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動揺
貞は手に取った保険証を捨てるようにして、床に放った。
無駄な確認作業だとわかってはいたが、念のため、獲物のジーンズのウエストを緩めて、一気に足首までずり下ろしてみた。
ジーンズの下に履いていたのは、ボルドーのボクサーパンツで、貞にもついている男の象徴が布地を押し上げていた。
貞の思った通り、目の前の存在は間違いなく男なのだ。
──ああ、最悪だ。どうしたもんか…
獲物の太ももにはそこそこに肉が乗り、女の子みたいにむっちりとしていて、脚の毛は産毛がそのまま伸びたように薄い。
それでいて、男特有の筋肉も骨っぽさもある。
なんてややこしい体つきをしているんだろう、と貞は内心、身勝手な悪態をついた。
ひとまず、当初に計画していたのと同じように、一旦、獲物の手の拘束を解いてやることにした。
「手を自由にしてやるから自分で服を脱げ。全部だ。」
獲物が閉じていた目を開けた。
黒目がちの大きな瞳はキラキラ光って輝いていて、本当に女の子みたいだ。
獲物はおぼつかない手つきで中途半端に脱がされたコート、トレーナー、シャツ、肌着、ジーンズ、靴下を脱ぎ始めた。
そして、完全に素っ裸になると、寒さと恥ずかしさからか、その場に体育座りして体を丸めた。
貞は寝室のクローゼットから紙袋を引っ張り出すと、獲物が脱いだ服を後で処分するために全てそこに入れた。
逃亡を防止するためと、この環境に慣れて従順になるまで裸で過ごさせるつもりでいたのだ。
もっとも、今は前者の目的が優先となる。
間違って男を捕まえてきたとなると、話が違ってくるからだ。
「ちょっと待ってろ。」
寝室を出てドアチェーンをかけ、リビングに紙袋を置くと、またすぐに戻ってきた。
獲物を今後どのようにするか。
──元の場所に戻す?
そうすれば彼や彼の家族が警察に通報することが予想できたため、この案は即座に頭の中から消し去った。
何気なく獲物に目をやると、丸めた体に鳥肌を立てて、まだ震えていた。
暖房をつけていても、1月の寒さはこたえるのだろう。
「寒いのか?ここに入れ。」
ベッドの上に乗り上げ、布団をめくってやると、獲物は大人しくそこに入った。
このまま凍死されては困る。
いや、この際もう殺してしまおうか、とも考えたがそうなれば死体の処理をしなくてはならない。
死体の処理の方法など、貞は知らない。
──とりあえず、まだ生かしておいてここに留まらせておこう
「お前の名前は『カワイ クニヒコ』でいいのか?」
念のため、保険証で確認した名前を尋ねてみる。
布団にくるまっている獲物──国彦が静かに頷いた。
「歳は18で合ってるか?」
「…はい。」
国彦は、今度は声を出して応答してみせた。
男にしては高い声をしていて、こんなところまで女の子みたいだな、と貞は思った。
「好きな食べ物は何だ?好きなのを食べさせてやる。洋食がいいか?あ、ハンバーガーとかフライドチキンなんかは控えさせて貰うぞ。俺は油っぽいのは苦手だし、ああいうのは栄養偏るからな。」
「…オレ、そういうのはあんまり食べません。」
疑うような視線を向けて、国彦が呟く。
貞からしてみれば、これは少しでも機嫌を取って大人しく従ってもらうための、苦肉の策だ。
しかし、国彦からしてみれば不可解以外の何者でもない。
これまでのことを考えれば、当然のことであろう。
さっきまでナイフをチラつかせていた男が、急に食べ物の好みを聞いてくるのは、不気味にさえ感じられた。
「そうか、いいことだ。ご家族のしつけがしっかり行き届いてるんだな。」
言ってから、貞はしまった!と思った。
国彦は貞の「ご家族」という言葉に反応して、顔を歪めた。
「家に帰してください、お願いです!あなたのことは、誰にもどこにも絶対に言いませんから!!秘密は必ず守ります!オレを、もう一度、あの土手に連れて行ってください!!」
国彦が目に涙を浮かべて懇願した。
「悪いがそれはできない。お前はここにいるんだ。」
誰にも言わない、秘密は絶対に守る、などと口では言っても、それが本当である確証などどこにも無い。
理想の獲物を拐い損ねた上に、これまでのことが発覚して逮捕されるなど勘弁願いたかった。
「そんな、ひどい……」
国彦が辛そうな顔をした。
「…手と足を出せ。」
寝室にドアチェーンをかけても逃亡する危険があるから、もう一度、手と足を縛る必要がある。
そう考えた貞は、綿ロープを握った。
しかし、国彦は今度は、貞の命令に対して首を横に振った。
「刺されたいのか?」
さっき脱ぎ捨てたトレンチコートのポケットからナイフを取り出すと、国彦は諦めたように布団から這い出て、両手と両足を差し出した。
本当はナイフなど使って脅すようなことはしたくないが、今はやむを得ない。
ポケットにナイフを入れて、差し出された両手首と両足首を縛る。
その際に、国彦の男の象徴が目に入った。
貞のものと比べると幾分小さいし、陰毛も淡い。
全体的に体毛が薄いのだろう。
手足や脇の下の毛もさほど生えそろっていない。
汗をかいたからだろうか、国彦の体から、ほんのり動物的な臭いが漂ってきて、鼻腔をくすぐってきた。
──あんまり臭いが酷くなったら、風呂に入れてやるか。不衛生な状態で部屋にずっと居られるのも抵抗があるしな
「ここで寝てろ」
貞は布団をめくって国彦の体を引っ張り上げ、ベッドに乗せた。
──ああ、いけない。夜中にコレが騒いだら、ご近所に聞こえるかもしれない
マンション自体は防音がきいているし、寝室の窓はしっかり閉じてあるが、聞こえない可能性はゼロでは無い。
貞は寝室から出てリビングに行くと、テレビ台の物入れからガムテープを取り出した。
そして、寝室に戻ってくると、それを国彦の口に貼り付ける。
国彦が「んーっ」と声を出して何か抗議したが、意味をなさない呻き声にしかならなかった。
国彦の抗議には一切構わず、貞は寝室の電気を消した。
引っ張り出した国彦の所持品を全てサコッシュに押し込んで、サコッシュ自体もリビングに持っていった。
貞が風呂から出てくると、時刻は21時前になっていた。
いつもならまだ起きている時間帯だが、今はさっさと寝てしまいたかった。
明日も仕事があるし、国彦をこれからどうするか考えなけらばならないと思うと、頭が痛い。
腰もズキズキと痛むし、立ちくらみもする。
今日1日でかなり神経をすり減らしたせいか、いつもより体が重く感じられた。
──今夜はリビングのソファで寝よう。さすがに、アレと眠る気にはなれない
計画通りに事が進んでいたなら、捕まえた獲物と一緒にベッドで寝るつもりでいたが、いろんな面で予定が大幅に狂ってしまった。
心身ともにすっかり疲れ切っていた貞は、リビングの2人掛けソファに寝転がって毛布をかけると、そのまま寝入ってしまった。
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