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隣家の息子

後日、貞は国彦に合鍵を渡して出勤したが、その日はずっと国彦の様子が気になって仕方がなかった。 時間を見つけてはスマートフォンを取り出し、何度も電話をかけて、今は何をしているかと聞いた。 あまりに何度も電話するものだから、おじちゃん落ち着いてよ、と電話口で呆れられてしまった。 過剰な心配だと、自分でもわかってはいた。 けれど、国彦はもう自分の捜索願いが出されていることを知っている。 近所のコンビニのドアに、自分の写真や特徴を載せたビラが貼られている上、連日テレビで情報提供を呼びかけているのだから、当然と言えば当然だ。 それに対してどう思っているのか、国彦はまるで口に出さない。 こんな大きな賭けは初めてだ。 国彦から取り上げたスマートフォンを返すときでさえ、こんなに不安を感じたことはない。 気が変わって、友人のところへ帰ってしまったり、警察に自分のことを話すかもしれない。 ──そうなったら、俺は? 退社時間が異様なほどに待ち遠しい。 貞は今、自分がどれほど国彦を必要としているのか、どれほど国彦を愛おしく感じているのか、嫌というほど自覚しはじめた。 ──国彦、どうか、俺から離れないでくれ…… 夕方17時。 甲貴がエレベーターを待っていると、背後から足音が聞こえてきた。 誰が来たのかと振り返ってみて、甲貴は驚いた。 ──あの女の子だ 真新しいニット帽を目深にかぶり、白い立体マスクとボリュームのあるスカーフまでしているせいで、顔はおろか首まで隠れていたが、背格好でわかった。 その姿は間違いなく、隣人の眼鏡の男が連れていた、あの女の子だ。 肩からサコッシュを斜めがけしていて、スーパーからの買い物帰りなのか、いろんなものを詰め込んだエコバッグを持っている。 華奢な体は黒いコートで包まれていて、脚はスキニージーンズ越しでもわかるくらいにふっくらしている。 パッと見た感じ、全体的に肉づきが良さそうだ。 あのイヤミったらしい中年男が、毎週末この体を好き勝手に蹂躙しているのかと思うと、胸が焼ける思いだった。 「こんにちは。」 甲貴が挨拶すると、女の子は無言のままぺこりと軽くお辞儀をした。 ──オッサンと一緒で愛想が悪いな それでも悪い気にならないのは、この女の子の見た目が甲貴の好みだからだろう。 華奢でふっくらした体は守ってやりたくなるような可愛らしさを感じるし、マスクの上にある大きな瞳はくりっとしていて形がいい。 どんな顔をしているのか、という好奇心が膨らんでいく。 エレベーターに一緒に乗り込むと、甲貴はちょっとしたイタズラを思いついた。 「ねえ、君、お隣さんの親戚の子だろ?」 女の子が首をかしげた。 なかなか無口な子だなと思ったが、ひかえめな感じがして、そこに愛嬌を感じた。 首をかしげたのはおそらく、甲貴の顔を知らないからだろう。 「ボク、隣に住んでる津川甲貴っていうんだよ。君、あの眼鏡の人と住んでるんだろ?」 女の子はなるほど、と納得したようにまばたきして、コクリと頷いた。 「今、いくつ?」 「………18さい。」 ささやくような小さい声だったが、確かに聞こえた。 女の子にしては低い声だが、意外性があって、逆に興味をそそられる。 「ねえ、よかったらウチに来ない?」 女の子が首を振った。 エレベーターが3階に着いて扉が開くと、女の子は一目散に駆けていった。 「あ、待ってよ。」 追いかけていくと、女の子は隣家のドアの前でサコッシュの中をあさっていた。 腕にエコバッグが引っかかっていることもあって、鍵がなかなか出てこないらしい。 もたもたとした動作で、ようやく鍵を出した。 女の子がドアを開けるより先に、甲貴は彼女の目の前に立ちはだかるようにして迫った。 「ねえ、親戚のおじさんは優しくしてくれる?」 ──この男は何を言っているんだろう? いきなり自分は隣に住んでる者だと言い出して、家に来ないかと誘ってきて、断って逃げたら次はこれだ。 ──早く家に入らせて欲しい。こんなとこ、おじちゃんに見られたら…… 隣人の若い男はこんな時節なのに肌が焼けていて、無駄に筋肉のついた体は暑苦しく見える。 子どもの頃、国彦はこういうタイプの男子生徒にたびたびちょっかいをかけられ、笑い者にされてきた。 スポーツはできるが、知性に欠け、他人に対する気遣いなどまるでなく、公共の場でもカラオケ店に来たときみたいに大声を出す。 良く言えばやんちゃで、悪く言えば不良といったタイプだが、国彦が誰より苦手とする人柄だった。 ──どうしてこんなのがクラスの人気者みたくなれるんだろう?こんなのについていく気持ちがわからない。おじちゃんみたいな人の方が、ずっとカッコいいのに 隣人は国彦の前から、一向にどこうとしない。 国彦の返事を待っていて、それを聞くまで逃げ場を与えないつもりでいるのだろう。 「突然ごめんね。お隣さんからときどき、泣き声みたいな声が聞こえてくるからさ、アレは君なのかなー、なんて思って。」 隣人の言葉に、国彦は思わず身構えた。 きっと、行為中の声のことを言っているのだろう。 ──何コイツ、ニヤニヤして、人のことおちょくってきて…ホントに嫌なヤツ! 何か反論しようにも、なるだけ口を聞きたくなかった。 下手に言い合いでもして、その間に貞が帰ってきたら、大目玉を食らうだろう。 それこそ、さっき年齢を答えたときに、声を覚えられてしまったかもしれない。 ひょっとして、自分が行方不明になっている人物だと勘づいたから、カマをかけているのではないか。 ──どうしよう…押しのけようにも、コイツの体デカいし、逆に押されそう。「どいて」とか言っても絶対どかなさそうだし…… 「国彦!」 おろおろ迷っていると、名前を呼ばれて救われた気持ちになった。 貞が帰ってきたのだ。 「何してんだ。お前風邪気味なんだろ?無理して外に出るんじゃない!」 貞の声を聞いた甲貴が、国彦から離れた。 「じゃあ、またねー。」 甲貴が軽薄な別れの挨拶を残して家に入っていくと、貞は険しい顔をして国彦に駆け寄った。 家に入ると、貞は国彦の腕を爪が食い込むくらい強く掴んで、寝室まで引っ張って行った。 「おじちゃんっ、痛い、痛い!」 ベッドに放り投げるようにして横倒しにされ、馬乗りになった貞に髪を引っつかんで頭を揺らされた。 「この裏切り者!自由にした途端に他のヤツとイチャつきやがって!」 「おじちゃん、違うよ!向こうが勝手に話しかけてきたんだよ!痛い!離して!!」 国彦は脚をバタつかせて、貞の腹を思い切り蹴った。 貞は後ろに仰け反り、咳き込んだ。 「おじちゃん、オレ、ちゃんと帰ってきたでしょう?落ち着いてよ!」 「お前は俺だけものだ!」 国彦の言葉などまるで届いていないかのように、貞は国彦の小さな体に覆い被さった。 「やめておじちゃん!痛いことしないで!!」 貞は前をくつろげて、国彦のジーンズとボクサーパンツをずりおろすと、慣らしてもいない蕾に挿入しようとした。 「若い男なんかに負けないぞ…俺の方がずっと……」 無理に男根を押し挿れられた国彦は、うめき声をあげて涙を流した。 出血こそしなかったが、相当苦しいらしい。 摩擦するごとに、肉襞が弛緩と収縮とを繰り返す。 壁の向こうにいる若い男が国彦を誘惑しようといたのかと思うと、興奮と怒りが止まらない。 今までにないくらいに体を強く乱暴に揺すぶって、貞は国彦の中に射精した。 暴力にも等しい行為が終わり、貞は我に返った。 国彦はぐったりしたままベッドに横たわり、天井をぼんやりと見ていた。 「ああ…国彦、悪かった……オレとしたことが…」 貞は今さら後悔して、脱力した体を抱き上げた。 「大丈夫だよ、おじちゃん。これからもひとりで外には出るけど、ちゃんと帰ってくるから。」 打ちひしがれたような顔をして落ち込む貞を見かねた国彦は、赤ん坊を寝かしつけるときみたいに、広い背中をさすってやった。 「その、すまなかった…お前を外に出したら、2度と帰ってこないような気がして気が気じゃなかったし。あの男と、楽しそうに話してるようだったから、頭に血が昇ったんだ。許してくれ国彦。」 貞が引っつかまれたせいでぐしゃぐしゃになった国彦の髪を撫でつける。 「さっきも言ったけど、向こうが寄ってきただけだよ。アイツ、いきなり家に来ないかー、とか言ってきて…こっちが怖かったんだからね?」 国彦が貞の胸に顔を埋めた。 「そんなこと言われたのか?」 「そう。それで断ろうとしたら、おじちゃんが帰ってきてくれたの。ホッとしたよオレ。」 国彦は母親に甘える子どものように、貞の広い胸にぐりぐりと顔を擦りつけた。 「そうか、わかった。アイツは確か両親と住んでたはずだ。その両親に苦情入れといてやる。」 国彦の態度に、貞はようやく長く辛い緊張から解放された。 「ありがとう、おじちゃん。ねえ、オレ、ちゃんと帰ってくるよ。どこにも行ったりしないから、おじちゃんもどこにも行かないでね。」 国彦が貞の腰に腕を回して、ギュッと強く抱きついた。 「わかってるよ。」 貞は微笑み、柔らかい頬を撫でた。 「あんなのよりずっと、おじちゃんの方がいいよ。アイツ、見るからにアタマ悪そうじゃん。」 苦虫を噛み潰したような顔をして、国彦は隣人の悪口を言った。 「言っちゃあ悪いけど、俺もそう思う。」 貞は苦笑いしたと同時に、自分は隣人の若者に、男として勝ったのだという優越感を感じた。

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