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第7話 光希の想い

「なにするんだよ!」  驚いた俺は、キツイ口調で光希(みつき)を責めた。口元を手で押さえ、意図していないのに、なぜだか体が震えているのを感じていた。相手は光希だ。怖いわけじゃない。でも、どうしても体の震えが止められなかった。 「なんだよ、急に」  俺の問いに、光希は真っ赤な顔をしてグッと唇を噛むと「だから言っただろ。俺は失恋するんだよ。お前は他の人を好きだから、俺は今日、失恋するんだ」と言った。 「は?」  部屋の中の空気が、ピタリと動きを止めるような感じがした。静けさが、じわりと俺と光希の間に侵入してくる。あまりに静かで、耳鳴りだけが唯一の音として存在するようだった。  それは頭蓋内を流れる血液の音なのだと、何かで読んだことがある。ずっと前にそれを光希に話した時、「なんかすげえな、それ」と楽しそうに笑っていた。  目の前にいる光希は、その時の光希と同じはずだ。それなのに、なんだか知らない人のように見えた。燃えたぎる思いを秘めた目を見ていると、どうしても体が震えてくる。 「なっ、なにそれ。お前、俺のことが好きだって言うのか?」  どうにか絞り出した声で静寂を破り、信じられないけれど、どう考えても間違いのなさそうな事実を確認する。俺のその声に、光希は苛立ちを隠せないようで、またギリギリと歯を擦り合わせていた。 「そうだよ。ずっと言うつもりはなかったけどな。お前に恋人ができたら諦めようと思ってた。なのに、失恋したとか言って……自分から手放そうとしてるから、ちょっと腹が立ったんだよ」 「なんだよ、それ。意味がわからない。俺がなにを手放そうとしてるって? 颯紀(さつき)くんが快斗(かいと)くんを好きなんだから、俺にはなんの選択権もないだろう? 告白の手伝いを約束してたんだから、それが出来なくなった今は、もう会うことも出来ないんだよ。落ち込んで悪いかよ!」  俺はそう叫ぶと、子供のように大きな声を上げて泣き始めた。こんなみっともない泣き方は、颯紀くんを好きだと気がついた日にもしなかった。  ずっと大事な友達だと思っていた光希から、同意も無く勝手にキスをされ、挙句に腹が立つと言われ、それでも何一つはっきりとは説明してくれなくて、もう大声で泣くしか無かった。 「失恋したばっかりで、親友だと思ってたやつに勝手にキスされて、なんで怒られないといけないんだよ! 納得いかねー!」  ゴシゴシと目をこすりながら幼稚な泣き方をする俺を見て、光希は呆れたようにふうとため息をついていた。勝手に連れ出して、勝手に酔わせて、勝手に告白をして、勝手にキスをしたくせに。ため息をついている光希に、俺は無性に腹が立った。 「何ため息ついてんだよ……って、なんでお前、そんなにスッキリした顔してるんだよ! なんか腹立つな!」  膝に抱き抱えられたままの状態で光希を見上げると、なぜだかつきものが落ちたようにスッキリした顔をしているのが見えた。俺はそれがなんとなく気に入らなくて、軽く拳を握りしめてドンと胸を叩いた。  光希は何かを吹っ切ったように笑うと、「わりーな。なんかスッキリした。やっと言えたなって……フラれたのにな」と言って俺の頭を撫でていた。 「なんだよ、全然意味わかんねえ! お前だけ勝手に色々解決してるじゃねーか。お、俺だってスッキリしたい……モヤモヤしっぱなしだよ!」  そう言って俯いていると、光希が俺をギュッと抱きしめた。俺は、一瞬ビクッと強張った。この後に及んでまだ俺に何かしようと言うのだろうかと、体がそれを嫌がった。  でも、そんな俺の反応を見た光希が「心配するな。なんもしないから」と言うのを聞き、安心して力を抜いた。光希は、ただ俺を離すまいと抱きしめたまま、ゆっくりと優しい音で、大切に言葉を届けてくれた。 「公音。俺はずっと前から、優しいお前が好きだった。お前に何か見返りがあるわけでも無いのに、人のために動き回ってるお前が、愛しくて仕方がなかったよ。一生近くにいて、お前を守ってあげたかった。でも、お前は他に好きな人ができただろ? だから、俺はお前との恋は諦めた。実はずっと前に諦めてたんだ。ただ、今日ここでダメ押ししただけだ。俺がお前を今日誘ったのは、お前にも、そうした方がいいぞって言いたかったからだなん」 「そうしろって……なんだよ」  光希は俺を抱きしめていた手を頭に持っていき、俺の後頭部を包み込んだ。そして、脆くてとても大切なものを扱うように、そっと胸へと抱き寄せた。それは、まるで宝物を扱うような丁寧さだった。  そうやって胸に俺の顔を押し当てたまま、声を震わせて一つのお願いをしてきた。 「なあ、あともう一回だけ、あともう一回だけでいいから、キスとハグさせて。それで、俺はお前のことを本当に諦める。だから、お前も今の想いが叶わないと思うなら、相手にちゃんと告白して、きちんと振られてこい。大きな恋にケジメをつけて、また友達関係に戻ろうぜ」  そして、腕の力をほんの少しだけ強めると、そのまま黙ってしまった。俺は返答に困った。光希は親友だ。親友は恋愛対象じゃない。キスなんてしようとも思ったことがない。ただ、これが区切りになるのなら……光希のお願いを聞いてあげてもいいのかなと思っていた。 「い、一回だけだぞ」  返事を待っている光希の顔を見ていたら、それしか答えは無かった。俺の答えに安心したのか、うっすらと目に涙を浮かべながら「ありがとう」と言い、抱きしめていた腕を解いた。 「公音。お前はずっと人に優しかった。だから、しっかり幸せになれよ」  そう言って、手のひらで愛おしそうに俺の頬を撫でると、その手を首筋に這わせ、そっと頭を支えた。ゆっくり目を閉じながら近づいてくる光希を見て、俺は少しだけ胸が痛んだ。  俺が目を閉じると、約束通りに一度だけ大切に唇を合わせた。そして、その余韻に後ろ髪を引かれるように、優しいハグをしてくれた。 「でも、大丈夫だからな。お前は失恋しないよ」  そう言って、俺からそっと離れていった。 ◆◇◆  光希の家から遅くに帰ってきた俺を見て、母さんは倒れてしまうんじゃ無いかと思うくらいに驚いていた。酒を飲みすぎて吐き続けた挙句に、めちゃくちゃに泣いた影響で、顔はパンパンで目も真っ赤に腫れていた。  しかも、光希が最初のキスを結構激しくして来たからか、唇も少し腫れている状態だ。元気がない息子を元気づけるために友達に預けたら、さらに酷い状態で帰ってきてしまった。それは驚きもするだろう。  ただ、それもほんの少しの間だけで、何かを察していたらしい母は、俺には何も聞かなかった。背中を軽くポンポンと叩くと「とりあえず、お風呂入って寝なさい」とだけ言ってくれた。  言われた通りにそのまま風呂に入り、体を温める。すると、気が緩んだからか、ボロボロと涙が溢れてきた。  光希を振ったのは俺だ。でも、そうすることで、俺は大切なものを失ったのかもしれないという思いに駆られていた。光希という友人を失うのは、とても怖くて、涙は全然止まらなかった。  これから先、俺たちはどういう関係になるのだろうか。もう今まで通りにはいかないのだろうか。そう思うだけで、寂しくて仕方が無かった。俺にとって光希は、心からの信頼を寄せられる、唯一無二の存在だった。  ハーモニアスについて知っている人は、他にもいる。依頼者さんたちを含めると、かなりいると思う。それでも、この能力があることで起こりうる不都合を、聞いてくれて理解しようとしてくれるのは、光希だけだった。  そんな大切な友人がいなくなるなんて……そう思うと、誰だって怖いだろう。  それに、最後の一言が気になっていた。 『お前は失恋しないよ』  あれは、どう言う意味なんだろう。 「颯紀くんは快斗くんが好きだし、それはオーラを見てるから間違いないはずなのに……」  その真意だけはよく分からなかったけれど、それ以上考えても風呂で溺れそうになるだけだと思い、上がることにした。  部屋に戻り、すっきりと晴れたわけではないけれど、少しだけ上向いた気持ちを胸に、スマホをチェックしようとしていた。すると、光希からメッセージが来ていた。 『帰り着いたか? 今日はごめんな。もうあんなことしないから、またメシ行こうぜ』  その優しい気遣いにホッとすると同時に、胸がズキンと痛んだ。ずっと隣にいて、好きだという気持ちを隠し続けていたのかと思うと、いたたまれ無かった。  光希が我慢していたとするのなら、それは間違いなく俺のためを思ってのことだろう。俺のことを優しいと言っていたけれど、俺よりも光希の方が数倍優しい。いつも一緒にいたからこそ、それは間違いないと思う。 ——俺も、同じことをするかな。  言いたくても言えなかった思いを伝えた後の光希は、無理せずスッキリした顔をしていた。そして、俺にもそうなれと言ってくれた。 「しないつもりだった告白を俺にしてまで、伝えてくれたんだもんな」  俺は小さく頷いて肚を決めると、メッセージアプリを開いて、颯紀くんの連絡先を探そうとした。すると、急にスマホが震え始た。 「うわわわわ!」  使おうとしたタイミングと全く同時に震え始めたスマホに驚いて、思わず布団に投げ出してしまった。投げ捨てられた可哀想なスマホは、ベッドで布団に埋もれたまま、俺を呼び続けている。 「びっくりした……なんてタイミングだよ。……で、電話? 誰……」  スマホのディスプレイに表示された名前を見て、ドクンと心臓が跳ねた。そこには、思わず恋に落ちてしまった依頼人の名前が表示されていた。  今まさにメッセージを送ろうとしていたのは確かだけれど、いざ電話で話すとなると異様に慌ててしまう。動揺が隠せず、なかなか応答することが出来ない。 「え、なんで颯紀くんから……もう会う予定なんて無いはずなのに……」  どうしようと考えあぐねていると『お前は失恋しない』という、光希の声がまた聞こえた気がした。その言葉だけは、どうしても引っかかってしまっている。 ——あれがどういう意味なのか、確かめるためにも、ちゃんと話そう。  そう自分に言い聞かせるように、通話をタップしていた。 「は、はい。どうしたの、こんな時間に」  夜中にも関わらず、割とすぐに出た俺に驚いたようで、颯紀くんはしばらく黙っていた。通信状況が悪いのかなと思った俺は、「聞こえてる? おーい」と声をかけた。 『あ、ごめんなさい。すぐ出たからびっくりして……あ、お、お久しぶりです。お元気ですか。あ、いや、そんなに会ってないわけじゃないか……』  よほど想定外だったのか、一人でもごもご言い続けている颯紀くんがおかしくて、思わず吹き出してしまった。  そういえば、ブリーフィングの時の電話でも、こういう少し天然気味なところが可愛いと思ったものだった。  ぱっと見た感じではすごく落ち着いてそうに見えるにも関わらず、話し始めるとどこか掴めない感じがして、とぼけたところがあるのが魅力的だった。  そしてそれだけではなく、仕事柄なのだろうか、物事の因果関係について理路整然と考える癖があるようで、なかなかの曲者かもしれないなと思ったこともあった。  たくさん魅力的な顔があったなあと色々と思い出していると、さっきまで狼狽えていたのが嘘のように、俺は顔を綻ばせていた。

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