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買い物へ
翌日の正午、貞はマンションから歩いて3分程度の場所にあるコンビニまで歩いていった。
今日は国彦に朝食を摂らせた後、リビングに連れ出してみた。
逃げ出す危険性はまだあるから、拘束こそ解かなかったが、国彦は相変わらず大人しいままだった。
テレビを見せてやったものの興味が無さそうで、壁や天井ばかり見ているのが気にかかり、マンガ雑誌でも買ってやろうと考えた。
「チョコレートは好きか?ポテチがいいか?ジュースとかコーラとかも飲みたいだろ?」
そう問いかけてみると、国彦がこくん、とうなだれるように頷く。
思えば昨日の夜、国彦は自分から両手を差し出して縛られていた。
従順というより、諦めて服従しているのが嫌でも解ってしまう。
猿ぐつわをするときなど、表情に精気が無く、目には涙が滲んでいた。
その姿を見た貞は、少年を誤って拉致して監禁し、暴行まで働いたという現実を嫌でも突きつけられてしまって、胸が苦しくなった。
同時に、国彦の笑顔が見たい、と心から思うようになった。
店内に入ってみると、雑誌コーナーで、少年が2人並んで少年誌を立ち読みしていた。
1人は高校生くらい、もう1人は中学生くらいだ。
2人して大きなナイロンバッグを斜めがけして、場所塞ぎなことこの上ない。
だらけた姿勢で通路を占領し、他人への気遣いなど微塵もなく読みふけっている。
──ナリはデカくても、頭はてんでガキだな。ホントにウンザリする
そのだらしない姿が隣家の息子と重なって、貞は内心舌打ちした。
2人とも同じ雑誌を読んでいるようで、どんなマンガに夢中になっているのか覗いてみると、日本刀を手に必死で戦う少年の話だった。
──コレ、どこが面白いんだ?
少年たちが読んでいるマンガは最近流行っているらしく、ワイドショーやバラエティ番組でたびたび紹介されているのをよく見かけていた。
会社の若い部下たちも、「これ、最近話題になってるんですよ」と話していた。
貞はもともとマンガを読まないし、そのマンガの画風があまり好きになれないから、と触れることすらしなかった。
しかし、国彦はこの少年たちと歳がそう違わないし、これなら気に入って読むかもしれない。
そう判断して雑誌を取ろうとしたが、少年たちの体が邪魔で取れない。
「こらお前たち、もう行くぞ。そこにいたら邪魔になるからどきなさい。すみませんね。」
どいてくれ、と注意しようとしたところ、父親と思わしき小太りの男がトイレから出てきて、少年たちを叱りつけて貞に謝罪した。
少年たちはあわてて雑誌を元に戻すと、父親の方に歩み寄った。
「いえ、お気になさらず。」
貞は会釈して、少年たちが読んでいた雑誌を買い物カゴに放り込んだ。
「父さん、何か買ってくんない?」
「ボクも何か食べたい!」
叱られた少年たちは悪びれる様子もなく、父親におねだりを始めた。
「何かって何だよ?」
父親は呆れたような顔をしつつ、コートのポケットから財布を出した。
どうやら、少年たちのおねだりを聞き入れるつもりでいるらしい。
「オレねえ、ポテチ食いたい。バタークッキーとイチゴのチョコも欲しい!」
「ボク、唐揚げ串とホットドック!コーラも!」
「ああもう、わかったよ。」
ふっくらしていて人の良さそうな父親は、貞より少し歳上と見受けるが、振る舞いはどことなく若々しい感じがした。
そのせいか、少年たちと商品を物色し、レジに向かう仲睦まじい姿は、見ようによってはしっかり者の長男と甘えん坊の弟たちのようにも映る。
──あんな距離感で接するのが正解なんだろうか
父親と少年たちが去っていくのを見届けると、貞はガラス戸の冷蔵庫からコーラを抜き取ってカゴに入れ、ポテトチップスにバタークッキー、イチゴ味の板チョコレートをカゴに入れた。
レジで精算する際には、唐揚げ串とホットドックも買い求めて帰宅を急いだ。
──これで足りるかな?足りないと言ったら、また買って行ってやろう
国彦を拐ってから1ヶ月が経った。
通常、2月は売れ行きが悪くなるところだが今年は仕事があわただしくなり、定時に帰れない日がたびたびあった。
営業部の従業員全員の頑張りのおかげで、得意先が4件増えたからだ。
百貨店が2件、あとは大学病院に大手電機メーカー。
こんなとき、一人暮らしだったなら手放しで喜べたが、国彦が腹を空かせて待っている今では、帰宅が遅くなることは避けたかった。
しかし、家に待っている人がいるのは貞だけではないし、仕事を終わらせない限り、どうにもならない。
留守中の部屋が気になってしかたないし、朝から体調が優れないせいで、普段ではありえないミスまでおかし、ますます気持ちが沈んでしまう。
「岩山さん、仕事がひと段落したし、今日は飲みに行きません?」
価格を間違えた納品データの修正をしている最中、男の部下が話しかけてきた。
彼は下野 といって、ここでは係長の座に就いている。
「あー、悪いが、今日は遠慮しとく。朝から具合が悪いし…」
貞は頭を押さえた。
もともと偏頭痛持ちだったが、冷えも手伝ってか、痛みがいつもの何倍も酷い。
解熱鎮痛剤で幾分ましにはなったが、気休め程度の効き目だった。
腰痛まで悪化してしまっているし、最悪の気分だ。
「そういえば、ちょっと顔色悪いですね。大丈夫ですか?」
下野が心配そうに尋ねてくる。
「大丈夫だ。これを終わらせたら、すぐに帰る。」
「そうですか、わかりました。」
下野が軽くお辞儀して去っていくと、貞はデータの修正を続けた。
──早く帰ってやらないとな…
パソコンの画面を睨みながら、作業を続けていく。
パソコン画面の光刺激は、偏頭痛持ちにはあまりよくないのだけど、この場合はしかたがない。
「すまないな、次があったらまた誘ってくれ。」
別れ際、オフィスのエントランスで下野含む5人の部下に別れを告げた。
頭は相変わらず痛いが、さっきよりはマシになった。
それでも街灯が目に痛くて、視界がおぼつかない。
「いえ、お大事になさってくださいね。」
「ああ…」
お疲れ様、と言葉を繋ごうとした瞬間、視界がぐわーんぐわーんと揺れ動き、まともに立っていられなくなった。
「岩山さん!大丈夫ですか⁈」
若い女の部下が叫んだ。
体中に衝撃が走って、自分は倒れたのだと気がついた。
地面に触れた背中が冷たい。
幸い、頭は打たなかったようだ。
──大丈夫だよ、ちょっと立ちくらみがしただけだ
そう言って立ち上がろうとしたが、頭が上手く働かない。
立ち上がるどころか、上体を起こすことすらままならない。
──国彦……
意識が薄れていくなか、貞は性奴隷にするつもりで女性と誤認して誘拐した若い男の名前を呼び続けた。
どこかでスマートフォンの着信音が鳴った気がして、国彦はキョロキョロと辺りを見回したが、すぐに単なる気のせいと気づいた。
スマートフォンが鳴るわけがない。
家主の男は出払っているし、自分のスマートフォンは取り上げられて電源を切られ、どこかにしまわれているのだから。
昼に買い置きの菓子パンとコーヒーを腹に入れただけで、何も食べていない。
空腹感で胃が締めつけられるようだ。
耐えかねて水道水を飲んでみても、何の足しにもならない。
時計を見ると午前1時になっていた。
国彦は布団の中で体を丸めて、ひたすら貞の帰りを待った。
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