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思わぬ事態
貞が住むマンションは13階建ての築15年。
1階部分はエントランスになっていて、入ってすぐのところに管理人室がある。
2階部分はテナントとして貸し出されていて、それぞれに歯医者、整骨院、デザイン会社のオフィス、絵画教室、書道教室が入っている。
地下1階には駐車場と駐輪スペース、エレベーターが1基。
駅から徒歩5分、スーパーやコンビニなども近いという好条件にあり、周辺は昼間から夕方にかけてまで、通勤や買い物などで人の往来が激しくなる。
一方で、夜19時以降になれば人はまばらになるのが常だった。
現在19時30分。
ミニバンをマンションから少し離れた路上に停めて、周囲の様子を用心深く伺う。
──辺りに人は見当たらない。今だ!
「いいか?騒いだら刺すぞ。大人しくしてれば何もしない。」
貞の言葉に獲物が頷いた。
足の拘束を解いてやり、口に貼られたテープを剥がすと、テープに皮膚を引っ張られる痛みで獲物がウッと呻いた。
獲物をここから3階の自分の部屋に連れ込むまでが正念場だ。
駐車場とエレベーター、マンションの出入り口には監視カメラがあり、それに姿を捕らえられたりしないように、ミニバンもわざわざ見えないところに停めたのだ。
ここで騒がれたり、逃げられてしまっては元も子もない。
貞は獲物が着ているダッフルコートの袖をなるだけ引っ張り、手を縛っている粘着テープが見えないようにした。
「顔を見られないように下向いて歩け。」
獲物の肩を持ち、2人そろって車から出て来て、歩き出した。
獲物は非常階段を使って連れて行く。
無用心なことに、非常階段には監視カメラがなく、また出入り口の監視カメラには、いくつもの死角がある。
非常階段に続くドアには常に鍵がかかっていて、マンションの住民のみが鍵を持っている。
ドアの鍵穴に鍵を差し込んで右に回すと、ガチャリッとそこそこに大きな乾いた音がした。
貞は背中に冷や汗をかいた。
周りに人がいないとはいえ、あまり大きな音を出せば誰かがこちらに目を向けてしまうだろう。
気をつけなくては。
「ほら、行け。」
ドアをゆっくり押し開け、獲物を先に入れた。
獲物が先に入ったのを確認すると、音を立てないようにドアをゆっくり閉めた。
まだ油断ではできない。
マンションの住民は基本的にエレベーターを使うし、夜間ともなればめったにすれ違うことはない。
それこそ、貞の住んでいる部屋は3階の角部屋で、他のどの部屋よりも非常階段に近い。
部屋の位置関係や時間帯を考えれば、誰にも見られることなく獲物を運ぶのはそう難しいことではないだろう。
問題は隣の部屋に住む一家だった。
隣の部屋は人の良さそうな夫婦と、20歳くらいの大学生らしき息子の3人家族が住んでいる。
隣の部屋の主婦は犬を散歩させるとき、犬がエレベーター内で粗相するのを防ぐためなのか、必ず非常階段を使うのだ。
犬の散歩をする時間はランダムだし、その家の息子も息子で、夜間にコンビニに行く姿がよく見られた。
獲物を部屋に入れる前に鉢合わせ、などということも十分考えられる。
そのときになって獲物が騒いだら何もかもお終いだ。
何事も無いことを祈りつつ、獲物の肩を持ったまま階段をそろそろと上がっていく。
獲物の足取りは重く、誰かに出くわさないかと焦りがつのった。
階段を昇り切り、部屋のドアの前まで着いたときは手が震えて鍵を開けるのにかなり手間取った。
なんとかドアを開けて、獲物を抱えるようにして玄関に足を踏み入れると、ドアを閉めた。
貞はフーッと安堵のため息を吐いた。
深夜ならともかく、この時間帯に事が上手く進んだのは強運と言えるだろう。
「靴脱いでこっちに来い。」
獲物が足をもぞもぞ動かして靴を脱ぎ、玄関の框 の上に足を置くようにして上がった。
貞も靴を脱ぎ、獲物の肩を掴んだまま部屋に上がると、そのまま引きずるようにして小さな体を引っ張り、寝室に放り込んだ。
「ここで待ってろ。出たり暴れたら殺すぞ!」
獲物に向かってそう言い捨てると急いでドアを閉め、この日のために付けておいたドアチェーンをかける。
今度はエレベーターで下りると、マンション近くの路上に停めておいたミニバンに乗り込んだ。
いつまでもこんなところに駐車していれば警官に見つかって駐禁をきられてしまうし、怪しむ者も出てくるだろう。
すぐさま駐車場に停めなければ、わざわざ人通りが少ない場所を見定めて駐車した意味が無い。
幸いなことに路上周辺は人影が無く、ミニバン自体にもこれといった異常は見られなかった。
この界隈の人間は過剰なほどに用心深いところがあり、変なところに車が停まっているのを見つけると訝しんで近づいたり、通報する者もいるのだ。
ファミリー層が多い地域でもあるから、子どもの安全面を考えてのことなのかもしれない。
ミニバンのドアを開けて運転席に乗り込むと、マンションの地下駐車場に向かって発進させた。
早く獲物の様子を見に行きたい。
車から下りて急ぎ足でエレベーターに乗り、3階のボタンを押す。
エレベーターが3階に着き、家に戻ろうとしたところ、隣人の男と鉢合わせした。
歳の頃は50歳前後の、ネイビーブルーのピーコートを来た隣家の主人だ。
これから家に入ろうとしていたようで、ドアノブを掴んだまま貞に「こんばんは」と挨拶してきた。
半開きのドアから犬がキャンキャン鳴く声が聞こえてくる。
「…ああ、こんばんは。」
何でもないようなフリをして挨拶を返したが、不自然ではないだろうか。
──ああ、危なかった!
獲物を家に連れて行くのがあと数分遅ければ、目撃されていたに違いなかった。
肝を冷やしつつ自分の部屋のドアを開けて、靴を脱いだ。
足早に寝室まで向かい、ドアチェーンを開けて電気のスイッチをつけると、獲物は寝室の真ん中で体を丸めるようにして俯き座り込んでいた。
「足を伸ばして座れ。」
獲物が命令通りに足を垂直に伸ばす。
貞は獲物が下げていたサコッシュを取り、部屋の隅に放り投げた。
次にベッド脇に置いてあるサイドチェストの引き出しから、この日のために用意しておいた綿ロープを取り出した。
ジーンズを履いた獲物の両足を掴んで拘束すると、ふくらはぎの肉感が手に伝わった。
──なんて柔らかいんだろう
ニット帽を取ると、さらさらした茶色い髪が流れ出た。
こうして見ると、本当に整った顔をしている。
その美しさに見惚れてうっとりと頬を撫でると、獲物がビクンッと体を震わせる。
獲物はずっと無言のまま額に汗をかき、これが夢であってくれと願っているかのようにギュッと目をつぶっている。
閉じた目を縁取る睫毛はとても長く、毛量にも恵まれていて、まるで人形のようだ。
固く結んだ唇はぷっくりと柔らかそうで、頬は触れた指を押し戻すほどの弾力に富み、赤ちゃんのようにすべすべした肌をしている。
──どんな体つきをしてるんだろうか。
「両手を上げろ。」
獲物が縛られたままの両手首を額にひっつけるようにして、貞の言うとおりに両手を上げた。
自然と獲物の胸元がガラ空きになる。
ダッフルコートの横長のボタンを外すと、小さな体がまたビクッと動いた。
コートの下には毛羽立ったダークグレーのトレーナーを着ていて、さらにその下は使い古した白い長袖シャツ、その下は黒い肌着。
季節柄もあってか相当厚着しているらしい。
コートも含めて4枚も重ねて着込んでいた。
黒い肌着をめくってみると、思ったより平べったい体が露わになった。
──想像よりは貧乳だな、ブラジャーもしてないし
胸にも腹にもそれなり肉はついていて体全体がふっくら柔らかいが、胸は小さい。
Aカップくらいか、それより小さいかもしれない。
わずかに膨らんだ白い胸の上には、小豆粒ほどの栗色の乳首がちょんと乗っている。
その栗色の乳首を軽く指先で撫でてみると、脇腹や胸の皮膚に鳥肌が浮いた。
そういえば、暖房をつけていない。
これから楽しませてもらうつもりの性奴隷なのだ。
風邪を引かせるわけにはいかない、と貞は壁にかけてあったエアコンのリモコンを手に取り、暖房をつけた。
自分のトレンチコートも脱ぎ、ワイシャツとスラックス姿になる。
続いて獲物の胸を揉みしだいてみると、かすかに骨っぽい感触がして、貞はそれを少し残念に感じた。
まあ、ここは妥協できる。
首筋は細いんだろうか、それとも、ここにも肉がついているのか。
獲物の首元は遠くからでは確認できなかったし、12月に入るとスヌードで覆い隠していたため、このあたりは拝めていない。
貞はショートヘアの女の首筋を眺めるのが好きだ。
若い女が無防備にキレイな首筋を晒しているのを見ると、吸い付きたい衝動に駆られるくらいに。
──どんな首筋をしてるんだ?
スヌードを外してみると、獲物の喉元に女にしては不自然な骨の出っ張りがあることに気付いた。
まさかと思いつつ、その出っ張りに触れた際に獲物が「うう」と呻いた。
この出っ張りは何か知っている。
貞にもあるものだ。
──これは、喉仏だ
気持ちの整理がつかない貞は、部屋の隅に置いていた獲物のサコッシュから所持品を引っ張り出した。
サコッシュの中には財布にスマートフォン、ハンカチ、ワイヤレスイヤホン、キーケース。
財布の中には現金2千円、何枚かのコンビニやスーパーのレシート、カード入れには複数の店のポイントカードと一緒に、保険証が入っていた。
保険証を引っ張り出して手に取ってみると、名前の欄には「河井 国彦」と書かれてある。
──なんて馬鹿げた手違いだ!最悪だ!
俺が女だと思っていた獲物は、男だった!!
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