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第8話 ほんとうのこと

「そうだね、そんなに前じゃないよ。それにしても、こんな夜中にどうかしたの? あ、付き添いの話なら申し訳ないけれど……」 『あ、違います! あの、いや、そのことも込みで、どうしても会ってお話がしたいんです』  いつもあたふたとしている颯紀(さつき)くんだけれど、今はいつもの感じとは少し違っていて、慌ててはいるけれども、絶対に押し通したい強い意思があるように感じた。  この電話で俺と会う約束を取り付けるまでは、絶対に会話を辞めないぞという気概が感じられる。今の俺に取っては、それはとてもありがたい。光希(みつき)のおかげで、当たって砕けようという覚悟が、自分で思うよりもずっとしっかりと出来ていた。 「うん、いいよ。実は俺もね……颯紀くんに話したいことがあるんだ」  俺はそう言いながら、いつ頃にしようかとか、どこで話そうかとか、色々頭の中で考えていた。そうなってくると、今度は気持ちがソワソワして落ち着かなくなり、立ち上がって部屋の中を歩き回り始めた。  まるで犬のようにくるくる回っていると、ぶっと吹き出す音が聞こえた。その音は、いつものスマホから聞こえるものとは違っていた。電波干渉にでもあったかのように二重に聞こえる。  それも、どちらもスピーカーの中から聞こえたわけでは無く、一つは生音として聞こえたような気がした。 「ん? なんだ今の……颯紀くん、今どこにいるの? なんか音が変なんだけど」  何かしら原因があって通信に影響が出ているのなら、窓際に行った方がいいかなと思いそちらへ向かった。そして、カーテンをシャッと勢いよく開けると、今度はその音がスマホの中からも同時に聞こえた。  何が起きているのだろうか。音に不明瞭なことが起きるのが、俺はあまり好きでは無い。こちら側に何か問題があるのか、颯紀くんの方に何かがあるのか。はっきりさせて、それを取り除きたい。 「颯紀くん?」  俺がスピーカーに向かって呼びかけると、返事は返って来なかった。その代わりに、ガチャっと部屋のドアが開いた。そして、あの日快斗(かいと)くんに向けられていたのと同じ、花が咲くような笑顔の颯紀くんが目の前に立っていた。 「こんばんは、公音さん」  俺は、目の前に颯紀くんが立っていることが信じられず、呆然とその姿を眺めていた。驚きすぎて手の力が抜け、スマホをゴトンと床に落としてしまった。 「さ、颯紀くん? どうやってここに……」  俺がそれを言い終わるより前に、彼は楽しそうな顔をして、窓の方を指さしていることに気がついた。俺は、さっきカーテンを開けた窓から下を覗いた。そして、そこに見えるものに、顎が外れそうになる程驚いた。 「は、はああああああ!?」  時刻は深夜一時。いい大人はこんな時間に大声などあげない。階下から、母の「何騒いでんのよ、公音っ!」と言う怒鳴り声が聞こえてきた。間違いなく、俺の声よりも圧倒的に母の方がうるさい。  でも、それよりも俺が気になって仕方がないことは、眼下に広がる光景だった。 「みっ、光希っ!? ……と、」  なんとそこには、光希がいた。しかも、快斗くんと並んでこちらに向かって手を振っている。 「あの二人、知り合いだったの!?」  驚きすぎて思わず詰め寄った俺に、颯紀くんは苦笑いをしながら、「はい。そうなんです」と答えた。  光希の口からは、一度もそんな話を聞いたことがなかった。俺からも颯紀くんと快斗くんの話はしたことが無い。まさかあの二人が知り合いだなんて、考えたことも無かった。  それも、何よりも驚いたのは、二人の距離感だ。窓の下の二人は、ピッタリと寄り添いあっている。しっかりと指を絡めて手を繋いでいて、どうみてもただならぬ関係だという空気を醸し出している。アレは一体どういうことなんだろうか……。 「ねえ、颯紀くん。なにあれ。あいつ、ついさっき俺に告白してた……」  意味がわからず呆然とする俺に向かって、二人は悪い笑顔をのぞかせた。それから、こちらに見せつけるように抱き合ったかと思うと、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいの、熱烈なキスを始めた。 「はあっ!? え、え、ちょっと……どういうこと!?」  そこは俺の家の庭だ。夜中に他所の男が二人、抱き合ってディープキスをしている。  俺はふと一階にいるはずの母が気になった。まさか、あの人はあれを見ているのだろうか? だって、リビングにいるはずなのに、声が何も聞こえてこない。  俺と同じように、驚きすぎて声も出ないのだろうか。もしかして、倒れてしまったとか? こんなに慌てて、わかりやすくパニックを起こしながらも、俺の頭は殊勝にも母を心配してあげていた。  ただ、俺自身も驚きすぎて、思わず窓ガラスにへばりついた拍子に、鈍い音を立てて、派手にぶつかってしまった。 「あっ、いってえ!」  その痛みで悶絶していると、背後からものすごく楽しそうにカラカラと笑っている、颯紀くんの声が聞こえてきた。 「さっ……颯紀くん! 何笑ってるんだよ! あれ、どういうこと!? ちゃんと説明してよ! 全然意味がわからないよ!」  何がなんだかわからず、ただ慌てている俺は、恥ずかしい思いを重ねていく。そうやって翻弄されているだけの自分が、だんだん情けなくなっていった。  ただ、あの二人については、本当は答えなんて聞かなくてもわかっている。光希と快斗くんは恋人同士だ。そんなことは、俺はオーラを見ればわかる。  二人の周りには、ピンク色とオレンジ色の優しいオーラが、幾つもふわふわと浮かんでいる。あの近くに行って音を聴いてみたら、聞こえてくるのは幸せなことこの上ないというハーモニーだろう。すごくいい状態のカップルオーラだ。  それに、思い返してみると、光希から俺に対して出ていたオーラは青かった。青いオーラは落ち着いている時に出るものだ。音や温度の同調も無かった。つまり、あれは……。  俺は、体から中身が全部出てしまいそうなほどに深いため息をつくと、落としたスマホを拾い上げ、光希にメッセージを送った。 『お前、よくも騙してくれたな。覚えてろよー。それと、よかったな』  そして、窓の外を見た。すると、下からこちらを見上げた光希が、歯を見せて笑いながらメッセージを返してきた。 『ごめんな。そんなわけで、さっきのは演技だから。詳しい話は、颯紀くんに聞いてくれ』  メッセージを確認した後、窓の外に向かって手を振った。光希と快斗くんが振り返すのを確認して、部屋の入り口でこちらの様子を伺っている颯紀くんの方へと視線を向ける。  颯紀くんはやや気色ばんでいたけれど、俺の目を見るとそれを緩めた。「とりあえず、入って」俺がそう手招きをすると、嬉しそうに中へと入って来る。 「お、お邪魔します」 「とりあえず、ここ座ってよ」  俺はベッドに腰掛けると、隣をポンポンと叩いて座るように促した。颯紀くんはおずおずと俺の様子を伺いながらも、素直にちょこんと座った。背が高くてガタイもいいのに、本当にちょこんと座る。こんな時でも可愛らしいのが鼻についた。 「とりあえずさ……光希と快斗くんは恋人同士。これで合ってる?」 「はい、合ってます」  俺の質問に、縮こまりながらもやや楽しそうに返答している。全てを知っている側はさぞ楽しいのだろうな。俺は少し情けなくなり、気持ちが塞ぎ始めた。  でも、もう一つ確認しておかなければならないことがある。うんざりしながらも、なんとか重い口を開いた。 「じゃあ、颯紀くんは快斗くんに片想いをしてるってこと? それとも……好きだと言うこと自体が……もしかして、嘘なの?」  俺は問いながら眉根がどんどん寄っていくのを感じていた。そうで合って欲しいような、それだと納得いかないような、複雑な気持ちに、心がぐちゃぐちゃになったように感じていた。  颯紀くんは、申し訳なさそうに俺の方を見ると、小さな声で「嘘、です……」と答えた。  「はー……まじかよ……」  思わず、感じの悪いため息がこぼれてしまった。なんとなく想像はついたけれど、それを決定づける言葉を颯紀くんの口から聞くと、俺のこの二週間はなんだったんだという思いが頭の中をぐるぐると回り始めていた。 ——あの苦しみは? あの悲しみは? それよりも、なんのために俺は騙されていたんだ?  そうだ。俺は一体なんのために騙されていたんだろう。俺は彼らに何かしたのだろうか……。  考えても考えても答えが見つけられない。騙されたショックに、思考が整理しきれなかった。俺が仲介することで、誰かと誰かが幸せになれるのならと、続けてきたハーモニアスの全てを否定されたような気がしていた。  視界が歪んで、涙が頬を伝っていく。 「なんでそんな嘘を……」  そう返すのが精一杯だった。 「公音さん?」  それまでの寝不足と無理な日々が祟り、途端に眩暈が増悪してきた。ぐるぐる回る世界の中で、ポツリと「ひどいよ」と呟く。ぐらりと世界が歪んだ瞬間、暗い世界の中に自分がこぼれ落ちていくように感じた。  意識はある。ただ、体を動かす力が出なくなってしまった。ベッドに倒れたまま、回り続ける世界に翻弄されることしかできない。 「公音さん! 大丈夫ですか?」  颯紀くんは心配そうに俺の顔を覗き込むと、顔色を見て驚いていた。おそらく、かなり青いのだろう。貧血にしても酷かった。クラクラと眩暈がしては、ひたすらに吐き気がする。 「ごめん、母から飲むものを……」  ハーモニアスは集中力を使う。慣れてきているので、普段はあまり意識していないけれど、ケアを怠ると体調を壊してしまう。ここ最近はずっとろくに眠れていなかったから、一般的な健康管理すら出来ていない状態だった。 「あ、持ってきました。光希さんに言われてて……あの、ごめんなさい。俺が光希さんにお願いしたんです。全部俺が悪いんです」  そう言って、颯紀くんはバッグから経口補水液を取り出した。今日三本目だなと思いながらぼーっとそれを眺めていると、颯紀くんがパキッと音をさせてキャップを開けた。 「あの、俺……。公音さんのことが好きなんです。ずっと前から」 「え?」  それは不思議なことに、ついさっき光希が言っていたのと同じシチュエーションで、同じ言葉だった。変な日だなと思いつつ、じゃあまた口移しでそれを飲ませて貰うのか? と考えていた。すると、颯紀くんが俺の鼻先に迫ってきた。  俺は、光希の時とは違う気持ちで、それを待っていた。だって俺は、颯紀くんが好きなのだから。その対象者が、目の前にいる。気持ちが高揚していく。その時、俺は初めて自分の体からピンク色のオーラが溢れている事に気がついた。 ——うわ。これ……恋の色?  生まれて初めて恋をした。そして、初めてそのオーラを見た。俺から颯紀くんに向かって、それは伸びている。でも、颯紀くんからは何も見えていない。それどころか、颯紀くんからは、何色のオーラも見えなかった。 ——どうして颯紀くんからは何も見えないんだ?  思わず顔を顰めてしまった俺を見た彼は、心配そうに顔を顰めた。 「公音さん。これ、飲ませてもいいですか?」 「え?」  その時、俺の頭にある記憶が巡ってきた。なんとなく、どこかで同じ経験をした気がしたからだ。 『お兄さん、これ、俺が飲ませてもいい? 飲めないでしょう? 飲まないと危ないからさ』 「あれ? なんか前にそんな……」  俺がその言葉を言い終わるより先に、冷たくて甘いキスが口を塞いだ。俺と颯紀くんを、経口補水液が繋いでいく。 「んっ……」  繋がりからそれて溢れていくものが、首を伝ってゾクリとした。その合間に、今とは真逆の立場で、この経験をしたことがあることを思い出していた。  俺は雫をゴクリと飲み干すと、颯紀くんの前髪を手でそっとかき上げた。そして、そこから覗く目の色を確かめた。 「この目……」  そこには、金色の鷲のような目をした青年がいた。颯紀くんは、黒髪のつむじをグッと掴むと、ずるっとその塊を引き剥がした。その下には、キラキラと輝くシルバーのミドルヘアが靡いていた。俺の記憶の中に、その顔の青年の姿が、はっきりと浮かび上がった。 「その髪! 颯紀くん、君……あの時のお兄さんなの?」  颯紀くんは嬉しそうに目を細めると、こくりと頷いた。 「覚えてくれてましたか? そうです。僕は、あの時あなたに助けてもらった、ブラック企業のサラリーマンです」 「……そうなんだ! もちろん覚えてる。良かった……元気だったんだね。実はね、病院まで付き添えなかったことを、ずーっと悔やんでたんだ。でも、病院に行ったんだから大丈夫だって言い聞かせて……。そっか、元気だったんだ。良かった」  いつの間にか、騙されていたショックも吹き飛ばされていた。そのくらい、その日のことは、俺の中でも鮮明な記憶と後悔として残っている、大きな出来事だったのだ。  あの暑い日、駅のホームでの出会い。颯紀くんの、真っ青な顔。……俺の、ファーストキス。

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