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好きだから 2

薄着のままベッドから這い出したリーマスは、マントを掛けなおした。 窓枠に寄りかかると、再び空を見上げる。 相変わらず糸のように細長い月は、彼を照らしている。 僕はお前が嫌いだよ。 リーマスは空を見上げながら、目を細めた。 いくらお前が僕を照らしたって、ちっとも嬉しくないのだから。 そして、マントの裾をぎゅっと握り締める。 冷たい空気に晒されて、冷え切ってしまった足をすっとマントの中に仕舞い込んだ。 ホグワーツでの生活が始まって、間もなくすると彼らと僕は親しくなっていった。 僕は自分が人狼だという事を、隠している事に後ろめたさを感じた。 しかし、彼らとの楽しい毎日が終わる事を恐れて隠し通す日々が続く。 それでも、ふとした瞬間に幾度と無く罪悪感が僕を襲い、その度にトイレに駆け込み嘔吐した。 本来ならば、僕のような怪物がこのような公共の場にいて良い筈が無い。 分不相応なのも良いとこな事は、自分自身十分認識しているだけに、なおもその場に居続けるということは相当なプレッシャーだった。 それでも僕は、ホグワーツに居続けようと必死だった。 それは彼らと過ごすこの時間が、居心地の良い物だったからというのもあるし、自分のためでもあった。 将来両親が居なくなった時に、今勉強せずしてどうやって生きていけば良いのだろうか。 ましてや、狼人間ともなれば尚の事だ。 考えるだけで、ぞっとする。 今、自力で生きていけるだけの知識を身につけておかなければならなかった。 それを考えると、これはまたとないチャンスである。 これを逃してしまえば、きっともう一生巡り会う事はできないだろう。 どんなに辛く苦しくても、この学校を追い出されない限りは、この場にしがみ付こうと決めた。 例え、その行為が己自身を蔑む事になったとしても。 それが災いしてか、僕はホグワーツに入学してから徐々にやつれていった。 入学する前から、元々あまり血色の良いとは言えない顔だったのが、更に青白くなっていったのに自分自身でも驚いた。 ある日、僕はトイレに起き出した時、鏡に映った姿を見てぎょっとした。 最初、鏡の中にゴーストが居るのかと思った。 しかし、映し出されているのは紛れもないこの自分だという事を知り、自嘲する。 色素の薄い黄色い目と髪が、宵闇に吸い込まれて青みがかり、肌は灰白色で唇は青紫色をしていた。 僕は、僕自身のその姿からすぐに目を逸らして、一目散にベッドに潜り込みすっぽりと体を覆いこんだ。 今の姿はまるで死人のようだった。 しかし、目だけはぎょろぎょろと鋭い眼光を飛ばし、飢えていた。 夜になると獣の血が騒ぎ、視力も上がることを感じていた。 そして、その度に自分は醜い化け物なのだと再確認させられ、激しい罪悪感に捕らわれるのだ。 ふとした瞬間に、朝になったら血まみれの友人がベッドの脇に倒れていたらどうしようと不安が胸を掻き立てる。 眠れない日があるのもそう珍しい事でもなかった。 そういう時は、皆を起こさないように寮を抜け出て談話室から空を見上げる。 皆を起こさずに抜け出ることは、お手の物だ。 獲物を狙う獣の如く、音を立てずに移動するなんて事は、今の僕には朝飯前だった。 自分の中の獣を呪い殺せるのだとしたら、何度、自分の心臓をえぐって杖を突き立てたいと思った事か。 あいつが居なくなるんなら、この身にどんな苦痛が降り注ごうとも構わない。 しかし、どんなに願ってもそれは敵わぬ夢だった。 空に月が浮かぶ限り、僕はこの先一生、この身に獣を孕ませ生きなければならない。 この獣が消えるときは、僕自身が土に還った時だ。 幾度と無く、自分の脳天に杖を突き付け死の呪文を唱えようと試みた。 しかし、野生の本能が、獣がそれを拒み続けた。 情けなくて、どうしようもなく惨めだった。 下唇をいくら噛み締めても、自分の目から乾いた涙が流れ落ちた。 それでも、ホグワーツでの生活は充実していた。 僕には充実しすぎていて、眩暈を覚えるほどだった。 ジェームズ達と過ごす毎日は、それは楽しいものだった。 楽しすぎて、自分が化け物だという事を忘れてしまいそうになるほどに。 ある日、ジェームズは僕にこんな事を言った。 「君は一体、何をそんなに恐れているんだい?」 と。 僕はぎくりとして、言葉に詰まった。 走馬灯のように、楽しい日々が通り過ぎ、次の瞬間アズカバンにいる僕の姿が思い浮かんだ。 彼は一体どこまで気付いているのだろうか。 もしかしなくとも、僕が化け物だという事を既に知っているのだろうか。 何にせよ、今ここでホグワーツを追い出される訳にはいかない。 「そんな風に見えるの?やだな。僕は別に何にも恐れてなんかいないよ。」 無理して微笑みながら、わざとおどけて彼に言葉を返した。 卑屈っぽくならないように笑うのは、慣れた技だった。 しかし、ジェームズの蒼く鋭い瞳を前にすると、今自分が普通に笑えているのか不安になる。 そして、その不安を彼は、舐めるように見透かしてるのではないかと思われてならなかった。 しかし、彼はそれきり何も言わなかった。 僕は上手くやり過ごせたかどうかなんて、自信はこれっぽっちもなかった。 そして僕は、彼に恐怖を抱いた。 その時、もう彼らに深入りしない事を誓う。 しかし2年生に上がると、彼らと過ごす時間が殊更に増えた。 増えた原因といえば、シリウスである。 彼ときたら、僕が何処にいこうとも、何処からとも無く風の様に僕の目の前に現れるのだ。 というのもそれもそのはずで、1年生の時彼と過ごす時間は他の誰よりも多かった。 彼はいつも誰かに取り囲まれて友達に不自由していないようだったけれど、僕が一人で温室の世話に行ったりすると必ず彼はついてきた。 皆とがやがや楽しい中を抜け出てきては、僕の後について来るのに疑問を抱き質問した事がある。 「ぇ、だってそりゃ他の奴らと一緒にダベるのも楽しいけどさ。リーマスも俺の友達だし。」 そう言って、右の頬をぽりぽり掻いていた。 僕が、それをじっと見ていたせいだろうか。 突然頭上にげんこつが降ってくる。 「つーか。お前、いっつも輪の外にいないで入って来いっつーの!」 痛くは無かったけど、彼の手が邪魔するせいで顔を上げられない。 仕方なしにその体制のまま、視線だけちろっと上を見上げる。 「そう言われても、僕は皆が楽しそうにしているのを眺めるのが好きなんだけど・・・。」 もちろん若干嘘だ。 確かに眺めるのは好きだったけれど、入りにくいというのもあったし、自分が人狼だという事実が踏み出そうとした足を止めていた。 「あのなー。つまりお前も居たほうが楽しいの!お前がいたほーが場が盛り上がるんだよなー。無自覚っぽいけど。」 「は?僕、君みたいに変に馬鹿馬鹿しい事した覚えは無いんだけど。」 彼ほど馬鹿馬鹿しい事をやった覚えなど微塵も無い。 例えば食堂で誰が一番最初に食べ終えるか競争したりだとか、授業中先生に気付かれないように背中に張り紙を誰が張れるかとか。 シリウスはといえば、食堂では口に詰め込みすぎて呼吸が出来なくなったのか一度入れたものを皿に吐き出すし、先生に張り紙を張るのを失敗して、『私は変態です』と書いたノートを皆の前で読み上げられるしでひどいものだ。 顔だけ見ればハンサムで、女子生徒の黄色い悲鳴を何度も聞いてるけど、彼の本当の姿を知ったら彼女たちはどう反応するかと思うと可笑しくてたまらない。 最も、彼は女子生徒の中で話題の人物になってる事を知りもしないようだけど。 「・・・お前、ちっとは人に気を使う事も覚えろよ。」 ぼやいた台詞が余りに彼に似つかわしくなくて、呆れ半分笑ってしまった。 僕は君ほど自由奔放に生きてる人は見たこと無いのだけれどな。 「・・・シリウスに言われちゃったら、僕もうおしまいだな。」 再びぽこっと頭上に拳が降ってきた。 しかし、彼が本気で怒っていない事を僕は知っていた。 彼と過ごしていると、何故か思った事がぽんぽんと口から出てきた。 普段はそんな事ないのに。 とても不思議だった。 彼と過ごしている時間が、唯一僕が人間に戻る時間だった。 しかし、獣に戻るとひどく病んだのも事実だ。 これ以上彼と一緒にいると自分の心が潰れてしまいそうだった。 尚更、彼らと距離をおかなければと思った。 僕は何も信じることができず、ただ恐怖と戦っていた。 化け物である事がバレた後の彼らの態度を想像する自分は、彼らをも信じてはいなかった。 ひたすら一人で耐え抜いていくことに覚悟していた。 ところが、ある日、叫びの屋敷に向かう途中の僕をシリウスが見つけてしまった。 禁じられた森の脇道を歩いていると後ろから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた時、それはもう凍り付きそうだった。 もう満月まで時間が無かった。 僕の腹の中でぐるぐると狼が唸るのが聞こえた。 ホグワーツ退学どころじゃない。 彼を殺してしまう。 殺すどころか、僕の中の血に飢えた化け物は、きっと彼をむしゃぶり尽くすのだ。 血から肉から骨から・・・。 おぞましい光景を目の前に晒されでもしたように、僕は全身から血の気が引くのを感じた。 早く此処から去らなければ。 早くシリウスをホグワーツ城に戻さなければ。 言い訳を考えてる時間も余裕も無い。 長話をすれば、あっという間に満月が顔を出す。 狼になれば、確実に彼を殺してしまう。 シリウスは物凄い力で僕をホグワーツ城に連れ帰そうとしていた。 状況的に一番最悪な展開だった。 きっと何を言っても彼は腕を離してはくれない。 ならば、こちらも力を持ってして抵抗しなければ結果は見えている。 僕はありったけの力を込めて、シリウスから腕を引き剥がした。 加減なんかしてる余裕は無い。 彼の腕が折れても、殺してしまうよりずいぶんましだと思った。 僕は獣の意思に逆らい、その力を持ってして彼に逆らった。 思ったよりあっけなく彼の腕から逃れることができた時、僕はその力が恐ろしいと感じた。 もし完全に狼に変身してしまえば、鋭く光る鉤爪でいとも容易く彼を引裂くだろう。 その後の事は考えたくもない。 僕は地面を蹴飛ばし、暴れ柳まで走り抜けた。 飛躍して発達した足は、まるで空を飛ぶように軽かった。 後ろでシリウスの叫ぶ声が聞こえる。 しかし、聞き取る余裕も無かった。 手が、足が、心が、狼へと近づいていく。 僕は暴れ柳の幹元に滑り込み、そのまま叫びの屋敷まで全力疾走した。 そして、屋敷につくなりしっかりと施錠をし、化け物が外の世界へ出られないよう密室を作り上げた。 ベッドへ倒れこむと、間もなくして指先がむずむずしはじめる。 僕は、狼に勝った。 お前にシリウスをやるものか。 お前は、自分を噛んでればそれでいいんだ。 そうやって、狂ったように自分の尾を追いかけ、吼え猛っていろ。 それが、どんなに滑稽でどんなに無様でどんなに情けなくても、それを感じる心が無い事に感謝するんだな。 僕は自分の意思を持ち続けようと必死に狼に抵抗してみたが、その日も気付いた時には朝になっていた。

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