて目を覚ます。
まず目の前に映し出されたのは見慣れた椅子の足先だった。
カーテンは引きちぎられ、その隙間から太陽の光が入り込み部屋の中を皓々と照らし出している。
そして、次の瞬間、僕は恐怖と絶望感に支配された。
辺りを見回してみれば、壁中の壁紙が何か鋭いものによって引き裂かれて剥がれ掛けていた。
それから机の上の戸棚は床に叩きつけられたのか、ガラスの破片が飛び散っている。
その周りには本が散乱しずたずたに引き千切られて、紙があちこちに落ちていた。
その横には洋箪笥の扉が落ちており、慌てて振り返れば箪笥は倒れていて中にあるはずの服は外に散乱している。
ベッドに目をやると布が裂けて中綿が飛び出し、巨大な綿菓子のように見えた。
言葉が出なかった。
頭が割れるようにガンガンと鳴った。
立ち上がろうとして足を床に突っ張った時、何かぬめりとした得体の知れないものが足の裏にまとわり付いた。
見ると床が赤黒く染まっている。
そして、初めて自分の体の異変に気付いた。
自分の足や腕から出血の後があり、傷が深いものは未だに血が滲み出ている。
そして、やけに自分の口の中が鉄臭い味がする事に気付いた。
慌てて、破けてボロボロになった服で拭う。
拭われた服には、ベッタリと黒い血がついていた。
僕は、自分で自分を噛みしだき、自分の血で飢えた狼の欲望を満たそうとしたのだと悟った。
もはや、僕は人間では無かった。
血に飢えた、汚らわしい化け物に他ならなかった。
頭の中が真っ暗になった。
そして、残っていた人間の感情が僕に涙をもたらした。
それから、両親は満月の夜が来る度にあれやこれやと策を練った。
様々な薬や療法などを試してみた。
しかし、そのどれもが全く効果を得られなかった。
僕は完全に怪物へと成り果てていた。
僕達一家は、街に住む事は出来なくなった。
転々と住む場所を変えては引っ越す日々が続く。
その度に父はやっと就いた職を手放し、再び新たな職を探さなければならなかった。
そのうちに、母も仕事に出るようになり、僕は一人で毎日留守番をして過ごした。
勿論、友達なんて一人もいなかった。
歌うことも、笑うことも次第に忘れていった。
心配をさせてはなるまいと両親に向けられる僕の顔は、全て作り笑いに変わった。
そして、段々と貯金が底をついてくると、僕らは路頭に迷う生活を送るようになる。
そんな生活を始めてからしばらく経ったある日、僕のところにホグワーツ入学の話が届いた。
突然ガラス戸がコツコツと叩かれ、手紙を持ったふくろうが僕の部屋に飛び込んできたのである。
宛名が僕になっていたので、首をかしげる。
手紙の封を切ってみると、中にはホグワーツ校の入学案内が入っていた。
しかし、僕にはとても夢のような話としか思えず、きっと行くことなど出来ないと思い、両親には内緒で破り捨てたのだった。
確かそれは7月頃のこと。
しかし、8月末日、父が仕事から帰ってくると僕の目の前に大きな古ぼけたトランクを差し出だしてきた。
「行って来なさい。」
僕には何の事だかさっぱり分からなかった。
不思議に思っていると、父は再び僕に話しかける。
「入学の手続きはさっき済ませてきた。教科書だけは何とか新品をと思ったが、どうしても間に合わなかった。」
そして、ゴソゴソとローブの内をまさぐると何かの包みを取り出して僕に手渡した。
開けるとそれは真新しい杖だった。
「三十五センチ、月桂樹、中にはケンタウルスの尾が一本入っている。」
ようやく、僕にも事の次第が理解できた。
父は僕をホグワーツに入学させようとしていたのだ。
僕は思わず口篭る。
「で、でも、・・・僕は狼人間で・・・。」
その後の言葉が続かなかった。
杖をプレゼントされた事はとても嬉しかった。
ぎゅっと杖を握り締める。
学校に行きたい。
皆と一緒に勉強がしたい。
しかし、自分が怪物だという現実が、その思いを打ち砕こうとしていた。
「ホグワーツの校長、アルバス・ダンブルドアが是非にとおっしゃって下さった。」
黙り込む僕を見兼ねてか、父が優しい声で僕に語りかける。
「学校のほうでは、もう君を迎え入れる準備は整っている。校長は素晴らしいお方だ。」
そう言うと、俯いたままの僕の肩に父は両手を置くとこう言った。
「いいかい、リーマス?良く聞くんだよ?例え、君が人狼だとしても、君は私の大切な息子だよ。」
そして、肩の上に置かれた暖かな手が、強く握られるのを感じた。
僕は顔を上げる事ができず、ただこくりと頷く。
真新しい杖に涙が伝った。
ホグワーツ入学当日、キングズ・クロス駅に着くと白く立派な髭を生やした魔法使いが僕を出迎えた。
「入学式の前に君に色々とホグワーツの生活について知ってもらわねばならぬ事があっての。」
そう言うと、僕に金色の懐中時計を差し出す。
「これはポートキーじゃ。さぁ、触って。もうすぐ予定の時刻じゃ。」
ホグワーツに着くまでは、あっという間だった。
てっきり、真っ赤に輝くホグワーツ特急に乗って学校に行くものだと思っていた。
まず暴れ柳の説明を受けた。
それから、満月の夜はホグズミートにある空き家で過ごすようにと言われた。
その後でマダムポンフリーと一緒に暴れ柳の下を潜り、空き家まで行き、狼に変身する前の準備の手ほどきを受ける。
ホグワーツ城に戻ってきた時には、既に入学式は中盤に差し掛かっており、僕は終わるのを待ちながら一人で夕食を食べた。
広間に入ると校長とそれぞれの寮監の先生が僕を待っていた。
組み分け帽子を被ると「グリフィンドール!」と帽子が一声上げる。
ダンブルドア校長は、笑いながら拍手をした。
そして、グリフィンドールの寮監の先生と校長に引率されて、寮まで連れて行ってもらった。
太ったレディの肖像画の前で合言葉を教えてもらうと中に入る。
校長は、ぽってりとした金髪の男の子を捕まえると僕にこう言った。
「彼は、ミスターペティグリューじゃ。一緒の部屋じゃから仲良くするように。」
そして、元来た肖像画を通り、校長と寮監は出て行った。
「ぼ、僕はピーター・ペティグリューって言うんだ。君の・・・名前は?」
目の前のぽってりとした男の子は緊張した様子ではあったが、にっこり微笑んだ。
僕も、それに応じようとなるべく自然な笑顔を作ろうと思いながら、微笑み返す。
「僕はリーマス・ルーピンって言うんだ。どうぞ、よろしく。」
それから、男子寮へと案内されて、ピーターが扉を開ける。
僕は後ろから様子を伺っていた。
しばらくして、ピーターに自己紹介を促される。
「よろしく。」
そう言うと、僕はできるだけにこりと微笑んだ。
それから自己紹介をする。
「僕はリーマス・ルーピンって言うんだ。君たちの名前は・・・?」
彼らは、若干戸惑っているようだった。
考えてみれば、彼らの反応は当たり前の事だった。
僕の格好はよれよれで使い古されたローブを着ていたし、トランクも年季が入っていて新入生らしからぬ格好だったから不思議がられても無理は無いのだ。
しばらく間が空いた後、僕から見て右側に居る眼鏡を掛けた青い瞳の男の子が自己紹介をしてくれた。
「俺はジェームズ・ポッターだよ。こっちでアホ面を君に向けているのはシリウスだ。」
言いながら、ジェームズと名乗った男の子は隣に座っている男の子を親指でツンツンと指す。
シリウスという名らしい男の子は片手を上げたまま僕を見つめているようだった。
「・・・俺はシリウス・ブラックって言うんだ。・・・よろしく。」
それが僕らの出会いだった。
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